5.路地裏の骨董屋

 その言葉にどう返したのか、シズマは覚えていなかった。

 いつもの軽口の延長として片づけたのかもしれないし、あるいは性質の悪い冗談だと決めつけて聞き流したのかもしれない。どちらにせよ、記憶に残っているのはストリッパーに与えたチップが少々高額だったということだけだった。


 確かにフリージアは消えたが、それで存在を忘れるほどシズマは冷淡でもなければ馬鹿でもないと自覚している。かといって、フリージアが意味もなくあのようなことを言ったとは考えにくかった。飄々として掴みどころのない性格をしているが、無駄なことはしない。


「何なんだ、本当に」


 小さな呟きを、目の前を通過していったトラックの音が掻き消した。数百年前はガソリンで動いていた乗用車は、今では蒸気と電気で動いている。昔の車は非常にうるさかったと言われているが、シズマは今の蒸気音と発電音もそれなりに煩いと思っていた。


 トラックが通り過ぎた後、シズマは道を横断した。その先にあった路地に体を滑り込ませると、目的地を目指して無心に足を動かす。特にそこに行こうと決めていたわけではない。滅多に来ることのない方角に来たため、そのついでとして知り合いに顔を出そうとしたに過ぎない。


「まぁ一年ってのは持ったほうだな」


 殺し屋として手を組んだ相手は、今までも何人か存在した。そのうち一人は標的に捕まって硫酸で溶かされ、一人は目の前で額を撃ち抜かれて死んだ。あとはまだ生きている者もいるが、行方不明になった者のほうが多い。

 フリージアがいなくなったのも、そのうちの一人として片づけるべきだった。


 だが本能のどこかが、それに警鐘を鳴らす。

 シズマがここまで生き延びてきたのは、「勘の良さ」があったためである。それをシズマは素直に認めていたし、同時にそれに頼っている部分もあった。

 母親の恋人に薬物を捏ねた飴玉を食べさせられそうになった時も、初めて付き合った女に寝ている隙に刺されそうになった時も、仕事で組んだ相棒が下手を打って敵に捕まり、助かりたいがあまりに自分を罠に嵌めようとした時も、そのどの時もシズマは「悪い予感」を信じて立ち回ってきた。


 フリージアが消えたのは、単なる行方不明では片づけられない。理由はないが、シズマの本能がそう告げていた。


「カラス!」


 明るい声が思考に割り入り、シズマの足を止める。

 路地裏にいくつも並んだ鉛筆のように細いビルは、お互いにお互いの壁を支えとして建っているように見えた。そのうちの一つの窓から浅黒い肌の若い男が身を乗り出している。

 鮮やかなスカイブルーに染めた髪を長く伸ばして、高い位置で結っているのが特徴的だった。


「ひっさしぶりー。元気?」

「久しぶりか? 半年前に会っただろ」


 二階にいる相手に、シズマは少し声を張って返す。


「半年なら十分久しぶりじゃん。遊びに来てくれたの?」

「お前となんか誰が遊ぶか、クソ骨董屋。仕事で調べたいことがあるから力を貸せ」

「情報屋のアイスローズは?」

「ツケを先に払えってうるせぇんだよ」


 男はそれを聞くと楽しそうに笑った。右手で軽く握りこぶしを作り、親指だけを立ち上げる。そしてヒッチハイクでもするように拳を顔の横で振った。


「上がってきなよ。珈琲ぐらいなら出すからさ」

「そりゃどうも」


 シズマは目の前の細いドアに手を掛ける。少なくとも太った強盗からは身を守れそうな入り口は、ただでさえ狭いのに靴や傘が積み上げられていた。それらを巧妙に避けながら、二階へ続く階段へと向かう。

 肉薄するほど近い壁には「琥珀堂」とペンキで直接店の名前が記されていた。


「階段ねぇ、なるべく真ん中通ったほうがいいよ。ゴキブリに足の角質を食べられたいっていうなら別だけど」


 上から聞こえる声にシズマは、相手に見えないにも拘わらず大仰に顔をしかめた。


「この店ごと焼き尽くしてやれ」


「やーだよ、賃貸物件なんだから」

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