2話:微笑み給う
「あぁ、嫌だ。俺ァ死にたくない。神様、精霊様、何でも誰でもいいからお助けェ!」
「おぉおぉ、大の男がみっともねぇなぁ。根性みせとけって」
血色の悪い一人の男が、馬車の上で叫び声を上げた。
対面の赤毛の少年は、クツクツと笑いながら彼を制す。
隆起した地面を車輪が通る度、ひび割れた車軸が不安を覚えさせる声を出す。
馬に似た、台を引く動物は黙々と足を進め、地に半円の窪みを作っていた。
私の乗っていた、旧大陸を出発した貿易船、「斧鳥号」の航海は順調だった。
嵐にも会わず、時折強い風と波に揺られることはあっても、最新の技術と、熟達した職人の腕によって、それらを推進力に変え、普段よりも速く航路を消化していた程だ。
それが、目的地まであと一日半、距離にして200ヴァー(訳注:約720km)程の地点。
そこで、海賊に襲われた。
海賊と言っても、彼らは恐らく、無頼のソレではないだろう。
「しっかし、運がないな俺たちも。この怖い怖いお兄さン方、『城塞の教国』の連中だろう?どンな刑に処されるかわかったモンじゃねえな」
恐らく男娼であろう赤髪の少年が、独特の口調でそう独りごちる。
南部訛りの強いその声は美しく、皮肉気な言葉にも関わらず、とても耳に心地良い。
「なんだ、なんだ。どんな目に合うっていうんだ!?」
「『いつも』なら、磔刑か、火あぶり辺りだろうなぁ。でも、最近じゃアンタらも余裕無いンだろ?なぁ御者さンよ」
私たち囚人を運ぶ、粗末な馬車。
幌も付いていないし、座面も簡素な木の板であるから、馬車というよりかは、大型の荷台とそれを引く動物と言った方が良いかもしれない。
それを扱う操縦手は前方を見据えたまま、一切の反応をみせない。
「自慢の船団もボロボロ。新大陸じゃ植民地を半分以上、『共和国』に持ち逃げされたって聞いたぞ。太陽の沈まぬ国はどこへ行ったンかねぇ」
少年の挑発に、御者はピクリと動いた。
大きなその体には明らかに力が入っていて、手綱を握る手は白くなっている。
「無視かよ。まぁ大方、簡易裁判でもやって、身代金取れる奴だけ残して、あとは手間がかからねえ撲殺か刺殺だろうよ」
「あぁ、あぁ! 神様、これからは盗みもしません。女も買いません。だから助けてェ!」
私も、人相の悪い彼の様に嘆き悲しみたいところだが、残念ながら両手は縛られているし、なにより猿轡をされているせいで、まともな言葉も発せない。
ため息をつこうとして、それすらもしっかりと出来ないことに気づき暗澹たる気持ちでいると、
「全員だ」
先ほどまで頑なに口を閉ざしていた御者が、突然呟いた。
その声からは、怒りとも、憎しみともつかないもので。
「身代金など取る物か。全員、全員だ。できる限りの手間をかけて、丁寧に殺してやる」
おそらく、そのどちらも含んでいたのだろう。
沼の底から響くようなその声は、騒がしかった荷台を鎮めるのに十分だった。
ガラガラと、車輪が地面を転がる音だげが響く。
気のせいか、元より静かであった他の馬車が更に静かになったように感じる。
私を含めた全員が顔を下に向け、中には静かに涙を流すものさえ存在する中。
ただ一人だけ、目の前の少年だけが、楽しそうに鼻歌を口ずさんでいた。
その声は極上の楽器を思わせ、鈴の音に似ている。
だが、美しいはずのその音色は、どこか寂しい。
遠くで聞こえる、獣の遠吠えとの協奏。
その美しくも不気味な音色は、半刻の更に半分の時間、刑場に着くまで鳴り響いていた。
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刑場は街の中心にあった。
恐らく、尋常では広場として扱われているのだろう。
真夜中だというのに、離れていてもハッキリとわかるほどに煌々としている。
