第16話 狭間の市場と彼女との再会

 別人かと思ったが、纏う空気を読み違えることは無い。人混みをすり抜けるように歩く背に声をかけた。弾かれるように振り向いた相手に浮かべたのは揶揄するような笑み。

 「あんた、ここなら元気なんだな」

 「ジーン?」

 「ああ」

 「あちらは空気が合わないみたい。あの時は世話になった。元気? って聞いていいのかな」

 「元気だ。……迷子か?」

 「違うよ。不思議と市場では迷わない……んだけど、時間軸を間違った」

 「ああ、面倒だよな。誰もが訪れることができ、ここで買ったものはどの世界でも利用可能。但し軸合わせがしずらい、と」

 「うん。待ち合わせ相手のジンクスもあるかもしれないけど、何故か早く着いちゃうのよ。また2日早く着いた」

 「じゃあ、呑もうぜ。ここなら飲めるんだろ?」

 「まぁ」


 時間潰しにちょうど良いと思ったのか彼女はあっさりと応じた。パンツスタイルはとても新鮮だ。出会った世界ではフード付きのローブやワンピース姿が主だった。臙脂のポケットが多めの幅広パンツ、無地の黒い半袖はおそらく防刃仕様。紅茶で染めたような淡いベージュのロングベストもポケットが多めだ。俺はといえば変わり映えなく黒一色。上着も下着もすべて黒。2人の身長差はまるで親子だが年齢は実は彼女の方が上なんじゃないかと思っている。

 「なぁ、お薦めの店あるか?」

 「ん、ヘスティブローストって知ってる?」

 「いや、市にはよく来るが知らんな」

 「めったに来ないから、そこ。でもね、今回は来るって聞いてたんだ」

 声が弾んでいる。よほど好きな店なのだろう。きょろきょろ見回すもごった返しているので見つけるのは難しい。

 「メサージュ、見つけた!」

 視線を追い空中に何羽かの半透明の小鳥がホバリングしているのを確認する。カワセミに似ている。メサージュは道標的な意味だったはず。案内使い魔のようなものかと合点して頷く視界で、彼女がすうっと息を吸い込んで呼びかけた。

 「ヘスティブロースト・リィ・アベイロン!」

 1羽がヒュッと音を立てて降りてきた。差し出す指に止まった鳥が夜明けの紫に色を変えた。大きな黒い目が瞬きをして響きが良い男の声が聞こえ、驚く。

 『やぁ、お連れさんのお好みは何だい?』

 「私には聞いてくれないわけ」

 『準備は万端だからね。ああ、いくら美味しくても店を潰さないでくれよ、アベイロン』

 「あれは、面白がってヘンな企画をやったからでしょ。ジーン、お酒の好みは?」

 「あー……なんでも飲むが、あちらでのティア・ビショップが好みだ」

 『OK、渋みがあって、後味がフルーティタイプとみた。じゃ、早くおいでね』


 道案内をするように鳥が羽ばたいた。彼女は肩を竦めて歩き出す。

 「アベイロン?」

 「ヘスティブローストの客になると、通り名が付くの。赤いお酒を好む人はルージュとか、古風なのを好むとセピアとか」

 「じゃあ、アベイロンは……無限大という意味だとしたら……うわばみ?」

 「よくわかったね。そ、びっくりするくらいお酒が強くなるんだ。異世界の半数以上……8割はそんな感じで。ここは断トツ」

 「へぇ、ずいぶん彼方此方行ってんだな」

 「まぁね」   

 「しかし、その感じじゃどこに行ってもギャップが大きそうだな、あんた」

 「ちょうど良いって羨ましいよ……」

 彼女は遠い目をして歩みを進める。縁あって過ごしたのは5日ほどだったか。それでも印象はとても強かった。ジーンの顔に僅かな笑みが浮かぶ。なんにせよ元気な姿を見られて良かった。目を細めて歩みを進めながらジーンは思いを馳せる。出会い関わった5日間を。



「オレは誰にも笑わせないんだ! 笑う奴を全員殺す暗殺者になるんだ!」


 わけのわからないことを叫んでいる青年を取り押さえようと如何にも強そうな冒険者が慎重に距離をとる。逆上している素人は行動が読めないから質が悪い。少し離れた場所から様子を見ていたジーンは女が切られた腕を抑えながら立ち上がったのを意外な気持ちで見つめていた。

