episode4.地下を這う道

1.レッドタワーの見える駅

 足の裏に微弱な振動が伝わる。早足で歩けば気付かないようなそれを、シズマは黙らせようとするかのように何度か右足を叩きつけた。そんな小さな抵抗など何処吹く風で、道路の下を走る地下鉄はいつもと変わらぬ速さで駅から出発する。


 駅の入口と大通りを挟んだ向かい側には、森が見える。今どき貴重な、人工樹を一切使用しない森の中央には、真っ黒な鉄骨の塔が立っていた。かつては電波塔として機能していたその塔は、当時の面影を偲んで「レッドタワー」と呼ばれている。

 まだ高い太陽が塔を照らしているが、黒く塗られた鉄骨は光を反射することもなく、まるで大きな影絵のように空に貼りついていた。


「実際、素敵な思い付きだ。コントロール・センターに忍び込むには乗客よりも業者のほうが容易い。それに清掃の振りをして入るってのも、まぁいいだろう」


 喋る度に、鼻と口を覆うマスクが頬と擦れる。痛くはないが、邪魔なことは否めない。身にまとった黒い防護服は通行人の注目を集めているものの、自分の顔が見られているわけでもないから、シズマは特に拘らなかった。


「問題は、なんであのクソガキだけじゃなくて、猫娘までついてくるのかってことだ」


「シズマ、キツネちゃんが来るのすら嫌がってたもんねぇ」


 似たような恰好をしたエディが、両手につけたラテックスの手袋の具合を確かめながら言う。ネットカフェを出てからエディがどこからか調達したそれは、互いに微妙にサイズが合っていなかった。


「でも仕方ないよ。どこまでこの無線が通用するかわからないし、俺達だけじゃブルーピーコックの扱いはわからない。キツネちゃんを別ルートから侵入させるには、オセロットの助けが必要。オーケイ?」


「オーケイ、オーケイ。わかってるよ。理解はしているさ。納得はしていないけどな。一かけるゼロがゼロになる理由ぐらいに」


「まぁ俺達が連れて行くよりは安全だよ。あのしつこい人たちがまた来ないとも限らない」


 連日の襲撃にもそろそろ慣れて来たころだった。

 シズマは手袋で密封された指先を、その状態に馴染ませるために何度か動かしながら、相手の話に応じる。


「一度目の襲撃者は人間、二度目はアンドロイド。次は何が来ると思う?」


「さぁね。どちらにせよ「エンデ・バルター」の子飼いの殺し屋ではなさそうだ。シズマの持っている、そのメモリチップを奪うために、あの会社に雇われた殺し屋ってところだろうね」


「人の物を勝手に取ろうとするなんて、呆れた連中だな」


『別にオジサンのものでもないじゃないか』


 耳に嵌めた通信機から、イオリの声が聞こえた。地下鉄のホームの音がビリビリとした雑音となって声に混じっている。


「うるせぇな、クソガキ。それより」


『さっきのアンドロイドについてなら、もうわかってるよ。オジサンと同じフリーの殺し屋で、大企業を中心に依頼を受けている。結構評判もいいみたいだよ』


「まぁ顔よりは悪くない腕だったな」


『エンデ・バルター社が雇ったかどうかはわからないけど、接触はしていたみたいだね』


「他にあの会社の息がかかった殺し屋は?」


『ACUAが動けば調べられる。無限大にもあるネットワークを一つずつ掘り下げるなんて不毛だよ』


「何はとまれ、孔雀をたたき起こせってことだな。クソガキ、準備はいいか?」


『問題ございません』


 通信を割り込んで、オセロットの声がした。その体内に内臓された違法規格の通信機で話しているらしく、イオリのものと違って環境音が一切混じっていない。


『現在、二四五ポイント。次の快速急行でこの駅を電車が通過いたします。その間にホームに降りて、そちらとは別ルートでコントロール・センターに向かう予定です』


「上出来だ。くれぐれも轢かれるなよ。仕事が増えたら堪らないからな」


『マルチタスクは不得手なのですね。了解しました』


 階段を下り、地下鉄の改札へと進む。

 うんざりした表情で窓口に立っていた若い女の駅員は、シズマ達を見てもその表情を殆ど変えずに、口元だけ僅かに笑みを浮かべた。愛想笑いというには機械的に過ぎているが、女が正真正銘の人間であることは不器用に塗られたファンデーションが証明している。


「何か御用ですか」


「回収です」


 エディが女に張り合うかのように平坦な口調で言いながら、腕に着けたネームカードを示した。そこには「特殊清掃」の文字が浮かんでいる。所謂変死者や破損筐体を回収する業者のことであり、公共機関とは切っても切れない関係だった。

 女はそれを見て、「あぁ」と納得したような声を出す。


「確認しますので、少々お待ちください」


 女は自分の目の前に置かれていたタブレットを引き寄せると、指で操作を始めた。

 二人は緊張をマスクの下に隠して、女の行動を見守る。実際にはこの駅から回収依頼は出ていない。エディの見せたネームカードも偽造だった。


 シズマは一歩下がったところで見守りながら、数時間前にエディが提案した作戦の内容を思い出していた。

 特殊清掃業者は、その仕事に必要だと見做されて確認が取れれば、駅構内のどの場所にも入ることが認められる。無論、セキュリティセンターなどの機密度の高い場所は除外されるが、その扉のある通路まで行くことは容易い。


 業者への依頼内容は、データベースで管理されている。駅が全てレールで連結されているため、そのデータベースは全ての駅員が閲覧可能となっている。エディは当初、事前にデータベースをハッキングすることを提案したが、イオリがそれに反対した。

 誰がいつ見るかわからない、しかもその会社に属する全ての職員が閲覧可能なデータベースでは、追加したデータを不正と見破られる確率が高くなる。そのリスクを最小限に抑えるには、職員が確認をする間だけデータをハッキングして、一時的に虚偽データを作成するのが良いということだった。

 出来るのかと問うたシズマに対して、イオリは愚問だと言わんばかりに笑って見せた。


「確認出来ました。A18ポイントですね」


 女は画面から顔を上げて言った。その表情に特に不審がる様子も、データの確認に手間取った様子も見られない。


「A18にコネクトする通路の電子ロックを解除しました。改札をそのまま通過して下さい。場所はわかりますか?」


「道案内してくれるなら、今すぐ記憶喪失になるけど?」


 エディが軽口を叩いたのを、シズマは後ろから蹴り上げて黙らせた。そのまま改札に押し込むようにして通過し、ホーム内へ入る。丁度頭上にあるスピーカーから、次の車両到着時刻が告げられた。

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