よく見ると、いくつかの家々からも光が漏れていて、刑場の周囲にもチラホラと人影が見て取れた。
何より中央の広場にある大きな篝火が、周囲を赤く照らしていた。
明らかに突貫で取り付けたであろう木柵のすぐ外側。
そこで私たちは、荷台から降ろされる。
剣を携えた兵士が、私たちに近づいてきて言った。
「降りろ、囚人。指示に従い、前へ進め」
私たちはゆっくりと、石畳の上に足を置く。
ゾワリと、足の裏に違和感を感じる。
まるで、この滑らかな地面の下に、小さな何かが這い回っているような感覚。
自分の心は、自分で思っているよりもずっと脆弱なのだと、否が応でも気づかされた。
よく見ると、ここには様々な人種のヒトが居るようだ。
刑場を取り囲む人々や、軍人の殆どは
かがり火に照らされて、くすんだ金髪や乳白色の肌が見て取れた。
兵士の何人かは非常に大柄で、肌も茶けていたり、緑色だったりしている。
初めて見るが、恐らく、彼らは噂に聞く
新大陸の原住民族で、ヒトを喰らうと聞いたことがある。
下顎から天を衝く様に生える牙が恐ろし気で、それは私たちの恐怖を煽るのに十分過ぎた。
黒い金属でできた胸甲は、その大きな体には小さく見えた。
我々虜囚の側も、獣と人間の合いの子の様な
抵抗する者は誰もいないだろう。
駄々をこねても、どうにもならない事が分かっているからだ。
大人になるというのはこういう事なのだろうかと、場違いな感想を抱いていたその時、
「待て貴様ら! 逃げるな!」
一瞬、周囲がどよめいたと思うと、軍人の一人がそう叫んだ。
私を含め、その場に居た全員がそちらに目をやる。
視線の奥の方で、手縄を掛けられた幾人かが、外の方へと走り出していた。
その中には、護送中泣き喚いていた、人相の悪い盗人も混じっている。
彼らは手を縛られたまま、暗い柵の外の方へと駆けていく、
「チっ、射手!」
装備の整った、恐らく士官であろう一人が、右手を上げて一言いい放つ。
刑場の外周を囲んでいた、長銃を抱えた兵士たちが一斉に構えを取った。
同時に、数人の本を持った軽装の兵士がそれを開く。
本から淡く、黄色い光が漏れた。
逃げ惑うヒト達の体からも、同じ色の光が発せられたかと思うと、
「お、あぁ……」
「お、重い……」
「あぁクソ、クソぉ!」
逃走者達の足が止まった。
光は鎖の形を取って、地面と彼らの体を繋げた。
彼らは全員、星に引かれる様に地に縛られている。
とにかく、彼らの賭けが上手くいかなかったことだけは確かだ。
長銃を構えた兵士たちの方から、魔力を充填する乾いた連続音がした。
険しい顔をした先ほどの士官が、静かに、そして勢いよく、洗練させた動作で、手を振り下ろす。
寸分違わず、乾いた発砲音と、銃弾が同時に、彼らの体に襲い掛かった。
異頭族の彼は一瞬、ビクリと体を震わせたかと思うと、力なくその場に倒れ伏した。
血の臭いが、辺りに漂う。
冷たく澄んだ夜の空気に、異物が混じりこんだ。
錆びた金属の様な臭いが立ち込め、それに呼応するように心臓が早鐘を打つ。
どこからか、見られているような感覚に陥った。
足の裏の嫌な感覚が、更に強くなる。
士官が声を張り上げ、異頭族の死体と、魔術に絡めとられた脱走者達を運ぶように命じる。
見ると、その周囲の兵士たちも忙しなく動き回っている。
あぁ、ついに始まるのだと、私を含めた全員が察した。
これから、丁寧な殺しが待っている。
ひと際目立つ煌びやかな装飾にまみれた男が、兵士たちをかき分け現れる。
ふんぞり返り、前にした者を委縮させるような態度。
血色の悪い兵士達と異なり、栄養に富んだ健康そうな体つき。
恐らく、彼がここの指揮官だろう。
その男は、中央のかがり火の前に立つ。
逆光で顔はよく見えないが、その声には覚えがあった。
