第21話 エイとサメ

 そんなわけで次の休日、私たちはさっそく近くにある水族館にやってきた。


「悠一さん、体調はもう大丈夫なんですか?」


「うん。ちゃんと寝て食べてたら元気になったよ」


「それならいいんですけど」


 あんまり無理はしないで欲しいな。


 平日のせいかあまり人のいない館内を二人で歩く。


 サンゴ礁を再現したという一階から二階まで突き抜ける大きな水槽には、青やピンクや黄色の魚が宝石みたいに輝いていた。


「わあ、綺麗。見てるだけで涼しげですね」


「うん、そうだね」


 悠一さんは少し離れた所から水槽を見上げた。整った横顔に青い光がキラキラと反射して、今にも海の中に消えてしまいそうだ。


 水槽を見上げ歩いていく悠一さんの後を私は小走りで追いかけた。


「あ、すみません。私、移動するの遅いですよね。なんか、こういう魚の解説って全部読まないと気がすまないたちで」


 活字中毒とでも言うべきか。目の前に文字があるとついつい全部読んでしまうのは私の悪い癖だ。きっと悠一さんも遅いと思っているんだろうな。


「いや、果歩さんのペースでいいよ。僕は魚を見てぼんやりしてるだけで楽しいから」


「そ、そうですか。すみません」


 自分のペースでいいと言われても、何となく悪い気がして早足になってしまう。

 でもお気に入りの大きなエビと変な顔のオコゼのところでは思わずじっくりと魚の顔を眺めてしまった。


「あっ、果歩さん見てこれ、面白いよ」


 大きな水槽の前にいた悠一さんが手招きする。


「何ですか?」


「エイとサメの違いだってさ」

 

 エイが展示されている水槽の前に行ってみる。そこにはエイとサメの違いについての解説文が書かれていた。


「エイとサメ?」


「うん。エイとサメは同じ軟骨魚類で同じような種類の魚だけど、ヒレの位置で見分けられるんだって。それからここ、サメとエイでは顔つきが違うって」


「顔つきですか?」


 悠一さんが指さしたパネルを見ると、そこにはエイとサメの比較写真があった。


「そ。ニコニコしてるのがエイで、怒ってるのがサメなんだって」


「わぁ、エイの顔可愛い」


 確かにエイの顔は口角が上がっていて笑っているように見えるのに対し、サメは口角が下がっていて怒っているようにも見える。面白い。


「サメの顔は秋葉みたいだ」


「じゃあエイは大吉さん?」


「ははは、言われてみれば少し似てるかも」


 くしゃりと微笑む悠一さん。水槽から差し込む淡い光。青く照らされた笑顔が優しい。

 良かった。最近根を詰めてたみたいだけど、少しはリラックスできたのかな。


 だけど私がじっと悠一さんの顔を見ていると、悠一さんの顔から笑顔が消え、ふっと真顔に戻った。


「悠一さん、どうかしたんですか」


「いや――別に大丈夫。先に進もう」


 悠一さんは、じっと水槽の向こうを見つめた。


 悠一さん、やっぱり少し様子がおかしいな。やっぱりまだ体調が万全じゃないのかな。それとも仕事のことが頭から抜けきらないとか? 折角だからリフレッシュしてほしいんだけど。


 じっと悠一さんを見つめていると、悠一さんは辺りをキョロキョロと見渡し始めた。


「どうしたんですか?」


「あ、いや、何でもないよ」


 なんだろう。悠一さん、人目を気にしてるのかな。


 そういえば、さっきから「ゆっくり見てていいよ」とか「自分のペースでいいよ」とか言ってくれるけど、あれは一緒に歩きたくないと遠回しに言っていたのでは?


 私は水槽に映る自分の姿を見つめた。


 ……もしかして一緒に歩く私の服装が物凄くダサいとか。それで一緒に歩きたくない?


 いやいや、確かにジーパンにパーカーでお洒落という訳ではないけど、そこまで酷くはないはず。


 ってことは服じゃなくて顔がそもそも駄目?


 私みたいな冴えない女と水族館に来てしまったことが気に食わないってこと!?


 そうだ。悠一さんは優しいから、私の前ではそんなこと言わないけど、本当はもっと可愛い子と来たかったのかも。


 私はうつむき、青い光が揺れる床を見つめた。



「そういえば」


 悠一さんがくるりと振り返る。


「何ですか?」


「もうすぐお昼だけどどうする?」


 悠一さんに言われ時計を見ると、時刻は十一時半ころ。お昼には少し早いけど、朝ごはんを早く食べたせいかなんとなくお腹が空いたような気もする。


「少し早いですが、混む前にレストランに行ってみませんか?」


「そうだね、行ってみようか」



 レストランにつくと、悠一さんはまたしてもキョロキョロと辺りを見回しだした。


「悠一さん、どこに座ります?」


「うん。ちょっと待ってて」


 そう言うと、悠一さんはいきなり観葉植物の後ろに向かって走り出した。


「悠一さん、どうし――」


 私も後を追いかけて走ると、悠一さんは観葉植物の後ろから何かをズルリと引っ張り出した。


「見つけたぞ、秋葉」


「痛ててててっ、離せ、離せよっ!」


 悠一さんに襟首を掴まれていたのは大きな瞳に白い肌。茶色い髪をした高校生――秋葉くんだった。


「秋葉くん、どうしてここに」


 今日は学校じゃ……何で秋葉くんがここにいるの?


「あれー、秋葉、見つかっちゃった?」


 ヒラヒラと手を振りながら呑気に現れたのは大吉さんだ。まさか秋葉くんに加えて大吉さんまでいるなんて。


「二人とも、どうしてここにいるんですか?」


 尋ねると、大吉さんがにこやかに秋葉くんの肩を抱く。


「デートだよ。秋葉があーんまり可愛いから」


 秋葉くんは不機嫌そうに大吉さんの足を蹴った。


「気持ち悪いこと言うな」


「いてて。痛いよ、秋葉」


 悠一さんは二人に視線をやると、腕組をして大袈裟に息を吐いた。


「二人とも、僕たちのこと尾行してただろ」


「えっ?」


 秋葉くんと大吉さんの方を見ると、二人はバツの悪そうな顔で笑っている。


「だって二人のことが気になってさ」

「俺も水族館行きたかったし!」


 もしかして悠一さんがさっきからキョロキョロしてたのって、二人の尾行に気づいてたから?


 なぁんだ、そうだったんだ。


 ホッと胸を撫で下ろす。


「大吉兄さんも、仕事は?」


 呆れ顔で悠一さんが尋ねる。


「今日は休みを取ったよ。ちょうど有給も余ってたし。総務の子に取れって言われてたんだ」


 大吉さんたら、私たちの水族館行きを監視するために休みまで取るなんて。


「……っていうか、大吉さんって何の仕事してるんですか?」


「え? 普通のサラリーマンだけど?」


 嘘だぁ。普通のサラリーマンにしては派手すぎる!


 秋葉くんはニヤリと笑った。


「俺も休みを取った。二人のデートがどんなもんか気になってさ」


 いやいや、秋葉くんのはただのサボりでしょ。勉強しなさい。っていうかそもそもデートじゃないし。


 はぁと隣で悠一さんが大きなため息をつく音が聞こえた。

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