9話:煤で黒ずむ棺
「これからどうしようか」
暗闇の中、私は細やかな砂の地べたに座り込んで、膝を抱えながら、彼にそう問いかけた。
対面する彼の顔は、視界を染める黒の中にあっても美しい。
彼は少し背を丸めながら、胡坐をかいて思案している。
「どうするってもな。そう広い島じゃねえ。隠れてても、もって三日ってところだろうさ」
「でも、あの数を相手にするのは無理だよ。二人じゃどうしようもない」
送られた港街で目にしただけでも、それなりの数の兵士が居た。
全体で見れば、もっと多くの兵士が居るだろう。
とても、個人でどうにかできる数ではない。
「じゃぁ、仲間でも募ってみるか? 牢屋に行けばいっぱい居るだろうしな」
ジーグは皮肉気にそう言うと、汚れなど気にしない様にゴロリと寝転んだ。
艶のある太ももを惜しげもなく、言い方を変えればはしたなく晒しながら、うんうんと頭をひねっている。
どこか焦れた様子の彼をみてなんと無しに、言葉を紡いでしまった。
「……何か、急いでるのかい?」
「……」
踏み込むべきでなかったのかもしれない。
だが、言ってしまったモノは仕方ない。
放った弾丸は、手に戻す事はできないのだから。
「そういえば、聞いてなかったよね。君は何をしに、新大陸に?」
「……」
「言いたくなかったら、言わなくても良いよ。ただの興味だからさ」
取り繕うとして、おかしな事を言ってしまった。
我ながら卑怯な言い方だと思う。
不快に思われてないか心配になって、少しずつ慣れてきた暗闇の中、私は彼の表情を伺う。
「……ヒトを」
「え?」
「ヒトを探してる。一人じゃないから、ヒト達って言った方が良いかもな」
ほんの少しだけ、会話に間が空いた。
ジーグは寝転がりながら、足を組む。
身じろぎをする猫を思わせるその動作は、彼の蠱惑的な格好も相まって、情動を煽るモノだった。
「旧大陸でちょっと気になる事を耳にしたもンでね。手がかりがあるかもしれねぇと思ってよ。『太陽の王国』の港町でこっちに向かってたら、アレに捕まった訳」
「良くその恰好で乗れたね。あの国は宗教にうるさくは無いけど、祖神教徒相手にあまりいい顔はしないだろう?」
「酒場で偉そうな船乗り見つけて、ちょっと股開いてやれば簡単だったよ。それと、南方人全員が祖神教徒だと思うなよ」
彼は柳の様な細い眉を楽しそうに歪ませて、そう言った。
気を害していない事が分かって、少し安心する。
それにしても、小さな体に似合わず、逞しい事だ。
確かに、私だってドキリとさせられる事がある位なのだから、色に飢えた船乗りには覿面だろう。
そうやって感心していると、彼が突然上体を起こして言った。
「お姉さンの方はどうなンだよ。新大陸にはなンで?」
「僕かい?」
「俺だけ話すのは、不公平だろ?」
また、少しだけ間が空く。
膝を抱える手の先が、僅かに冷えた気がした。
「……君は、旅をして長いのかい?」
そう問いかけると、彼は自身の頭の中を覗くように、片目を瞑った。
そして数度の呼吸の置いてから、口を開く、
「まぁ、そうだな。短くはない」
「……僕はね、色んなモノを見たいんだ」
「……色んなモノ?」
「うん。有り体に言うと、旅がしたい」
三角を作っていた脚を解いて、私は立ち上がった。
ゴツゴツとした岩肌に身を預けて、右の手で、その感触を確かめる。
少し湿っていて、冷たい。
自然がもたらした硬質は、どこか寂しさを感じさせる。
「昔から、物語を読むのが好きでね。特に異国を舞台にしたやつは、ボロボロになるまで読んだよ」
「……」
「僕の子供の頃はまだ本は高くてね。養母に叱られて……」
彼女と話す事はもう、二度と叶わない。
もう30年以上前になるが、今でもあの慈しみに満ちた顔を、ハッキリと思い出せる。
「……いや、この話は関係ないか。まぁとにかく、旅がしたかった」
「……なるほどな」
「それに丁度、国からちょっとした仕事も請け負っていてね。大した仕事じゃないけど、それを言い訳にさせてもらって、この大陸に来たんだ」
外の風の音が反響し、その音色が洞穴の中を支配する。
それはまるで、気味の悪い怨嗟の声の様だった。
なんだか気恥ずかしくて、少し顔が熱くなってきた。
瞬き程の沈黙の後、どうにか話題を変えようと頭を回している最中。
どこか遠くで、鐘の音が響いた気がした。
「っ!?」
その重く荘厳な音色に一瞬、身を固くする。
思い返すのは、私達を吹き飛ばした魔術の砲弾。
片膝を立てて座り込んでいたジーグを見ると、彼にも聞こえたのか、見るからに警戒の色を濃くしている。
両手と背中がしっかりと岩肌に付くようにして、衝撃に備える。
が、いつまで経っても、あの衝撃は訪れない。
違う場所を狙ったのかとも思ったが、空気の爆ぜる音は聞こえてこなかった。
「……なんだ。何の魔術?」
「さっきのと同じヤツじゃねえのか」
「多分違う。アレと同じか似た魔術なら、とっくに着弾してる筈……」
そう言いかけると、またもや鐘の音が鳴る。
ただし今度は、もっと近く。
その音は子供を恐れさせる様な風の音をかき消して、この洞穴のどこからか聞こえてくる。
この空間を遊びまわる様に、鐘の音が反響して発生源を掴めない。
「一体どこから……」
壁に手をやりながら、耳を立たせて音を拾おうとするが、やはりダメだ。
森の木々を縫った先、離れたリスの足音だって聞き分ける私の耳も、この状況では役に立たなかった。
意味はないだろうに周囲を見渡していたジーグがピクリと、動きを止める。
「ジーグ君、近くに来てくれ。状況が分かるまで固まってないと……」
そう言い切る直前。
数歩離れた位置にいたジーグが、突然に洞窟の奥へと駆けて行った。
「ちょ、ジーグ君!?」
「お姉さンはそこにいなっ」
あっと言う間に、少年は光の届かない暗闇の先へと消える。
その足取りは、まるで光を捉えているかの様にしっかりしたモノだった。
思いがけないその行動に、しばし呆然としてしまう。
「……あぁもうっ!」
頭を何度か振る。
そして私もまた、彼と同じ様に沼の底を思わせる暗がりへと走った。
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「クソがっ、離しやがれ!」
「暴れるな!」
海から来る匂いの濃い風の中、金髪の『罪人』が縛られ牢へと送られていく。
縄を巻かれた側と、巻く側。
そのどちらも、見て分かる程に疲労している。
それを見て、自然とため息を吐いてしまう。
「よう、アルフォル」
屋敷の入口に立っていた自分に、聞き覚えのある声がかかった。
声の方を向くと、茶色の髪を短く切り込んだ中肉中背の男が立っていた。
見た限り、彼に目立った汚れはない。
だが自分も彼もきっと、酷い臭いを漂わせている事だろう。
水で多少流したところで、血や臓物の悪臭は簡単には取れない事は、経験上良く分かっていた。
「ゴラーズ! 怪我はないか?」
「腰がいてえ。こりゃあ女の子の相手するのはしばらく無理だな。……総督の様子はどうだ?」
彼はそう言って、首に手をやって骨を鳴らす。
いつも通りの彼の言動に、少し安心した。
一つ息を吐いて、彼の問いに答える。
「今のところ命に別状はない。ただ、火傷の範囲が広いからな……。司書がつきっきりで診てる。復帰には時間がかかるだろ」
「歴戦の戦士様も、寄る年波には勝てないか」
「口を慎めゴラーズ。どこで誰が聞いているかわからんぞ」
彼は皮肉気に口を歪ませて、肩を竦ませた。
そのまま力が抜けた様に、灰色の欄干に腰を掛けた。
石で出来た固いそれを、右手の指で何度か叩きながら、彼は口を再び開いた。
「最近、ウチはツイてないよなぁ」
「……」
「こっちもあっちも、色んな所で独立騒ぎ。本国じゃ『緑林の王国』に艦隊を潰されたって話も聞く」
ゴラーズの口調は世間話をするかの様に軽いモノだったが、その中身は重い。
我が国の現状は控えめに言って芳しくない。
歴史上、数々の国家が興っては滅んでいった。
我が国は、歴史書の
「下の連中も民衆も、ずっとピリピリしてるしな。知ってるか?大陸側の噂」
「どの話だ?」
「各地の役人やら兵士の不審死が相次いでるってよ。大方、私刑にでもあったんだろうと俺は見てる」
その話は初めて聞くモノだったが、そういうことが起きてもおかしくはないと思った。
ここ数年は、そう思わせるだけの緊張がこの国を支配している。
それが宗教の違いであったり、愛国の思いの差であったり、異なる思想を持ったモノを見つけて排除する、監視しあう空気。
皆、余裕が無いのだ。
「俺達も、身の振り方考えておいた方がいいかもな」
「……聞かなかった事にしてやる。お前仕事が残ってるだろ。さっさと行け」
「つれないねぇ。ま、次休みが合ったら飲みに付き合えよ」
ゴラーズはそう言って立ち上がると、手を挙げてどこかへと歩いて行った。
きっと、彼もまた囚人たちの捜索へ駆り出されるのだろう。
それを見て、昨夜の地獄で言葉を交わした少女を思い返す。
少女と言っても、自分よりもずっと年上で、経験を積んでいるのだろう。
それでも、無事を願わずにはいられなかった。
「俺も、ヒトの事言えないか……」
つい、そんな事を
緊急時とはいえ、囚人を助けて逃がす。
周囲に露見すれば、どんな罰が待っているか分かったものではない。
それに比べれば、ゴラーズの言動等些細なモノだ。
「身の、振り方……」
左手で、腰に帯びた剣の柄を弄ぶ。
彼の言った事を反芻し、口の中で転がしてから、もう一度飲み込む。
彼はきっと近い将来、この国に見切りをつけるだろう。
数年程度の短い付き合いだが、それでも彼がそれだけの行動力に富んだ男なのはよく知っていたし、何より執着心で損をする種類のヒトではない。
自分も、彼の様になれたら。
意味のない願望が少しの間、自分の頭の中を支配した。
「……ん?」
そうしていると、足元で何かが揺れる感覚があった。
その蠢きは、少しずつ揺らぎを大きくしていって、地の底から響く重い音色となって空気を震わす。
あちこちから、ヒトのざわめきが聞こえてきた。
目に映る兵士たちが、驚きによるものか、皆が皆体を固めている。
「……地震か?」
本国の方ではそれほど珍しくないが、こちら側で地震にあった事は記憶にない。
それほど大きな揺れではないが、万一を考えた。
背にしていた扉を開けて、中へと声をかける。
「シズ! シズドファ! 総督は動かせるか!? 一応、外へ連れて安全を……」
中の司書に注意を促そうとしていると、周囲のざわめきが更に大きくなった。
その声は兵士たちのどよめきと、市民たちの絹を裂く様な悲鳴。
何事かと振り返ると。
遠くに見える長い坂を超えた先、三角状の島の中腹。
そこから光を奪う黒い、暗夜の如き何かの塊が、坂を下って来ていた。
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「ああもう、勝手な事を!」
暗い洞窟の中。
砂の地面を慎重に、そして強く踏みしめる。
目が慣れてきたとはいえ、それでも未だ見えるのは自分の手足と足元位だ。
魔術で明かりを灯そうにも、ここには油も無ければ炭もない。
突然の彼の行動にいら立ちを覚えずにはいられなかった。
「ジーグ君! どこだ!?」
泥の様に沈み込む白い砂に足を取られそうになる。
木靴の隙間から、細やかなそれが入り込んできた。
足裏の不快な違和感を無視して、歩みを進める。
鐘の響きは未だ続いており、その音は留まる事を知らないかの様に、少しずつ大きくなっていた。
尋常であれば荘厳に感じるであろうそれは、事ここに至っては酷く不気味だ。
転ばないよう重心を落として、前へと脚を動かす。
「ッた!」
頭を前に突き出す様にして歩いていたところ、固い何かにぶつかる。
強かに打った頭を押さえて、手でその何かに触れる。
感触からして、入り口で触れたそれと同じ岩壁だ。
「あぁクソ! あの子見つけたら、一発引っ叩いて――」
愚痴をこぼしていると、岩壁にやった手の平に異質な感触を覚える。
ゴツゴツとした角の多い触りが無くなって、滑らかなそれへと変わったのだ。
その部分はいくつか窪みがあって、それもまた規則正しい煉瓦の隙間の様な直線を描いている。
その線を指で辿ると、硬質の何かへと当たった。
その何かは精錬した鉄のそれに近く、きれいな球状。
「……何だ、これ?」
つるりとした触りは、湿った岩のそれとは違う、手に吸い付く様な金属的な冷ややかさだ。
効かない視界の中、それを手で探る。
数度の瞬き程度の時間、そうしていると。
目の前に、光が灯った。
「……ッ!?」
慌てて手を放し、その場から飛びのく。
淡い光が周囲を照らし、目がその役目を果たし始めた。
その光は壁の一部から発せられていて、肌寒い空気の中、そこだけが温かさを帯びている。
私はその壁に近づいていく。火に誘われる虫の様に。
「……魔石か? しかしなんだって急に……」
もう一度、先程と同じようにそれに触れる。
その石は一つではなく、見えるだけでも十を超えていた。
よく見るとそれは等間隔で並べられていて、明らかに自然のモノではない。
球形の石は、それぞれが先に触れた直線の窪みで繋がっていて、何かの図形を思わせる形を取っている。
それは磔刑に使う十字架を逆さにした様な形を取っており、横の辺が短い。
何かの、宗教的な暗号に見えるそれを見て、私はあるモノを想起した。
「……折れた、剣?」
この逆十字は、全体に並べられた石が光を放ち、私の体を照らしていた。
柄は三つの石が短く真っすぐ線状に並び、下から銀・金・白に。
鍔は三角を作り、赤・青・紫に。
その先に伸びる長い直線は、同じ色に輝いていた。
持ち手は強く、鍔の先や刃は淡く、それぞれが色彩豊かな光を放っている。
ただ、十字の交点。
そこだけが、闇夜の帳を思わせる黒い二つの石が拵えられていた。
その黒は艶やかで、空虚で寒々しさを感じる。
口にした様に、それは刃の根元から折れた直剣。
手が、その場所に吸い寄せられる。
いつの間にか、鐘の音は鳴りやんでいた。
「――さン」
代わりに、誰かの声が聞こえる。
「――さン!それに――るなっ!」
鈴の音に似た、美しい声。
それでも、惑いを持たずに私の手は伸びていく。
その黒石を、慈しんでやりたいと思ったから。
「お姉さン!それに触れるなっ!」
その黒い石を撫でた時、ひと際大きな鐘の音が、島に鳴り響いた。
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