episode1.フリージアの失踪
1.消えた運び屋
「フリージアがしくじった? 本気で言ってるのかい、カラス」
「本気も本気だ。あいつと仕事して一年経つが、約束の時間に遅れたことはない。それが見ろよ。現時点で五時間の遅刻だ。お陰で俺は防波堤でダンスを踊る羽目になった。奴が急遽サマータイムを取り入れたとしても、こんなに遅くはならないだろ?」
シンジュクの小さなスナックのカウンターでグラスを傾けながら、シズマ・シリングは肩を竦めた。二十六歳にしては高い声質だが、まだ語尾あたりは年齢が滲み出ている。
それに対してカウンターの中で客に出す筈のナッツを摘まんでいる女は、三十半ばの顔を厚化粧でコーティングしているが、それでも隠せぬ気怠い雰囲気を口調に乗せて返す。
「あの子が失敗するなんて、聞いたことないね」
「今日がその記念すべき日ってことだ」
「今回は何を運ばせたんだい?」
シズマはその問いに答える前に、酒を喉に流し込んだ。数日前に切ったばかりの短い黒髪が首にその先を撫で付ける。
「知らねぇ」
「はぁ?」
「殺しのついでに運びも頼まれたから、そっちだけあいつに委託したんだよ。適材適所ってやつだ。それが厄介なブツだったんだろうな。ご愁傷様」
「あらまぁ、冷たい言い草だね。あんた達、仲良くやっていたと思ったんだけど」
運び屋『フリージア』と殺し屋『カラス』が出会ったのは一年前のことだった。
ある少女から受けた依頼を果たすため、シズマはフリージアと共に死地に飛び込み、わずかな間だけ背中を預けた。それは信頼などには程遠い、必要に迫られたがためのことだったが、元から実力主義のきらいがあるシズマにとっては十分だった。
「仲良くっていうのはな、多少なりとも相手の素性を知ったうえで成立するもんだ。俺はあいつのスリーサイズも知らないぜ」
「けど腕前は知っている」
カウンターに身を乗り出すようにして、女はシズマに囁いた。
「放っておくのかい?」
「俺に何をしろって? まさか一銭にもならない仕事のために汗水垂らせっていうんじゃないだろうな」
「アタシはそこまで馬鹿じゃないよ。人情で人が動かせるのは、せいぜい祭りの時ぐらいさ。仕事には対価を。そうだろう?」
安物の香水の匂いと共に、小さな電子端末がシズマの前に差し出された。そこに並んだ数字を見てシズマは眉を寄せる。
「このツケを今すぐ払って欲しいんだけどね、カラス」
「ちょっと待ってくれ」
「あぁ待つとも。財布の場所を忘れたっていうなら、酒でも飲んで頭の中をスッキリさせるかい?」
舌打ちをしたシズマは、グラスの中の酒を全て飲み干して乱暴にカウンターに叩きつけた。他の客が何か言いたそうにこちらを見たのを睥睨で黙らせてから、女へと視線を戻す。
「どうしろって?」
「ある物を届けて欲しいのさ。フリージアに頼むつもりだったんだけど、いないようだからね。一緒に仕事をしていたあんたに責任の一端はあるだろう?」
「連帯責任制度はエド時代に終わっただろ。で、何を何処に運べばいいんだ?」
「これ」
女はカウンターの中から小さな箱を取り出した。
プレゼントのように可愛らしいラッピングがされているが、試しにシズマが持ち上げてみると、金属独特の重みがあった。
「なんだこりゃ」
「女の荷物の中身を聞くなんて野暮だねぇ。知り合いが店を開いたんで、その開店祝いさ。運んでくれるだろう?」
「あんたの知り合い? 碌な奴じゃなさそうだな」
「その通り。一人はトイレの鏡の中にいるよ」
奥の席で酒の追加を要求する声がする。女は「じゃあよろしく」とだけ言い残して離れていった。
シズマはその重い塊を見て暫く黙り込んでいたが、やがて諦めたように溜息をついて立ち上がる。ズシリとしたその何かを手に取り、狭い店を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます