第17話 「弱い者が反撃に転じればきっと何かが動くと信じている」
薄く薄く剥がした雲母のような回転扉を潜れば中は外から見たよりもずっと広く、温かみのある木目が艶めくほど磨かれたカウンターがまず目に入る。程よく距離が空いたテーブル席が7つ。半分ほどは既に埋まっていてリィはそちらに向けてひらひらと手を振った。
「リィ! 今日は店潰すなよ!」
「ちゃんと生きていたか、良かった」
「お前、どっかで死んだって!?」
「今日こそは負けん! 吞み比べしようぜ!」
「潰さないよ! ありがと。うん、死んだよー。呑み比べは後でね」
相次いでかかる声にまとめて応えるとリィはジーンを促してカウンター席に腰かけた。席に着いたらとりあえずは邪魔しないのも暗黙のルールなようだ。
「ふふ、待っていたよ。アベイロン。そして新たなお客様」
火花のような薄い金髪、梟に似た顔、瞳は赤と黄色のオッドアイ。特徴的な見た目のマスターは黒に金色の飾りが刺繍されたロングベストを着ている。注文も聞かずにグラスが供された。リィはバイオレッド、アンバー、サンセットオレンジがそうになったもの。ジーンの前に置かれたのは琥珀色1色に見えて光の加減で明るい緑色が浮かび上がる。
「お薦めだよ。アベイロン、軽く回してから飲むといい」
自信ありげにマスターが微笑む。軽く回すと僅かに色の境界が滲み、完全に混ざることはないのにすべての層に別の色がヴェールのようにかかって美しい。見た目を楽しみ、こくりと一口。満足げなため息が漏れる。僅かに赤らむ頬、濡れた唇が色っぽい。見惚れてしまっていることに気付いてジーンも慌てて一口。
「何だこれ、すごく美味い!」
今まで飲んだどんな酒とも違う。深く重たい渋味、喉の奥を通り抜けるとふわりと瑞々しく爽やかな香りが満ちる。気が付くとコップが空になっていて物足りなさにため息をついた。
「お気に召したようだね。2つの世界のブレンドといったものだよ。おかわりは、もちろんいるようだね。アベイロン、2杯飲んだから次のお薦めでいいかい?」
なんと、お酒に酔いしれている内にリィは2杯飲んでいたらしい。いつの間にと見やれば少し照れたように笑う。そうして同じのもう1杯と人差し指を立てた。
「そんなに気に入ったのか?」
「ん。爽やかで優しくて、甘いけどくどくなくて……夜明けの風を飲んでいるみたい。ジーンにはちょっと物足りないと思うけど」
「そうそう、好みは千差万別。アベイロンが以前気に入ったお酒も、絶対好きだろうお酒も思い切り仕入れているからね」
「じゃあ、お代も奮発するね」
にっこりと笑い合う2人を見て今更のように不安になったジーンは声を潜めてリィに問いかけた。
「ここの支払いって?」
「情報かマスターの依頼品。私はどっちも思いっきり集めてきたから」
「初めての場合は?」
「連れてきた相手が払うの。3人分くらいは余裕だから問題ないよ」
「いや、いきなり奢りって」
「んー……じゃあ、どれか持ってそう?」
ごそごそとポケットを探り紙の束を渡された。マスターの依頼の情報やアイテムなどがびっしりと書き連ねてある。
「あ、これ昨日までいた世界。この情報と……これなら」
「足りないなんてことになったら払うってことで、マスター、お薦め次頂戴」
「いつの間に1杯飲んだんだ⁉」
「ジーンが見ている間」
「ユートピア、アベイロンだよ? 軽く数十杯は飲むに決まっているさ」
「数……ユートピア?」
「ジーンの通り名だね! いいね!」
いきなり呼び名を決められた気恥しさとリィが飲む平均量への驚きとでしばし沈黙する。でも、酒は本当に美味い。ちらりと横を見れば幸せそうに今度は真っ青なお酒を飲んでいる。決して一気飲みをしているわけでもないのにいつの間にか量が激減しているから不思議だ。
「ね、エンドさん、元気?」
「ああ。なんか前向きになった気がする」
7杯ほど飲んだあたりでリィから話を振ってきた。そういえば話を聞かせてほしいと言ったんだった。酒のあまりの美味しさにすっかり忘れていたことをおくびにも出さず軽く体の向きを変えた。
「ハーフって、狙われやすいんだよね」
「ああ」
ハーフは半端者と以前は蔑まれていたが、どちらの種族にも血を提供できると注目が集まっている。そのうえ、どういう原理かハーフの血を輸血すると強化されるということが知られ利用しようとする者が増えているのだ。
「エンドさん、自分の魔法に気付いていないハーフでしょ」
「使えないんじゃなく?」
「使えると思う。自分を卑下して自分で封じていただけで」
「そうなのか……」
「魔法素質があるハーフは特に狙われるから」
「じゃあ」
