3.フォックスとの再会

 四階の奥にある個室で待ち構えていたのは、シズマが探していた少年だった。だがシズマはその再会を喜ぶより先に、少年に不機嫌な声を投げかけた。


「どういうことだか説明しろ、クソガキ」


「なんだよ、オジサン。朝食でも抜いてきたの? そんなに苛々して」


 高スペックのノート型端末を抱え込んだ少年は、オレンジ色の眼鏡の向こう側で、キツネを思わせる吊り目を細めた。十五歳の少年らしい、漸く幼さを脱却した顔には、右頬からこめかみにかけて、火傷の痕が赤く残っていた。

 個室の中はフラットシートになっており、半透明の素材を張った壁の中に照明が仕込まれている。お陰で十分に明るいが、そこもやはりネットカフェというよりはカウンセリングルームのようでシズマを辟易とさせた。


「折角、案内も寄越したのに」


「あぁ、それはありがとうよ。お陰でスリリングな旅を楽しめたぜ。セーラー服の女に刃物突き付けられるなんて、早々あるもんじゃないからな」


「ありがとうございます」


 後ろにいた少女が嬉しそうに言う。シズマは睨み返したが、相手に邪気が一切ないことを悟ると、諦めて溜息をついた。それを見てエディが愉快そうに口角を上げる。


「で、こいつは何だ? お前のガールフレンドか」


「早く中に入ったら? さっきの三階の映像はハッキングして差し替えたけどさ、あんたらを目撃した人が此処に来ないとも限らないし」


「建設的な意見をどうも。じゃあ膝を突き合わせて、同窓会でもするか」 


「でしたら、お飲み物をご用意しますわ。お二人とも、珈琲で良いですか?」


 弾んだ声で少女は言う。シズマは自分のペースが乱されるのを感じながら、面倒になって首を縦に二度振った。

 少女が立ち去ると、二人は靴を脱いで中へ入った。一人用にしては大きく、恐らくはあの少女と一緒に入るために二人用の個室を借りたと推測できる。


「ねぇねぇ、シズマ。この子が「クソ生意気なハッカー」? お兄ちゃんに紹介してよぉ」


 何やら楽しそうなエディの顔面を殴りたい気持ちにかられつつ、シズマはシートに腰を下ろした。


「クソガキ、この馬鹿に自己紹介してくださいませんか。俺はもう疲れた」


「年なんじゃないの? 僕はオリモト・イオリ。「フォックス」って名前の方が知られてるかな。よろしくね、「ヴァルチャー」さん」


「あらぁ、俺のこともご存知なわけ? 流石は凄腕のハッカーさん」


「まぁハッキングで得た知識じゃないけどね。オジサンから聞いているかわからないけど、僕はACUAの管理者Administratorなんだ。あのネットワークに浮遊する噂話をキャッチするくらい朝飯前だよ」


 世界に張り巡らされた、噂話のネットワーク「ACUA」。それは十五人の管理者によってメンテナンスされている。オリモト・イオリはそのうちの一人であり、一年前にはハッカーとして能力のみでなく、その肩書に相応しい働きで、シズマの仕事を手助けした。


「ちょっと困っていることがあって、オジサンを探していたんだ。でも、どうやらそっちも僕のことを探してたみたいだね」


 イオリは伺うような視線をシズマへ向ける。それを真正面から受け止めたシズマは、小さく肩を竦めた。


「まぁ、適当に入った場所で出くわすとは思わなかったけどな。というかお前なら、俺があのチャイナフード店に行ったかどうか、わかるんじゃないのか」


「わからないんだよ。それで困ってるわけ」


 イオリは頬を膨らませる仕草をして、憤慨と困惑を示した。


「ACUAが止まっちゃったんだ」


「エストレもそんなことを言っていたな。仮死状態みたいだ、とか」


 シズマの言葉にイオリは肯定を返す。指先は苛々と端末の蓋に貼られたステッカーを引っ掻いていた。


「全管理者が調べてるけど、原因は不明。メインコンピュータのアドレスに対してソケットを飛ばすと、応答はあるけど内部へのアクセスが弾かれる。どうも中の処理が止まっちゃってるらしいんだよ。実機がこの国にあるから、調べてこいって言われてるんだけど……」


「ブルーピーコックのところまで辿り着けないってか」


 シズマがそう言うと、イオリは意外そうに目を見開いた。


「何でその名前を?」


「俺もそのメインコンピュータに用事があるんだよ。このチップの中身を見るためにな」


 メモリチップを取り出してイオリの前に差し出す。

 最初はそれが何か、イオリはわからないようだった。目を眇めて眺めること数秒、弾かれたような声を出す。


「ブルーピーコックのメモリチップ!?」


「こいつのせいで、さっき三階を即席のパーティ会場にしちまったってわけだ。捨てればいいんだろうが、俺は生憎と強欲でな。一度手に入れたものを脅されたからって手放す真似はしたくない」


「じゃあ僕達の利害は一致してるってことだ。僕はブルーピーコックの場所を知っている。オジサンはあのコンピュータに用事がある」


 シズマがそれに言葉を返そうとした時だった。

 個室のドアが開かれて、グラスを三つ抱えた少女が中に上がり込む。スカートの下に履いた真っ黒なタイツが、ゆるりとした軌道をフラットシートに描いた。


「お待たせしましたぁ」


 珈琲二つをシズマ達の前に、ピンク色のソーダをイオリの前に置いた少女は、笑顔のままその場に座る。安っぽい樹脂グラスを掴んだシズマは、暫くの間忘れていたその存在に改めて目を向けた。

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