3.エレベータでの雑談

「でね、そのチャイナフードのお店なんだけど」


「行かないって言ってんだろ」


「狭いんだよね。まぁそれがいいんだけどさ。俺の店もそうなんだけど、狭いと動きにくいじゃない?」


「てめぇの店は狭いんじゃなくて、スペースを無駄遣いしてるって言うんだよ。ゴミを捨てろ、ゴミを」


「ゴミなんてないよ。あれはすぐに手が届くようにレイアウトしてるだけ。狭いとそういう利点もあるんだよね。痒いところに手が届くってやつ」


 明るい口調で言いながら、エディは目配せをした。シズマは正確にその意図を読み取ると、すぐに膝を折ってしゃがみ込む。先ほどまでシズマの頭があった場所をナイフが通過したのは、わずか一秒後のことだった。


 二人の左側から投擲されたナイフは、キンと音を立ててエレベータの壁に突き刺さる。それと同時に舌打ちする音が聞こえた。ホテルのボーイを装っていた男はワゴンに乗せていた品々の中にナイフを紛れ込ませていたらしく、チーズの皿が床の上にひっくり返っていた。


「ルームサービスはさぁ」


 次のナイフを構えた男相手に、エディはのんびりと呟く。


「クロスなどで覆って運搬すること、って壁に貼られたマニュアルに書いてあったよ。化けるならもう少し上手くやらないと」


「その荷物を渡せ」


 男はエディが背負ったバックパックを見ながら、低い声で言った。ただの物取りにしては手が込みすぎている。エディは必死さすら滲む相手の態度に対して笑みを見せた。


「嫌だ」


 拒否されることは予測済みだったのか、男はエディの喉元目掛けてナイフを突き出した。躊躇も何もない、殺意をこめた一撃。それは男の目的があくまで荷物にあることを示していた。

 狭いエレベータの中で、男のナイフはすぐにエディへ届く筈だった。だが、何の予告もなくナイフは突然、宙に止まる。まるで見えない壁があるかのように、それ以上先へ進まなくなった。

 驚く男の目の前で、エディは右手を持ち上げる。エレベータ内の照明が、エディの指先から伸びた何かに反射していた。


「ナイフ振り回したら危ないよ。でも、ちょっといい物だから貰おうかな」


 右手を軽く握り、エディは手を下へ下ろす。

 宙に留まっていたナイフが男の手を離れた。否、正確に言えば男の手首から先が体から切り離されたためだった。目に見えぬ何かが、男の体を切り刻み、手を、足を、分断する。

 突然のことに何か男は叫ぼうとしたが、その舌すらも刻まれたため、ただ間抜けな音が喉から零れ落ちるに終わった。

 時間にして僅か数秒。エレベータの中に人間だったものが崩れ落ち、その血を四方にまき散らす。エディは血だまりに浮かんだナイフを拾い上げると、それをそのままバックパックの中に入れた。


「大丈夫、シズマ?」


「もう少し俺に配慮して振り回せ。お前の武器は見えにくい」


 シズマはエディの右手を見る。その先から伸びているのは、極細のワイヤーを人工ダイヤでコーティングしたワイヤーソーだった。可動範囲は自らを中心とした半径二メートル。狭い場所では非常に高い威力を発揮する。

 先程ナイフを止めたのも、蜘蛛の巣のように張られたワイヤーであり、視覚が異常に優れてでもいない限り、初見で見破ることは難しい。


「ちゃんと当たらないようにはしてるよ。お前がチキンみたいに左右に逃げまどわない限りは安全だ」


 エディは右手に握りこんでいた小さな球体の部品を、親指と人差し指の間に挟んだ。両側の窪みを強く押し込むと、ワイヤーが音もなく巻き取られる。それは普段、義足のパーツとして存在するものであり、エディ以外は取り出すことが出来ない。


「さて、ただの追いはぎじゃなさそうだよ。それに多分お目当ては……」


「わかってる。学校の先公じゃあるまいし、逐一答えを引き出そうとするな」


 下降するエレベータの中が血の匂いで染まっていく。だが「カラス」と「ヴァルチャー」に取っては似合いの場所とも言えた。


「さっき言ってたチャイナフード店に行くぞ」


「あれ、お腹空いたの?」


「それもあるが、俺はあの店に用事が出来た。別にお前は来なくてもいいけど、どうする?」


 聞くまでもないことだと知りながら、それでもシズマは一縷の望みをかけて尋ねる。返事は満面の笑み一つだけだった。



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