ミルフィーユのひとひら

きづき

ミルフィーユのひとひら

 当時、コレットと結婚したがっている人は四人いた。

 運動が得意なキーラン、面倒見のよいユリシーズ、物知りなサディアス、そしてロドニーの四人。彼らとコレットは家も近かったので、幼稚園だけじゃなく休みの日も顔を合わせる機会が多かった。泥だらけになって探検をしたり、取っ組み合いの喧嘩をしたり、五人は何をするにも一緒の仲間だった。そんな関係に変化の兆しが現れたのは、小学校に上がってからだ。四人にとって、彼女の隣が少しだけ特別な場所になった。

 「レティとケッコンしたい人、手をあげて!」というのは、キーランお得意の台詞だ。四人がコレットを慕う仲間であることを彼女に示す、合言葉のようなものだった。もっと小さい声で言ってくれたらいいのにと、いつも思う。ロドニーは頬が熱くなるのを感じながら、それでも手を挙げないではいられなかった。

 ユリシーズは「いっしょにケッコンしようね」とコレットの手をよく握っていたし、「先生、僕ね、大人になったらレティとケッコンするの」と、サディアスは大人へのアピールを欠かさない。そんな彼らを見る度に、ロドニーは焦りを覚える。自分だって、という気持ちはあるのにうまく伝えられないからだ。皆と一緒に手を挙げるのが精一杯のロドニーにとって、キーランの確認は照れくさくともありがたいものだった。

 話題の中心となったコレットは、だいたい笑っていた。はにかみながら首を傾けるのに合わせ、肩のあたりでバターブロンドの髪がふわりと揺れる。細められた目の隙間から覗くのは、キラキラのサファイアブルー。「五人でいっしょのお家に住んだらたのしいね!」とリンゴのような頬っぺたをにっかりと上げるコレットは可愛くて、ロドニーは自分も入れてもらえたことに安心するのだった。




 ない! ぜんぜん、ない!!

 夕日が見えるうちに帰ってくるのよ、と家を出る前に聞いた母の声が、ロドニーの耳の奥でよみがえる。そのときは、早く見つかったらキーランたちが遊んでいる公園に寄ってから帰ろうなんて考えていた。まさか、こんなに見つからないなんて。

 ふかふかとした葉に膝を沈めながら、ロドニーは途方に暮れた。

 ぱっと掴んだだけで、ロドニーの小さな手でも数本まとめて抜けてしまう。ところどころタンポポや他の花も混じってはいたが、目につくのは白い花。暖かな日差しを浴びて、ハートの葉っぱが地面いっぱいに広がっていた。

 こんなにあったら、たくさん見つかるかもしれない。そしたら、ママやパパにもプレゼントしよう。そんな甘い見通しは、あっという間に吹き飛んだ。どれだけ探しても、手の中に収まるのは三つ葉ばかりだ。

 もう、あきらめようかな。ひとりでこうしているよりも、あっちでみんなとあそぶ方がずっとたのしい。きっと、ここには生えてないんだ。

 立ち上がり、お尻や脚に付いた土を軽く払う。なだらかな斜面をたたたっと勢いよく下り、しかし駆け抜けることはできずに、三歩、四歩、五歩。ロドニーは、その場にしゃがみこんだ。

 もしかしたら、このへんになら、あるかもしれない。もし、見つけられたら。それをわたせたら。きっとよろこんでくれるのに。

 「ロッド!」

 「わああああっ!!」

 思わず、大きい声をあげてつんのめった。

 「びっくりしすぎ!」

 振り返れば、案の定けらけらと笑うコレットの姿があった。急に呼ばれたから驚いたのではなくて、コレットのことを考えていたからびっくりしたのだ。けれど、そうと知られるのは笑われるよりも恥ずかしい気がして、ロドニーはただきまり悪く口を引き結ぶ。

 「わたしね、ママとおかいものに行ってきたの。かえりにね、ロッドがいるのが見えて。お家にかえってからってママが言うから、今お家からもう一回きたの。ロッドは? なにしてるの?」

