2.カラスの白昼夢

 シズマは壁に埋め込まれたクローゼットを開き、中を見る。スーツが一着下がっているだけで、あとは目ぼしいものはない。念のためスーツも調べたが、ゴミ一つ付着していなかった。

 クローゼットの床部には嵌め込み式の金庫もあったが、それには鍵もかかっておらず、中は空だった。細かな埃がかかっているところから見ると、使用された痕跡もない。


「ここじゃねぇな」


 依頼主は標的を殺害の上で、その「なにか」を持って来させようとした。つまり、標的がどこかに隠しているか、容易に取り出せない場所に収納している可能性が高い。

 標的はホテルを借りて生活をしていた。いくらアンドロイドとは言え、清掃はさせるはずである。となれば、清掃時に汚損してしまうような場所は避ける筈だった。

 クローゼットのすぐ横には小さなシューズケースがあった。人間が足の裏を保護するために靴を履くように、アンドロイドも足の部品を守るために靴を履く。下着をつけるアンドロイドは流石にいないが、靴を履いていないアンドロイドをシズマは殆ど見たことがない。

 一年前、ある玩具店にいたアンドロイドは裸足だったが、あれは嗜好の問題ではなく、足裏の平衡センサーが壊れかけていて、靴を履くと立っていられなくなるからだった。


 ケースの中に革靴が一つ収まっていた。土ぼこりで両側が汚れているのを見て、シズマはそれを手に取る。このように均等に汚れがつくということは普通に歩いていれば起こりえないし、ましてこの部屋を借りていたアンドロイドの社会的立場からして、汚れた靴をいつまでもそのままにしているとは考えにくい。

 靴をひっくり返すと、汚れに反して真新しいソールがあった。シズマはソールの継ぎ目に爪を立て、躊躇いもなく本体から引きはがす。想像通り、ソールの中は空洞になっていて、小さなメモリチップが透明なケースに入った状態で収まっていた。


「多分これだな。ハイド&シークは俺の勝ち、って……」


 ソールの中からケースを取り出そうとした時、一瞬指先に痺れるような感覚が走った。バチリと安物のバッテリーが起動するような音と共に、シズマの視界が斑に歪む。

 そして耳元で、誰かの声がした。


「止めておいたほうがいいさね」


 妙な口調の、男とも女とも知れない声が囁く。シズマはそれをどこかで聞いたことがあったが、脳が上手く働かない。


「トラバサミに自分で手を入れることもない」


 脳を揺さぶられるような不快感に眉を寄せ、シズマは口を開く。だが発せられた言葉は意識しないものであり、何を言っているのか自分でも理解出来なかった。


「俺はそんな間抜けじゃない」


「前から思ってるんだけど、自己評価が高いさね。もう少し謙虚に生きたほうがいい」


「放っておけ。てめぇがトラバサミに噛まれて立派なミンチになる分には結構だ。でも仕事をしないとなりゃ話は別だろうが」


「ミンチになっても仕事をしろって? 君、殺し屋よりも社長になったほうが良いと思うさね」


「そしたらてめぇを雇ってやるよ」


 何か言葉を続けようとした。それは誰かの名前か、呼び名だった。

 だが舌の上を声が滑るより先に、再びシズマの意識は現実へと引き戻された。


「どーしたの? 何か見つけた?」


 意識を引き戻した当人たるエディは、後ろからシズマの手元を覗き込んでいた。


「……お前、今何か言ったか?」


「何かって?」


 シズマは今起きたことを話そうとしたが、直前に思いとどまる。相手に言ったところで何か解決するとも思えなかったし、そもそも既に内容を忘れかけている。白昼夢でも見たのだろう、と自分を納得させるほうが早かった。


「別に何でもねぇよ。探し物は見つかったから、先に帰っていいか」


「ちょっとはお掃除手伝ってくれてもいいと思わない? お兄ちゃん、お前と同じでタダ働きは嫌いなの」


「珍しく意見が合ったな」


 シズマは相手に貸しを作るのは避けたかった。そんなことをすれば最後、半年ほどは厭味ったらしくまとわりついてくるに決まっている。シズマは出来ることならエディには会いたくないし、極力次の約束も作りたくはなかった。


 部屋中に飛び散ったアンドロイドやガラスの破片を回収し、壁や床に付着したオイルを水と洗剤を使って除去する。単純ではあるがそれゆえに根気の要る作業は数時間にも及び、まだ日の高いうちから始めたにも関わらず、終わるころには夜になっていた。


「はい、お疲れ様。いやぁ、助かったよ」


「こういうのこそ、アンドロイドがやるべきなんじゃねぇの?」


「ケースバイケースな仕事だから、人間じゃないと対処出来ないものも多いんだよね。アンドロイドは融通ってもんが利かないから」


 部屋からかき集めた「遺品」を持ってきたバックパックに詰め込みながらエディが言う。元は黒かっただろう生地は日に焼けて擦り切れ、長年使い込んでいるのが明らかだった。だが、それをずっとエディが使っていたのか、あるいは使い古したものをどこからか持ってきたのかは定かではない。


「じゃあ出ようか。どこかでご飯食べる?」


「てめぇとは食わない」


「この前、美味しいチャイナフードの店見つけたんだよ。水餃子が美味しくてさ。店長さんに「今度は弟と来ます」って言っちゃったんだよね」


「猶更行かねぇ」


 部屋を出た二人は、来た時と同じように従業員用通路へ入る。

 エレベータを呼ぶためにスイッチを押すと、数秒してから扉が開いた。中にはホテルのボーイが一人、金属製のワゴンと共に立っていた。どこかにルームサービスを運ぶ途中のようで、ワゴンの上にはグラスとワイン、それに上等なチーズが置かれている。

 ボーイは二人を見ると、少し右に移動してスペースを作った。エディは礼を言いながら乗り込み、シズマもそれに続く。

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