8話:一人ぼっちで白の中
灰色の獣の四つ足が、地を浅く抉る。
馬に似た、見慣れない動物に乗るのは、教国の兵士達。
鎧を身に着け、剣や槍を持った物も居れば、一見戦場には不釣り合いな、厚い本を手にする者まで様々だ。
「気を付けろ! 総督を焼いた女だっ」
先頭を駆ける兵士が叫ぶ。
片手で持つには少々重そうな剣を持ちながら、こちらへと猛進してくる。
その剣は直上の日の光を、くすませて映していた。
「騎兵かっ!」
「お姉さン、下がれッ!」
どう対応するか逡巡していると突然、私達の体を影が覆った。
二人で上を見上げると、歪な形のゴツゴツとした大岩が、宙に浮かんでいた。
それは今まで忘れていたかの様に、重力を受けて、私達に振りかかる。
「くそっ!」
「うおっ!?」
空いている左手で、ジーグを掴んで放り投げる。
目の端で、彼が背中から地面に落ちるのが見えた。
直ぐに、私は飛び込むように前転して、その場から離れる。
僅かに遅れて、後ろで鼓膜を激しく震わせる轟音が響いた。
破砕した細かな石ころが、背中に降りかかる。
「
おそらく、本を持った兵士の仕業だ。
遠くで、彼の持つ本が、淡く黄色い輝きを放っていた。
あれだけ厚い本を十全に扱えるのなら、魔術師としての腕はかなりのものだろう。
「死ねぇっ!」
「うわっ!?」
魔術に意識を取られている間に、先頭の騎兵が、白目が見えるくらい近くに迫っていた。
兵士は右に体を傾け、剣を持つその手がぶれる。
咄嗟に剣を上げると、重い痺れが私の腕を襲った。
金属同士がぶつかり合う、高く激しい音が戦場に響き渡る。
「っ!」
骨が軋む。
獣の重さと、速度を乗せた剣戟は強かで、戦槌の一撃を思わせた。
腕ごとかち上げられ、筋肉が悲鳴を上げる。
そのまま剣を持つ騎兵は過ぎ去っていった。
苦悶にあえぐ暇もなく、別の兵士が目前へと迫る。
続くは、
態勢を崩した直後の、連携攻撃だ。
「うらぁっ!」
「くそっ!」
受け流す余裕はない。
受けられないのなら、避けるまで。
仰け反った姿勢をそのままに、左へと跳び退る。
視界を染める青と白の色彩の中を、一条の線が通り抜けて行った。
土煙が舞い、背中に衝撃が走る。
少し遅れて、肺の空気の殆どが吐き出された。
呼吸もままならないまま、転げる様にして態勢を直す。
槍を持った騎兵は、こちらを仕留められるとでも思ったのだろう。
手綱を強く引いて急停止すると、こちらへと向き直った。
「死ね、罪人めっ!」
「偉そうにっ!」
そのまま、騎槍を脇に抱え、再突撃を始める。
ただ、それは悪手だ。
この距離であれば、その速さはヒトが走るそれと変わらない。
息を一つ吐いて、肺の中身を完全に空にする。
膝を曲げ、力を蓄えてから。
脚を鋼に、体は矢に。
地面を蹴り、土を大きく抉る。
弓箭と化した体の目標は、彼から見て左側。
勢いのまま、地を這うように刃を振るった。
「――ッ!」
灰色の獣が、前足を寸断され、前傾のまま姿勢を崩す。
その主は空に身を投げ出され、地に堕ちた。
獣を見やると、赤黒い血で土を汚しながらのたうっていた。
思わず、顔を歪めてしまう。
「お姉さンっ!」
「っ!?」
ジーグの声で、意識を取り返す。
視界の外、左右からそれぞれ、重く駆ける蹄の音が聞こえる。
段々と近づいてくるそれはまさしく、死の足音だ。
「挟み撃ちっ!?」
交差する曲線を描きながら、二騎が距離を詰めてくる。
今ならまだ、魔術が間に合う。
脚に力を入れ、立ち上がろうとすると。
「つっ!!」
右足に鋭い痛みが走る。
苦痛に顔を歪ませながら、咄嗟に痛みの先を見ると、鋭く細い氷が突き刺さっていた。
氷は貫通していないものの、決して浅いとは言えない深さだ。
「また、あいつ……!!」
それを皮切りに、百を超える氷の矢が飛んできた。
味方に当てない様にしているのか、殆どは大きく外れて地面に浅い角度で刺さるか、土を濡らして消えていく。
当たらないと分かっていても、本能的に身を固くしてしまう。
不安定な姿勢からの、突然の痛み。そして氷の弾幕。
姿勢を崩して、地に手を付いてしまった。
これは、まずい。
「『肥える地』、『そびえる――」
舌を回して、歯を打ち鳴らし、声を作る。
だが、口の中は乾いて、喉はひりついていた。
恐らく、間に合わない。
こんな時なのに、髪についた土汚れが、酷く気に障った。
死が、近づく。
時がゆっくりと、粘りを強くした。
いっそもどかしい位の動きで、視線の先の騎兵が剣を振りかぶる。
恐らく逆側の兵士も同じ様に、必死の一撃を放っているのだろう。
目を瞑る事すら、満足にできない。
時が動き出すその瞬間。
火中の炭の様な、乾いた音が響いた。
でもその音は、それよりも、もっと大きくて。
目前の兵士が、右手から剣を取りこぼす。
剣が地に落ちるより前に、獣が私の右側を通り過ぎて行った。
少し遅れて、もう一頭の獣が、左を抜けていく。
ハッとして後ろを向くと。
別の騎兵が、宙を舞っていた。
頭から地面に飛び込んだ彼は、数度体を震わせた後、動かなくなった。
音のした方を見ると、赤髪の少年が居る。
その少年の持つ杖は、口先から白煙を吐いていた。
「何が……!?」
何が起きたのか、皆目見当がつかない。
しばし呆然としていると、ジーグがこちらへと駆け寄ってきた。
「お姉さン、無事か?」
「君、一体何を……?」
「話してる暇はねぇよ。さっさと逃げンぞ」
少年は、その小さな手で私の腕を掴む。
私は頭を振って疑念を払う。
片方の手で剣を持ち、それを杖にしながら立ち上がった。
脚を軽く動かしてみるが、骨は折れてなさそうだ。
「逃げるって言ったって、騎兵相手じゃ……」
「今なら行ける。見てみな」
「え?」
ジーグの指す方に目をやる。
150オルン(訳注:約57m)程の距離だろうか。
そこには展開していた五、六人の騎兵が居たが、様子がおかしい。
まるで、バラバラに動いている様な。
それどころか、一人の兵士が、従僕たる獣から振り落とされるのが見えた。
「多分あの馬みたいなやつ、火薬の音に慣れてない」
「……軍が徴用してる動物だよ。そんな事……」
「それだけ、余裕が無いってことだろうさ。歩けるか?」
そう言って彼は、私に肩を貸す。
痛みはあるが、杖をつけば何とか行けそうだ。
頷いて、歩き出そうとした時、少し遠くから、音が聞こえた。
特徴的な、鐘の音に近い重く響く連続音。
遠く、振り落とされたのだろうか。地に伏せる兵士の手元にある本。
それが開いて、蒼海の如き青い光を放っていた。
「……マズい!」
「あ? ンだいきなり……?」
祭りの締めを思わせる、ひと際大きな鐘の音が響く。
本と同じ色をした光の塊が、上空へと放たれた。
それが頂点に達すると、鋭利な角を描き始める。
放物線状の軌道のその先は、私達の足元。
「『器満たす時』、『住まうは大海』、『吾が身の盾に』!』
私達の周囲に、分厚い水の壁が形成され始めた。
その壁は私達を覆う様に、体を歪ませ、徐々に球体へと形を変える。
隣のジーグを、強く抱きしめた。
光の塊は、私の視界の中で、どんどんと大きくなる。
「『最後は杯を打ち鳴らし』!!」
終の句を言い切るのと、着弾は同時だった。
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白い雪の中。
白銀の世界にある、黒い点。
その黒は、強い光にできる濃い影であり。
その黒は、淡い思いにできる恋の種であり。
それは、泣いていた。
愛するヒトを亡くしたかの様に、愛を乞う子供の様に。
荒んだ風雪に晒されて、交わした指を赤く染めながら。
それは、笑っていた。
愛するヒトと語らうかの様に、愛を知った子供の様に。
明るい瞳を煌めかせて、晒した顔を喜色に染めながら。
それは、謡っていた。
例え悲しみの歌でも、楽しく謡い踊って見せて。
悲劇を覆い隠すには、それが必要だったから。
『吾は――と――の王』
風の隙間から、声が聞こえる。
それは、白の中で踊り狂う、少女の声。
それは悲しさの中に、一つの希望を隠していた。
少しずつ、歌声が形を成していく。
『吾は――の魂であり』
その少女は、若葉の様な髪と、木の葉の様な耳を持っていた。
瞳は金に輝き、唇は惑いをもたらす桃色で、肢体は細く柔らかい。
それは、誰かに似ていた。
『何かを守るため』
ケタケタと、耳障りな笑い声が響く。
その少女は、体を血に染め、手には何かの肉を持っていた。
瞼を見開いて、口端を醜く歪ませて、指先は蜘蛛の脚に似ている。
これは、私だ。
『自らの何かを、奪われる者達の主』
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パラパラと、小石が顔に降りかかる。
そのおかげか、意識が微睡みから引きはがされる。
最初に目に入ったのは、覆い被さる様に突き出す岩棚だった。
私は手で顔の土ぼこりを払いながら、ゆっくりと上体を起こした。
「いっ……たぁ……」
全身が悲鳴を上げている。
咄嗟に防いだとはいえ、砲弾をもろに浴びたのだ。
全身が砕けてもおかしくなかったのだから、まだ幸運と言えるだろう。
「……ここ、どこだ?」
痛みをこらえながら立ち上がり、周囲を見渡す。
そこには先ほどの、踊り場の様な平原はない。
大小様々な石が立ち並ぶ岩地だ。
僅かに見える地面は色濃く、水を多分に吸っているのが分かる。
ほんの少しだけ、さっきよりも潮の匂いが強いように感じた。
傷ついたこの体には、ずぶ濡れで重くなった服が忌まわしい。
近くの地面は濡れていて、種々の石を線状に湿らせている。
これは、何かを引きずった跡だ。
背中に手をやると、案の定沢山の小さな石ころが付いていた。
「……ジーグ!ジーグ君!どこだ!?」
わざわざ見つかりづらい、天然の覆道まで引きずってくるなんて、一人しかいない。
恐らく私より先に目を覚まして、私をここに連れてきたのだろう。
そんな風に考えていると、肩に何かが触れた。
「うわっ!?」
「起きたか、お姉さン」
赤髪の少年が、肩に手を置きながら片眉を上げている。
例え薄布に隠れていたって、いたずら小僧の様に笑っているのは明白だ。
彼の顔を右の手の平で掴んで、持ち上げる事にする。
持ち上げるには、流石の私でもがっちりと掴まないといけない。
私よりも拳二つ分程背の低い彼は、想像以上に軽い。
「いだだだだだっ!!」
「……」
「ちょっ、マジで痛い痛い! さっきのより痛いって!」
しばらく抵抗していたが、無駄だと悟ったのか、手足を力なく下げなされるがままになった。
本日二度目のお仕置であるからか、一度目の時よりも諦めるのが早い。
なんだか面白いので見ていたかったが、首がちぎれても困るので離してやることにする。
「心配したよ。ケガはないかい?」
「たった今したわ。この馬鹿力め」
「それは何より。それよりどこにいたんだい?」
ジーグはしばらく顔をむにむにと両手で弄っていたが、痛みが引いたのか、後ろを指さす。
その先は覆道が続いており、壁は刺々しく立っている、
「あっちに洞窟があったからな。身を隠せるかと思って調べてた」
「洞窟? またツリーニに襲われるのは嫌だよ?」
「ありゃ暗い所に住み着くけど、狭い所じゃないとダメだ。見た感じあの穴、かなりでかい」
それだけ広いなら、一時身を隠すにはちょうど良いかもしれない。
追手の数もそれなりだったし、ほとぼりが冷めるまで待つのも良いだろう。
問題は食べ物や飲み物だが、それを考えるのも含めて、どこかで腰を据えて話し合わなければ。
「わかった。一度そこに行こうか」
ジーグは頷き、先導を始める。
その足取りは、足場の悪いこの場所でも危なげない。
あの衝撃を受けて怪我一つしていないとは、見た目に寄らず丈夫そうだ。
私は壁に手を付き、足を庇いながら歩みを進める。
「……あれ?」
数歩進んだところで、妙な感覚があった。
違和感とは違う、あるべきものがない様な、そんな感覚。
怪我をした右足で、ゆっくりと地を踏みしめる。
痛みが、無い。
歩くのに苦労するくらいの、深い所で起こる鋭い痛み。
それが、きれいさっぱり無くなっていた。
膝まで覆う、革と木の
その周囲には血がこびり付いているが、全て乾いていた。
どうやら、傷自体が完全にふさがっている。
「どうした、お姉さン?」
ジーグが数歩先で、こちらへと振り返り、そう問いかけてきた。
「い、いや。何でもないよ」
少年は怪訝そうに片眉を歪ませていたが、少しして歩みを再開する。
無用な心配をかける必要もないだろう。
そうして、少し歩いて、日が傾き始めた頃。
私たちは、黒々とした穴の前に、立っていた。
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