 「四つばのクローバー、さがしてて」

 「しってる! ママにきいたことある。ハートが四つのやつでしょ?」

 「うん。すごくめずらしいものだから、見つけたらシアワセになれるんだって」

 「わたしも、さがす!」

 早速かがんでクローバーをかき分け出したコレットの肩を、ロドニーは慌てて掴む。

 「まって! ぼくが、見つけるから。そしたら、レティにあげる」

 ぱちぱち、と瞬くのに合わせて、縁取る金の毛がふるえた。それが春の陽を吸い込むように開かれる。あ、と思った次の瞬間には、彼女の顔が鼻先まで迫っていた。

 「じゃあ、わたしはロッドにあげる! こーかん、しよ」

 海だ。楽しいことを考えているときの、彼女の瞳。見る度に浮かぶのは、砂浜から眺める海だった。たくさんの光が、サファイアブルーの上をキラキラと跳ねる。逸らしたいような、もっと近くで覗き込みたいような。二つの気持ちがぶつかって、ロドニーは頷くことしかできない。

 「こーかん、こーかん! シアワセこーかん! ただのはっぱはいらないよ~、まほうのはっぱ出ておいで~」

 でたらめな歌を口ずさみながら目線を落としたコレットに倣い、ロドニーも慌てて四つ葉探しを再開する。

 彼女とおそろいも嬉しいけれど、できることなら自分が先に見つけたい。そうして、あのまんまるな瞳で喜んで欲しい。期待を膨らませながらも、ロドニーはなかなか集中できなかった。弾む歌声は止まらなくて、聞いているだけでつい笑ってしまう。目の端ではバターブロンドが右に左にと拍子を取っていた。

 ここには、一緒に歌い出すキーランも、髪の毛を耳にかけてあげるユリシーズも、クローバーに三つ葉と四つ葉がある理由を教えてくれるサディアスもいない。ロドニーとコレットの二人きりだ。いつもなら、もう別の遊びを始めているころだろう。五人でいるときは、皆が競うように次々と新しい遊びを提案してくのだ。それはコレットを楽しませるためでもあったし、ルールの説明にかこつけて彼女の隣に座るためでもあった。今日は、その必要がない。そんなことをしなくても、コレットはロドニーの隣にいる。二人の座る位置は少し離れていたし、向きはバラバラで首を回さなければ顔も見えない。それでもロドニーには、彼女がいつもより近くに感じられた。

 くふふっ、という笑い声と共に、背後でコレットの立つ気配がする。

 「わ、……なに?」

 頭の上に何かが乗せられ、首をすくめた。コレットは、いたずらめいた笑みを浮かべるばかりで教えてくれない。そろりと伸ばした手には、ふさふさと湿った鳥の羽にも似た柔らかな感触。

 「すごい! お花のかんむりだ!」

 「それ、ロッドにあげる」

 「いいの? レティが作ったんでしょう?」

 「いいよ! すぐ作れるもん。そうだ、もういっこ作ろう」

 言うなり、コレットはたくさん並んだクローバーの中からひょろりと長く伸びた花を一本、二本と摘んでいく。

 まっすぐな花が、どうやって丸の形になるんだろう。じっと注がれる視線に、彼女が気づいた。

 「ロッドもやる?」

 「うん! おしえて」

 コレットは、ゆっくりと何度も手本を見せてくれた。ロドニーも真似してやってみるのだが、なかなかうまくいかない。つい力が入って、茎が折れてしまうのだ。コレットが二つ目の冠を完成させたとき、ロドニーはまだ四本目の花を探し直している段階だった。

 「ぜんぜん上手にできないよ。レティは、すごいね」

 「ママと、いっぱいれんしゅうしたの。それにね、ロッドのもだいじょうぶだから、かしてみて」

 言われるがまま渡したそれに、コレットは一本の花をくるりと巻き付けた。ロドニーが作ったへろへろの小さなアーチが、あっという間に輪っかへと変わる。

 「ほら。これなら、手につけておけるでしょ」

 「ブレスレットだ!」

 「そう、ちっちゃく作ればブレスレットになるの」

 「じゃあ、それはレティにあげる。さっきのかんむりと、こうかん」

 「これも、こーかん? ふふっ、ありがと!」

 そこで、ロドニーはいいことを思いついた。

 「こんどは、ぼくが笛の作り方おしえてあげる!」




 タンポポ笛は簡単に作れるが、音を出すのには少しコツがいる。最初は息と一緒に笛を吹き飛ばしてしまっていたコレットも、次第にピーピーと音を鳴らせるようになっていった。二人で高い音を響かせては、プピーッと時たま混じる調子っぱずれな音に笑い転げる。