「そう。襲撃があったの。私は死にかけてた」
「⁉」
顔を強張らせるジーンに微かに微笑み、淡々とリィはお酒で唇を濡らしながら話を続けた。
「ほら、あちらの世界での虚弱さ、半端なかったでしょ? 襲撃者は結構最低な奴でエンドさんを従わせるために手っ取り早く人質を取るつもりで毒を打ち込んだわけで」
「なんてことを……ぶっ殺してやるっ」
「大丈夫、もうぶっ殺したから」
「……は?」
「死にかけでも引き鉄くらい引けますんで」
あっけにとられた顔でジーンはリィを見つめた。リィは10杯目を注文して受け取るとぐびっと三分の一を減らして口元だけで微笑った。
「死にかけだからって背を向けたからね。バンッと頭を撃った。威力が大きかったのねぇ……貫通して壁にまで穴開いちゃって、ついでに反動で私も心臓止まったけど
、はは」
「いや、それ、笑えねぇよ……」
「笑えるよ。絶対優位の立場を確信していた奴が死にかけの数にも入れていない奴に殺されて、劣勢とされていた私達はどっちも生き残った。エンドさんは解毒の魔法に気付いた。最高じゃない。……弱いと思っている奴がいつまでもおとなしくしているという幻想に酔ったまま滅びてしまえばいい。そうすれば、もう少し世界は生きやすくなる」
ふっと翳った表情がリィの持つ闇を垣間見させた。コトンとカップに入った飲み物がリィとジーンの前に置かれた。湯気が上がっている紅茶……?
「お酒は楽しく飲むもの。そうでしょ? アベイロン、ユートピア」
「……そうね」
「……ああ」
「冷えた顔してるから、あったかいお酒でも飲んで仕切り直し。飲んでほしいお酒はいっぱいあるんだからね」
「あら、飲み尽くされてもいいの?」
「うーん……よし、アベイロンと呑み勝負したい人ー?」
うおぉぉぉ!と声があがってほぼ全員が参加を表明した。迫力に引くジーンと真逆にリィは楽しそうに笑っている。
「マスター、客から取れるだけ取る気でしょ」
「お連れさんは巻き込まないであげるよ」
「仕方ないなー」
準備してきた酒を全放出する分、頂くものは頂くということらしい。わいわいと言葉を交わしながら呑む。ひたすら吞む。払えるものが尽きたと暇乞いをする者、マスターに交渉を始める者、周囲の協力を願う者etc
酔い潰れないことも暗黙のルールらしい。リィは最初に少し赤くなった後はまったく変わらず美味しそうに呑み続けている。テーブルに積みあがっているグラスがとんでもない呑み量を示していた。アベイロンは伊達じゃない。
「ちっくしょー! 今日も勝てなかったー‼」
最後のひとりがテーブルに突っ伏して叫んだ。マスターがカウンターから出てきて健闘を称えるように肩を叩いて宥める。リィは凹んでいる相手と手元の空になったグラスを見比べ一言。
「マスター、もう一杯ほしいんだけど」
「どんだけ強いんだよ、アベイロン!」
若干退き気味で叫ぶ周囲にマスターがとても良い笑顔で一言。
「だから、アベイロンなんだよ」
敵わないと凹んで、顔を見合わせて笑い出す。店は笑い声でいっぱいになった。ジーンもその明るい空気に笑みを浮かべる。リィは荒んだ顔より、こういう顔が良い。視線に気付いたリィが首を傾げた。ジーンは心地良い酔いに背を押されるように強気に言い放った。
「俺は弱い者が反撃に転じればきっと何かが動くと信じている。滅びるよりひっくり返る方が楽しいと思うぜ」
きょとんと目を丸くしてリィはジーンを見つめ、しばらくして静かに微笑った。「そうだね」唇がそう言った。その後、リィは結局閉店になるまで吞み続けた。ジーンもそれに付き合い酔い潰れない程度に好みに合う酒を出してもらい楽しい時間を過ごした。支払いを終え、先に出ていると少し遅れてリィが隣に並んだ。
「良い店だな」
「でしょ」
「あ、なんで俺はユートピアなのか聞くの忘れた」
リィは笑いを堪えるような顔をしてそっぽを向いた。気になって教えろよと催促するとくすくすと笑いながら耳を貸せという。
「マスター曰く、ジーンのお好みは最初は重く癖のある味、後味はどこまでも晴れやかで、爽やかで優しいものを好んでいる。それは理想郷を信じ続けているロマンチストのようだ。だって」
なんだそれは。妙に恥ずかしくなって撤回できないだろうかと店の方を振り返る。けれど店は夢のように消えていた。驚くジーンの耳に明るい声が響いた。
「ぴったりじゃない、ユートピア。また吞もうね」
「……ああ、また呑もうな。アベイロン」
今日一番の笑顔が弾けた。
旅人は異世界を渡り歩く。 よだか @yodaka
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