 何度か見たことがある。守られてばかりいるお嬢様。そう思っていたから傷を負った状態でひとりで立ち上がり逃げる様子もないのに興味が湧く。次の瞬間、目を疑った。

 バシャッと水音がして青年の顔が真っ赤に染まる。悲鳴をあげた青年は反射的に顔を拭い、手を汚す赤とヌルついた感触に悲鳴をあげて尻もちをついた。その前に傲然と立った女は更に自身から流れる血液を青年に垂らす。周囲はあっけにとられ、青年は半泣きで後退るも女は再度手のひらに溜めた血を顔に投げつけた。そして、


 「その程度で腰抜かす覚悟で武器を持つな。ここはお前の夢じゃない、リアルだ。犯罪願望で異世界に来るんじゃない‼」


 苛烈な断罪だった。声の届く範囲にいた者は一様に身を竦ませるほどの迫力で女は一喝した。それを真正面で受けた青年は引き攣るような声を漏らし、忽然と姿を消す。その場には振り回していたナイフのみが残っていた。


 「馬鹿だねぇ……世界が変わったって自分以外にはなれないのに」


 うつむいた陰で呟かれた言葉。それはジーンの胸を抉った。この世界が夢のようだと思うのだ。冒険者として名をあげていっぱしの顔になっている今でも時折恐ろしく不安になる。本当に自分は自由だろうか。この生活は――現実だろうか。

 女の膝が崩れた。彼女の仲間に先んじて腕を伸ばす。ずいぶん軽い体だ。青白く、唇の色も薄れている。見知らぬ者に支えられて驚いた目が真ん円で幼い子どものようにも見えジーンは思わず微笑った。

 「何?」

 「いや、さっきの怒鳴った時とギャップが大きいなと」

 「……ああ、そういうこと」

 「支えてもらってありがとうな、兄さん。こいつ、体が弱いくせに無茶ばっかりするんだ」

 仲間の大男がひょいと彼女を回収して、人懐っこい笑みを浮かべて肩を竦める。女は文句を言おうとしたが、うっと片手で口元を覆った。

 「吐きそう」

 「これ以上、栄養失ってどうする。死ぬ気か⁉」

 「~~~~っ、じゃあ、寝る」

 「おい!?」

 涙目で吐き気を堪えていた女はそんな一言を告げ、言葉通り意識を手放したようだ。だらりと脱力した体を大男が慌てて抱え直す。何とも言えない沈黙が落ちた。直後、首に掛けられていたタグが点滅を始め、大男が一気に青ざめた。

 「やべぇ、生体機能低下だ。早く、処置をしないと」

 「知り合いに医者がいるが」

 「頼む」


 急遽の要請に知り合いの医者は快く迅速な治療を行い、眠る彼女の傍らで自己紹介をした。緑の精霊と人間のハーフの医者、エンド。居合わせた自分、冒険者として生きるジーン。大男は大弓使いの冒険者カイン。そして、眠っているのはリィと名乗る異界からの訪問者。金属の板にしか見えなかったタグは彼女の生命維持が危うくなれば光る特殊なもので、知る人が見れば助けが必要な人間であるとわかるらしい。逆に言えば、そのタグを付けなければならないほど危うい存在ということ。それが何故冒険者と共に……? 


 「生活には金が要る、と言っていたな」

 「冒険者じゃなくてもいいのでは?」

 「んー、探しものがあるらしい。それに、こいつめちゃくちゃ体弱いけれど……戦闘能力あるんだ。かなり」

 「へぇ……」

 「なんつーか、初めて会った時も瀕死に近かったんだけど、最後まで諦めないっていうか、足掻くっていうか、すげぇ気迫で全身全霊ってああいうのを言うんだって思った。助けたく、なったんだよなぁ……」


 少しだけ、わかる気がした。あの一喝した迫力と言葉を思えば。何らかの覚悟を持って生きることを決めているのだろうと。彼女はエンドの許可が出るまで留まっていたが、殆どベッドの上だった。だから、あまり話せなかった。


 「なぁ、エンドがあんたを命の恩人って言ってたんだけど」

 「助けてもらったのは私の方だと思うんだけどね」

 「あんたが帰る間際に見舞いに行ったときに、それまでなかった穴が壁にあったのと関係ある?」

 「目敏いねぇ……わかった、飲みながら話そう。もう店に着く」


 目を向ければ大きな金魚鉢を逆さにしたような形の建物が草地に沈むように鎮座していた。回転扉がシャラシャらと不思議な音を立てている。導いていたメサージューがすいっと扉に飛び込んでいった。

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