第49話 ただきれいなだけのアンティークドールのように

「帰るぞ、零」

「……はい」


 白殿父は、雨の隙間をうような重低音を響かせて、白殿零の帰宅を宣言した。


「もう二度とこのようなことのないようにお願いします」


 スーツがよく似合う男だった。細身で、背が高く、姿勢のよさが余計に大きく見せた。


「みつかるのがもう少し遅ければ、警察に通報するところでしたよ」


 その眼鏡の奥の自信に満ちた瞳は、どうしようもなく白殿零に似ていて、彼女の言葉を借りるのであれば、間違いなく彼女の父親であった。


「えぇ、心中お察しします。たいへん心配なされたことでしょう。司にはよく言い聞かせておきます」


 母はボーカロイドのように一本調子で、心無い定型文を並べた。そもそも母が他人の心中を察するなどお笑い草である。

 ただ形だけとわかっていても、全面的に香月のせいであり、僕は巻き込まれただけなので、責任の一端があるような言い方は不満である。


「もう! どうしてここがわかっちゃうかな! せっかくいいかんじに誘拐したのに!」


 ぷんすかと筋違いな怒り方をしている香月に対して、白殿父は眉間に皺を寄せた。


「最近の子供はこんなに頭がわるいのか。そんなものGPSを使ったに決まっているだろ」

「え? まさか零の体にGPSを埋め込んで!」

「スマホだ。ちなみにGPSはシステム名であって、埋め込めるものではない」

「は? 何言っているか全然わからない! ねぇ、堂環くん! このおっさん、堂環くんみたいなことばっかり言うんだけど!」


 そんなおバカ報告してこなくてもいいです。


「だいたい頭固すぎ! ちょっと髪染めるくらいいいじゃない!」

「だめだ。おまえらはまだ子供なのだから、過度に着飾るべきではない。女の子ならば、なおさらだ。おかしな奴が寄ってきたら危ないだろ」


 白殿父の考えは、親の思考として、まぁ、一般的な部類だろう。僕も理解できる。だから、白殿父、僕を見て舌打ちするのをやめろ。


「それに体は心を表す。身なり、格好を正しくつくろうことは、結果的に心を養うこととなる。髪を青く染めるなんてのは、零の心に悪影響を及ぼすに決まっている。断じて許すわけにはいかない」

「うわっ! 古くさ! こけ生える! カラーリングなんて、今時、みんなやっているし! その人達みんな心んでいるとか言うわけ?」

「自らの髪色を隠そうとするなんて、心に何かやましいところがあるのだろう。それか、。どちらにしろ、くだらない理由だ。未成熟なおまえ達に許可するべきことではない。あの学校は校則で禁じていないらしいが、私はそちらの方が問題だと思っている」


 独善的ではあるが、特に感情を荒ぶらせることなく淡々と述べる白殿父の様子は、白殿零によく似ていた。


「そもそもおまえ達と議論するつもりもないし、意味もない。時間の無駄だ。まぁ、今回の騒動の責任についてはいずれ学校を交えて話し合おうじゃないか」

「あ! ずるーい!」


 しかも愚直な白殿零と違って、香月など簡単に言いくるめられる程度に闘い方も知っている。


 学校側から咎められることがすこぶる嫌らしい香月は、悔しそうに口をつぐんだ。その様子を見て、白殿父は鼻を鳴らし、母の方に目を向けた。


「あなたも子供の教育には、もっとしっかり取り組んだ方がいい。こんな子供の理論で、大人に口答えするようでは、この先、ろくな大人にならないぞ」

「その子は私の子ではありませんが、討論が不得手ふえてであるのは確かなようです。必須の技術ではありませんが、もう少し訓練した方がいいかもしれませんね」


 何だか話が噛み合っていないような気もするが、母のコミュ力ではこれが限界だろう。


「そんなことを言っているのではなく、私はあなたにも責任があると言っているんだ!」


 母の感情のない話し方にイラっとしたようで、白殿父は声に怒気を含ませた。しかし、そんな嫌味が母に届くわけもなく、小首を傾げさせるだけだった。


「責任の追及は行うとおっしゃられていましたが、お忘れでしょうか?」

「なっ! それは!」

「お忘れでしたらがあるので早めに病院に行くことをお勧めします。それとも、いずれ、というのは数十秒後という意味で使われていたのでしょうか。だとすると、いささか使ですので、用いられる前に定義した方がいいでしょう」


 つらつらと述べる母の言葉に、白殿父は絶句していた。その様子を見て、ハッと気づいたように、母は目を瞬かせた。


「いえ、そんなことはどうでもいいですね。既に要件はお済みでしょう。先ほど、あなたがおっしゃられたように、ここでの議論は時間の無駄です。速やかにお引き取りいただいた方が、双方にとって有益な時間の使い方となると思いますが」


 白殿父は、何か言いたそうに口をパクパクとさせていたが、そうだな、とだけ言って背を向けた。


 白殿零は終始黙り込んでいた。

 まるで幽閉されたお姫様のように、誰かが助けてくれないかとただ願っている。そこにはあっても、はないと、気付けない彼女は、ただきれいなだけのアンティークドールのように押し黙っていた。

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