「神の恩寵賜りし、『城塞の教国』国王にして、西部諸州、即ちダリタ、フォロタレット、ノロコを含む全ての領主、ヴィレィ4世陛下の名に置いて、ジホ諸島総督の任を授かり、また教皇イハマイズ8世猊下から審問官位を与えられし、テイカ・フロッキーク・ティ・ジラールである!」
もう一度言ってほしい。
やたらと長く、無駄としか思えない自己紹介を一切噛まずに終えた彼。
その嫌らしく粘ついた声質と、独特の声調。
あの時、船を襲い、私を攫った奴だろう。
提督とも呼ばれていたから、軍船団の首領なのかもしれない。
それを先ほどの口上に加えなかったあたり、まだ温情がある。
続けて、彼は威風堂々とした様子で、喉を震わせる。
「これより審問官として、また総督位の名の下に、簡易裁判を開始する。被告、悪しき異端。被告、『緑林の王国』に与する者。被告、我らに敵なす者」
彼の周囲にいる兵士たちが、手に持つ銃床を地面に叩きつける。
足を踏み鳴らすよう様なその動作は洗練されていて、寸分違わぬ動き。
こんな状況でなければ、例えば行進演習等であれば見入っていたかもしれない。
ダン、ダンとした音が数度響き、総督の口が嫌らしく、ゆっくりと、もったいぶる様に開く。
「判決は死刑。ケモノモドキ共は四肢切断の上、遅死刑に。北方人共は火刑に処す」
辺りが静まり返る。
聞こえるのは、キーンと響く血管の音と、誰かの生唾を飲み込む音。
一瞬後、水が滴る音も聞こえてきた。
誰かが粗相をしたのだろう。
古い厠の様な臭いが鼻についた。
そんな中、地の底に近い静寂を、鈴の音の声が切り裂いた。
「なぁ、俺はどうされンだ?」
赤髪の少年が前に出た。
緩やかな広がりを見せる袖口や、艶やかな上腿を露わにしている腰布が翻る。
月と星の明かりに照らされ、かがり火に赤く煽られる肌や髪が目に焼き付いた。
その髪は溶かした鉄の様に赤く煌めき、肌は新しい銅細工のように輝いている。
傷一つない、僅かに濡れた様に見える開いた背は、そういう芸術品なのだと言われたら信じてしまうかもしれない。
私はもちろん、囚人達も、兵士たちも、総督さえもが呆気にとられ、発言の意味を理解するのに時間がかかった。
彼は自分の処遇を聞いている。
そんなそのままの意味を理解するのにも、数瞬の時間が必要だった。
「……お前は
なるほど確かに、先ほどの提督の言では彼の処遇は決められていない。
赤い髪と赤銅色の肌、加えるならその服装は、旧大陸南方でよくみられるものだ。
商人や外交官の南方人以外はあまりみかける事がない。
特に、ここ新大陸では猶更だ。
「お前は、そうだな……。まず十指と喉を潰し、その後改宗するのであれば、命だけは助けてやろうじゃないか」
周りの兵士たちが、こらえきれないとでも言うように吹き出す。
クツクツと笑い声が聞こえ始め、総督はそれを確認し、大仰な様子で満足そうにうなづいた。
ただ一人、若い兵士だけは沈痛な面持ちなのが目に映った。
指と喉を潰され、どうやって意思表示をしろというのか。
下種な、事実上の死刑宣告であった。
それも、酷く残酷な。
哀れ、晒し者にされた彼。
先ほどまでは余裕のあった少年。
見ていられなくて、目を逸らしていた私。
彼はどんな表情をしているだろうか。
狼狽か、恐怖か、絶望か、それとも――。
それを確認するよりも先に、総督の顔が目に入る。
そして、彼と同じように、侍る兵士達も、同じ顔をしていた。
それは、驚愕の相貌。
「……できるかね、アンタらに。期待しておくよ、俺を殺せるってンならさ」
微かに見える、彼の横顔。
少年は確かに、笑っていた。
獣の様な、眼光で。
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