 追いかけっこはロドニーの方が速く、だけど二人とも蝶には敵わない。てんとう虫を捕まえるのは、コレットの方が上手だった。疲れれば、ちぎった足元の草を絡め引っ張り合いっこをして遊んだ。草が切れる度に尻もちをつくのがおかしくて、勝っても負けても大げさにひっくり返る。そのままごろんと寝ころべば、ひんやりとした風が汗ばんだ額を撫でた。

 聞こえてくる鳥の声を、ロドニーがふざけて真似る。「上手! ほかは?」と、コレットに促され始まったクイズ大会。ロビン、カッコウ、ブラックバード、しまいには彼女のリクエストにロドニーが応えていた。終わらないでと願う暇すら与えず、楽しい時間は過ぎていく。

 大人になったかのような長い影で遊んでいる最中、先に気づいたのはコレットだった。

 「あっ、かえらなきゃ」

 ロドニーも慌てて教会へ目をやる。丘の上に建つ教会、そのてっぺんにある十字架のすぐ上まで太陽が迫っていた。夕日が教会へ隠れる前に帰るのが、子どもたちの決まりだ。

 かえりたくないな。名残惜しく辺りを見渡し、はっとする。

 「四つば!! ……見つけられなかった」

 正確には、すっかり忘れていた。それでも、思い出してしまえば悔やまれる。浮き立った気持ちがぱちんと弾け、ロドニーの胸は一気に重たくなった。

 コレットも覚えていなかったようで、「そうだ、こーかんだった」と呟いている。だが、もともとは違ったのだ。

 「あげたかったな……」

 落とした言葉を追いかけるように、しゃがみ込む。コレットを喜ばせたかった。そのはずが、忘れて遊んでしまうなんて。たのしかったけど、たのしくない方がよかった。そんな風に考えてしまうことも嫌で、ロドニーはなんだか泣きそうになった。

 今、見つかったらいいのに。視線を彷徨わせていると、妙に間延びしたコレットの声が降ってきた。

 「ねー、ねー、四つばのクローバーは、シアワセ? に、なれるんだっけ」

 「うん」

 これも、それも、三つ葉だ。ただの葉っぱで、魔法はかからない。

 「ねー、ロッド。シアワセってなに?」

 「え?」

 つと顔を上げた。シアワセ、って何だろう。

 「……いーっぱい、うれしくて、いーっぱい、たのしいこと、じゃない?」

 同意なのか、納得なのか、コレットがふるふると小さく首を縦に振る。間違ってなかったようだと、ほっとしたのも束の間。

 「じゃあ、わたし、四つばのクローバーいらない」

 え。なんで。レティのために、さがしにきたのに。いらない、などと言われてしまったら、ロドニーの今日一日はいったい何だったのか。皆と公園で遊びたかった。コレットが幸せになれたらいいと思った。それなのに。なんで、そんなこと言うの。ひどいよ。いろいろな思いが湧き上がる。けれど、心はくしゃくしゃに丸められた紙みたいになって、ロドニーの喉を塞いでしまった。

 「かえらなくちゃだよ。ロッド、行こう?」

 伸ばされた手。そこには、くったりとしたブレスレットが今にも落ちそうにかかっている。それを見ていたら、ぽろりと言葉が出た。

 「なんで」

 「え?」

 花を押し上げるようにして彼女の手を取ったものの、ロドニーは腰を上げない。

 「なんで、四つばのクローバーいらないの?」

 悲しくて、でも気になった。コレットが何を考えているのか。急に遠くなってしまった彼女との距離を埋める方法が知りたかった。

 「だって、いらないんだもん。ロッドとお花こーかんして、笛もおしえてもらって、いーっぱいうれしかったでしょ。それで、ロッドといっぱいあそんで、いーっぱいたのしかったでしょ。だから」

