忘却のフリージア

淡島かりす

episode0.プロローグ

0.防波堤とカラス

 風が唸る。

 目の前に広がる黒い海は、波の音だけを響かせながら、まるでタールでも混ぜたかのようなドロリとした憂鬱な雰囲気を漂わせていた。

 防波堤に腰を下ろした男は、黙ってその海を見ていたが、やがて大きな溜息をつくと舌打ちを一つ海へと落とした。


「あのカタツムリ野郎、人を待たせるとはいい度胸だな」


 防波堤の上空には、夜の間だけ作業する照明ロボットが浮遊している。光源としては心許ないが、表に出れない仕事をしている者にとっては、安堵すら与えるものだった。

 しかし、それは同時に人目に付きにくいことも意味する。犯罪多発地帯に共通して言えることは「夜道が暗い」ということである。


 男は立ち上がると、薄暗い防波堤の上で大きく伸びをする。

 それからゆっくりと背後を振り返った。鋭い黒い目には、夜闇の中に動くいくつかの影が映っている。いずれも一定の訓練を受けた者のようだったが、足並みが揃いすぎているのが逆に隙を生み出していた。


「おいおい、握手会は今日やってねぇぞ。カレンダー見て出直しな」


 右手を腰のベルトに滑らせた男は、黒い改造銃を抜いた。浮遊する照明が一瞬、その銃の側面を照らし出す。黒い歯車がいくつも噛みあった複雑な機構。男の親指がそのうちの一つを跳ね上げると、ギチリと音を伴って歯車同士が回転する。銃口が変化して、散弾式へと切り替わった。


「さぁ来いよ。殺し屋カラス様に殺気向けて、無事に帰れるなんて思うんじゃねぇぞ」


 闇に向けて引き金を引く。それが戦闘開始の合図となった。

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