2.場違いな景色

 受付横の扉をカードで開けて入ると、まず最初に二階へ伸びるスロープが現れた。左右の壁は造花と造草に埋め尽くされ、天井には青空の映像が映し出されている。二人はそれを見て同時に嘆く声を出した。


「まずいぞ、ヴァルチャー。俺は今、激しく後悔してる」


「奇遇だね。お兄ちゃんも底知れぬ吐き気を覚えているよ」


 スロープを昇りきった場所で二人が見たのは、ある意味想像通りの場所だった。

 広いフロアには、いくつもの個室が中央を避けるように放射状に並んでいた。中央部には大きな人工樹が、大袈裟なほどに生い茂った枝葉を四方へ広げている。葉の一枚一枚は光を通すファイバーで作られているらしく、一定時間ごとにその色を変えていた。木の根元に並んだスツールは切り株を模したもので、何の意味があるかはわからないが動物の像も添えられている。

 床は草原をイメージしているのか緑色の毛足の長い絨毯であり、偶に掃除用のロボットが通り過ぎていくのが見えた。


「最悪だ」


「流石に場違いだねぇ」


 三階に続く扉を、同様にカードで開錠する。今度は夕暮れをイメージしたスロープが現れた。この時点でシズマは帰りたくなっていたが、エディに背中を押されて仕方なく上階へ移動する。


「なぁ、もしかして世の中には俺達が生活する場所はないんじゃないか? そんな気がしてきたぞ。そのうち、チャイナフード店も骨董屋も森に食いつぶされるんだ」


「不吉なこと言わないでよ。否定出来ないのが辛い」


 三階には二階と同様に大きな木が枝を広げ、鳥の模型と共に星型の照明が吊るされていた。空には目もくらむような夕焼けが投射されている。


「で、シズマの探し人は此処にいるわけ?」


「正直わからないな。あいつがこんな場所を好むとは思えない」


「じゃあなんで来たの?」


「そいつの名前が「フォックス」だからだ」


 自分でも馬鹿らしいと知っている表情でシズマが言うと、案の定エディは愉快そうに口角を吊り上げた。


「それは良い。今度俺も使ってみよう。シズマを探したい時にはソープランド「アケガラス」の扉を叩けばいいんだ」


「鼻の穴にローションぶち込まれてぇのか」


「あらやだ、お下品。「フォックス」って凄腕のハッカーでしょ。名前だけは知ってるよ」


 女言葉で冗談を言った後に、エディはそのまま話を戻した。

 天井に投影された夕焼け空に黒い鳥影が映りこむ。


「シズマは、あまりネットとか使わない方だと思ったけど」


「一年前に、ある仕事で知り合った。まぁあいつが自分の目的のために俺達に付きまとっていたというのが正しいけどな。クソ生意気なガキだが、腕は確かだ」


 この階にも目当ての人物はいないようだった。フロントで案内された部屋はすぐ近くにあるが、シズマは中に入る気にはなれなかった。あの薄い扉を開けた先に兎の彫刻や花畑があったらと思うと、どうしても気が進まない。


「上に行くか」


「次はなんだろうねぇ」


 四階へ続く扉の前に立ったシズマは、先ほどと同じようにカードをかざした。だが、短いビープ音が何度か鳴った。ロックは解除されず、扉は閉ざされたまま二人の入室を拒む。


「あれ、入れないのかな?」


「おいおい、カラスとヴァルチャーが森の中を自由に移動も出来ないのかよ。とんだ笑い種だぜ」


 シズマが毒づいた瞬間だった。

 空気が抜けるような小さな音がして、何かが右耳を掠めた。焼け付く痛みを認識するより先に、目の前の扉に直径五ミリほどの穴が開く。

 アンドロイドが好んで使うスチーム銃だと気付くと、シズマは自分の銃を抜いて振り返った。夕暮れの森を模した部屋に不釣り合いな緊張が走る。


「ヴァルチャー」


「わかってる。今のは威嚇射撃だね。部屋のどこかに隠れてるよ」


 立ち並ぶ個室はいずれも扉が閉まっている。そのうちどのぐらいが使用されているかはわからないが、此処には一般の客もいる。無駄に銃声を響かせて客たちをパニックに陥れるのは双方にとって良策ではない。

 シズマは銃の側面の歯車を回すと、銃口をサイレンサーに切り替えた。エディは義足から出したワイヤーソーを手に持ち、数センチ分を指で引き出していた。


「エレベータで俺がミンチにした人の仲間かな」


「通りすがりの猟師かもしれないぞ。鳥を二羽撃ち落として、今日はパーティだ。帰り際にベニテングタケでも摘んでいけばパーフェクトだろうよ」


「奥さんは涙を流して喜ぶだろうねぇ」


 その短いやり取りを遮るかのように、再び高圧縮されたスチーム弾が二人の間を抜ける。二回の発砲はどちらもかすりもしなかったが、発射角度を教えるのに十分な役割を果たしてくれた。

 先に動いたのはエディだった。義足で床へ踏み込むと、フロアの中央に向かって跳躍する。着地とほぼ同時に右手を振り切ると、ミシリと小さな音が鳴った。人工樹が四方へ伸ばした枝の一つが、ワイヤーソーによって絡められた音だと、襲撃者が気付いたかはわからない。エディが軽く腕を引くと、人工樹の一部はあっけなく切断された。床へと落ちた枝は突然制御を失ったためか、葉の色を滅茶苦茶に変更しながら警告音を響かせる。


 少し遅れて各個室から驚いたような声が上がり、何人かが外へと出てくる気配がした。足音は不規則で、悲鳴と共に絡み合うかのように耳障りだった。シズマはその音の中に意識を集中する。一つだけ、明確な目的を持って動いている足音が混じっている。その音は二人へと向かっていた。


「避けろ、ヴァルチャー」


 シズマは歯車を回すと、明滅を繰り返す人工樹に電撃弾を二発撃ちこんだ。バチリとショートする音が聞こえて、枝の中の回路が次々に焼き切れる。不愉快な匂いと共に煙が上がり、瞬く間に室内へ満ちた。煙の向こう側で腹立たし気に銃を撃つ気配がしたが、それらは電撃をまとった煙に遮られて二人へは届かない。


「上だ」


「逃げないの?」


「今、下に行ったら思うツボだろ」


 肩に口を寄せるようにして煙を吸い込まないようにしながら、シズマは再び扉へと手を伸ばす。だがその時、煙の向こうから短い声が響いた。

 それは声と言うよりも、思わず喉から零れ落ちた音と表現したほうが相応しいものだった。シズマはその音を今まで何度も耳にしたことがある。背後から標的を捕えて、喉を締め上げれば、人間でもアンドロイドでも同じような反応をする。今の音は、丁度その記憶と合致した。


 白い煙の向こうで、火花が散る。

 アンドロイドが活動を停止した時の、独特の警告音が鳴り響いた。


「おいおい、次はなんだよ。此処はファイナルステージか? 俺はこまめにセーブする派なんだけどな」


 警戒しながらシズマは銃を構える。

 煙を突き抜けて、何かが二人の足元に放り込まれた。シズマは一瞬だけそれを見て、再び視線を上げる。引きちぎられたアンドロイドの首は、ガタリと転がってエディの足に当たった。鋭利な刃物で切り離された断面から、今更のようにオイルが流れ出す。

 シズマは銃の出力を調整しながら、相手の次の出方を伺う。しかしその緊張は、小さな咳払いによって崩された。


「警戒なさらないでくださいな、シズマ・シリング様」


 細くて高い女の声が続く。丁寧な口調と反して、幼さが強く滲んでいた。

 煙の中をかき分けるようにして、一本の長い刃物が現れ、その柄を握る華奢な左手が続く。シズマは目を見開いたが、それは警戒のためでもなければ、刃物の鋭利な輝きのためでもなかった。最後に姿を見せた相手が身にまとった、黒いセーラー服を見たためだった。


 唖然とする二人に対して、セーラー服の少女は恭しくお辞儀をした。

 二本の三つ編みにした長い金髪。その先で揺れる赤いリボン。大きな青い瞳に少なくとも敵意は見られないが、まるで古い映画から抜け出してきたかのような姿は、冗談にしても出来すぎだった。


「初めまして。イオリ様のご命令にて、貴方がたを迎えに上がりました」


「は?」


「御同行して頂けますね? こちらとしても、手荒な真似はしたくありませんの」


 笑顔と共に、少女は小首を傾げる。唇から覗いた八重歯は人工的な輝きを帯びていた。

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