 薄いインディゴの空に、バターブロンドの髪が透きとおる。サファイアブルーに沈む夕日が、ロドニーをじわじわと熱くしていく。だって、そんなの。ぼくも、ぼくだって、おんなじだ。きらめく瞳が、二つの波に変わる。

 「わたし、もうシアワセだから、なくてもいいの」

 きゅうっと息が苦しくなった。すき。レティが、すきだ。

 可愛いから好きでも、優しいから結婚したいでもなく。初めて、ロドニーはコレットのことを、ただ、ただ、好きだと思った。




 「コレット。僕と、結婚してください」

 片膝をつき見上げた顔に、遠い昔の光景が重なった。

 見開かれた瞳に浮かぶ光。二十年前と違うのは、それが夕日ではなく彼女自身から湧きあがったものであるということだ。波打って、堪えきれずに一筋こぼれる。

 「はい、喜んで」

 聞くや否や立ち上がり、ロドニーはコレットをきつく抱きしめた。

 「ありがとう。絶対、幸せにするから」

 ぎゅっと抱き返した手が、ロドニーの背中を優しく撫でる。

 「ありがとう。でも、私はロドニーといられれば、それで幸せ。起きたら隣にいて、寝るときも隣にいるんでしょう? それが、毎日。きっと、すごく楽しいね!」

 「四つ葉のクローバーがなくても?」

 「そう、私たちには必要ない。でしょ、ロッド?」

 そうかもしれない。一緒にいるだけで充分とは最高の賛辞だろう。だが、自分の手で幸せにしたいと思ってしまうのだ。また断られちゃったよと、あのときの自分へ苦い笑みを向ける。独りよがりで傷つき、シアワセの一言で恋に落ちた。馬鹿みたいに単純だが、子どもだったのだから仕方ない。報われてしまえば幼稚ささえも微笑ましく、お前は本当にコレットと結婚するよ、良かったなと幼い自分の肩を叩く。

 「なんだか、気の抜けた顔してる。……緊張した?」

 にやにやと、コレットが笑う。

 「そりゃ、ね」

 「断るわけないのに」

 「そうかもしれないけど。……あいつらに、散々言われたからかなぁ」

 「ユリシーズたち?なんて?」

 「初恋は叶わないって」

 俺らの初恋は叶わなかった、初恋とはそういうものだ、と。完全なる当てつけだ。それでいて、結婚式はいつだだの、早くコレットのドレス姿を見せろだのとせっついてくる。背中を押してくれた彼らにも報告しなければ。男四人の祝賀会では、きっと誰も彼もがべろべろに酔っぱらうのだろう。その前に、きちんと礼だけは言っておきたい。

 「それなら、大丈夫。初恋じゃないもの」

 「え!?」

 衝撃的な発言に、胸を満たしていた温もりが霧散した。確かに、コレットの口から初恋の話を聞いたことはない。恋人にロドニーを選んでくれたとき、彼女も自分のことをずっと好きでいてくれたのだとなんとなく思い込んでいた。昔は誰が好きだったのか。やはりユリシーズだろうか。先ほどまでの感謝が、一瞬にして恨めしい気持ちへと変わる。昔のことだ。分かってはいても、今日このときに知りたくはなかった。

 くふふっと彼女が声を漏らす。この笑い方は。

 「お菓子を分けてくれたときでしょ、傘を貸してくれたとき。電話で話を聞いてくれたとき、付き合うことになったとき。一年前のロドニーだって、一か月前、一週間前だって」

 歌うように、並べられていく。拍子を取る髪は、背中を緩やかに流れた。

「会う度に惚れ直してるから、これが何度目の恋かなんてもう分からないの」

 キラキラとした輝きは、サファイアブルーの海だけに留まらない。

 ああ、もう。そんなの。

 眩しいほどの幸せをまとったコレットの姿に、ロドニーもまた幾度とない恋を重ねた。

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ミルフィーユのひとひら きづき @kiduki

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