3.静かなネットワーク

 ビルの二階は小さな応接室を兼ねた事務所になっており、一階から漂う匂いも多少和らいでいた。


「随分妙な店を始めたもんだな」


「といっても共同出資なのよ。友達と始めたお店なの」


 エストレは冷たい紅茶をシズマに差し出す。硝子のコップはレース柄で、乙女趣味が過ぎていた。シズマはそれを一口飲んだ後、「で?」と切り出す。


「お前、フリージア見なかったか?」


「先週、シブヤで会って以来だわ」


「よく会うのか?」


「貴方よりはよっぽど」


 向かいに腰を下ろしたエストレは、一緒に持ってきたクッキーをテーブルに置いた。


「俺には会いに来ないくせに、冷たい女だな」


「だって暗証コードを思い出すまで連絡するなって言ったのは貴方じゃない」


「本気にする奴がいるか」


 不機嫌に言うシズマとは対照的に、少女は華やいだ笑みを見せる。


「あら。私に会いたかったの?」


「冗談じゃねぇ。俺はもっと胸の大きいのが好みだ」


「素直じゃないわね」


 エストレ・ディスティニーは、シズマの元依頼人だった。

 アンドロイドと人間の間に生まれた奇跡の存在である少女は、人間になるためにシズマに「自分の中のアンドロイドの部分を殺してほしい」と依頼した。

 いくつもの死線を超えて、念願は果たされた。だが、その時に取った方法が荒療治過ぎたためか、エストレはシズマに渡す報酬が入ったネットバンクの暗証コードを忘れてしまった。

 それを聞かされたシズマが、呆れ半分怒り半分で先ほどの台詞を言ったのが一年前。それから二人は一度も連絡を取っていなかった。


「もう少しで思い出せそうなの。記号とアルファベットと数字の十六桁の組み合わせだもの。あと三年ぐらいあれば思い出せるわ」


「それは思い出すんじゃなくて手あたり次第試すって言うんだ」


「ちゃんと思い出したら連絡するわ。フリージアのことだけど、ACUAアクアで探してみる?」


「まだあのネットワークに関わっているのか。えーっと」


「正式名はアセストン・ネットワーク」


 少女はそう言いながら、テーブルの下に入れていたノート型端末を取り出した。


「かつて臨床実験で作り出された、人の噂話の伝播を調べるためのネットワーク。ありとあらゆる噂話が玉石混合で転がっている。このネットワークを理解すれば、自分の思い通りの噂話を流したり、それにより何かを実現させるのも思いのままってわけ」


「前は直感的に操っていたな。今でもその力は残っているのか?」


「半分イエスで、半分はノーだわ。一年前に比べると直感的な要素は薄れている。だからその分、技術で補うことにしたの。結果を知りたい?」


 シズマは首を横に振った。


「さっき、見たから結構だ。この店の客は噂話で操られて集まってきたんだろう?」


「最初だけよ。後は純粋に彼女たちのご厚意」


 端末を操作しながら、少女は饒舌に語る。一年前と変わらぬ姿にシズマはどこか安堵していた。

 思わず頬を緩めたのを、エストレが端末を操作しながら一瞥する。


「どうしたの?」


「何が」


「楽しい事でもあったの?」


「まぁ似たようなもんだ。そういえば、フリージアのことを調べたことなかったのか?」


 その疑問に、エストレはきょとんとした表情を浮かべる。しかし、シズマの言いたいことを理解すると、眉間に皺を寄せて口を尖らせた。


「私が人の私生活を覗き見るのが趣味だと思われるのは心外だわ」


「悪かった。そういう意味じゃない」


「興味はあるわよ。彼? えーっと、彼女? どちらかわからないけど魅力的な人だわ。人の店の前のベンチで黄昏れている誰かさんに比べたら」


「ほぉ、そりゃ失礼。お前があのベンチと懇意とは知らなかった」


 エストレはキーボードを叩きながらシズマを見ずに問いかけた。


「結局あの人って、男なの? 女なの?」


「もっと大事な質問を忘れてるぜ。人間かどうかも不明だ」


 フリージアは男にも女にも見える容姿をしており、また自らどちらかを明かしたことはなかった。人間のように見えるが、アンドロイドが認証バーコードを刻む左首筋には、まるでそれを隠すかのようなタトゥーが入っている。


「一年前もてっきり死んだかと思ったら、普通に生きてたしな。不死身なのか、あいつ」


「不死身かどうかは知らないけど、フリージアの「死亡」歴は多いわよ。今拾い集めただけで五個はあるわ」


「売れなくなった俳優かよ。他に有力な情報は?」


「今探しているわ。でも……何か変ね」


「あいつなら四六時中変だろ」


「貴方と同じくね。そうじゃないわ。私が言っているのはACUAのことよ」


 端末から手を離した少女は、長い脚を組んでソファーに座り直した。


「噂話が動いていない」


「どういう意味だ?」


「前より鈍くなったとは言え、私はACUAを直感的に「理解」することが出来るわ。今アクセスしているネットワークは、いつもと全く違う。普段は色々な噂話を飲み込んで、それを秒単位で変質させていくのに、それが全く感じられない」


「まいったね。ネットワークも冬眠するのか」


「冬眠。そうね、それが近いのかもしれないわ。ACUAは死んではいないけど、動いてもいない。フリージアがいなくなったのと同時なんて、偶然かしら」


「やめろよ、俺は信心深いんだ。偶然ってのが神様のお告げに思えてくる」


 大仰に言うシズマとは対照的にエストレは難しい表情で端末に視線を向ける。


「フリージアのことを探ろうにも、ACUAが動かないんじゃ無理だわ。でもこんな状況、私だけが気付いているとは思えない。きっと「彼」も察知している筈よ」


「あのクソガキとは連絡取ってるのか」


「クソガキなんて言うと怒られるわよ。連絡先は一応知っているけど、コンタクトしてみる?」


 その言葉にシズマは首を左右に振った。


「殺し屋に関わって良い事なんかねぇだろ」


「私はいいってわけ?」


「贅沢言うな」


 シズマは立ち上がると、外に続く階段に足を向ける。エストレが驚いたようにその背を呼び止めた。


「どうしたの」


「ACUAが使えないんだろ。だったら用はない。というか別に俺はフリージアを探したいわけじゃない」


「気にならないの」


「ならないね。俺もあいつも、どこかで野垂れ死ぬのがお似合いだからな」


 階段を下り、一階の店舗へ移動する。そこにいた客たちが、店に似合わぬ男を見てピタリと口を閉ざした。シズマはその中を妙に気まずい気持ちで通り抜けると、そのまま早足で元来た道を戻る。


「あぁいうのは本当勘弁して欲しいな。開くなら銃器屋でもやれよ、ったく」


 細い路地を抜けて、大通りへと戻る。

 相変わらず大勢の通行人が行きかう中に紛れ込んだシズマは、流れに任せて駅へと向かう。耳に入ってくるのは他愛もない話や、どこかの店から聞こえてくるタイムセールの告知ばかりだった。

 シズマはそれらを聞き流しながら、何となく最後にフリージアに会った時のことを思い出していた。

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