第10話 あんことホットケーキ

 日が段々と落ちてきて、肌寒い夜の空気が押し寄せてくる。慌ただしい和菓子屋の一日はようやく終わりを告げようとしていた。


「さてと。今日の営業は終了だな。この札かけてドア閉めといて」


「はい、分かりました」


 秋葉くんに教えられた通り、表に『準備中』の札をかける。


 ふう、なんとか二日目も無事に乗り切ったみたい。


「お疲れ様でした」


 私が頭を下げると、秋葉くんは苦々しい顔をした。


「お疲れ様じゃねーよ。本番はこれからだから。まだレジ合わせが残ってる」


「は、はい」


「一円でも合わなかったらただじゃすまねーからな」


 秋葉くんはドスの効いた声で言った。


「はい」


 ちょっぴりドキドキする。でも大丈夫なはず。お客さんもそんなに来なかったし、充分気をつけたから。


 だけど現金を数え始めて、さぁっと血の気が引いた。


 ――合わない。嘘でしょ!?


 いくら金額を確かめてみても、どうしても五十円合わない。緊張で手が震えた。どうしてだろう。


 横で見ていた秋葉くんの顔色が変わる。


「おい、どうした。まさか合わないんじゃないんだろーな」


「え、えーと、その」


 冷や汗がダラダラと流れる。五十円の誤差。もしかしてお釣りを渡す時に百円玉と五十円玉を間違えたのだろうか。


 私が泣きそうになりながら何度もお金を数えていると、奥から悠一さんがやってきた。


「どうしたの、何かあった?」


「あの、えっと、レジが――」


「レジ? ああ」


 そう言うと、悠一さんはツカツカとレジに歩み寄り、ガタンとレジの小銭入れを外した。


「このレジ古いせいか、すぐ小銭とかお札挟まるんだよね。ほら」


 悠一さんは、レジの奥から銀色に光る五十円玉を取り出した。


「あ、ありがとうございます」


 良かった! レジは合ってたんだ。


「秋葉、ここにお金が挟まりやすいってちゃんと教えないと」


 悠一さんがたしなめると、秋葉くんはチッと舌打ちした。


「ふん、まあそういうこった。今度からは気をつけろよな」


「はい」


 良かった。お店の売上も合ってたし、無事に今日の業務も終わったみたい。


「――あのっ」


「あん?」


 私は帰ろうとした秋葉くんの後ろ姿に声をかけた。


「確かに私は今まで和菓子の仕事もした事ないし、知識も経験もまだまだですけど……ここの和菓子が好きなんです」


 私は店頭のどら焼きを指さした。


「昔から伝わる餡子と、新しく入ってきたホットケーキがミックスされて美味しいどら焼きができたみたいに、私も今までの経験を生かして兎月堂をもっと良くしたいんです!」


 吐き出すように、一気に叫んだ。


 自分でもどうかしてると思う。でも、どうしても伝えたかったのだ。私がここの和菓子を好きだということ、ここで働いて、このお店の役に立ちたいと思っていること。


 秋葉くんは一瞬戸惑ったように目を丸くした後、フンと鼻を鳴らした。


「そんなこと言ってる暇があるならもっとうちの菓子を勉強しろ。お前には早くここの戦力になってもらわないとな」


「は、はいっ」


「やるよ」


「へっ?」


 手の中に何かを押し付けられる。よく見ると、それは兎月堂のどら焼きだった。


「腹が減ったから仕事の後に食おうと思ってたけど、食う気が失せた。お前にやる。これ食って、明日からはもっと働け」


「あ、ありがとうございます」


 エプロンを脱ぎ去っていく秋葉くんの後ろ姿を見つめる。


 一応……ここで働くことを認めてもらえたのかな?




 二日目の出勤を終え、家に帰ってきたのは午後六時過ぎだった。


 お店を出る時に悠一さんに声をかけてきたけど、忙しくてまだ帰るには時間がかかるそうで――


「――よしっ」


 私は冷蔵庫を開けた。家事は手の空いた方がやる、冷蔵庫の中のものは好きに使っていい、と言われている。


 だけれども昨日の晩ごはんも今日の朝ごはんも、疲れているだろうからと結局悠一さんに作って貰ってしまった。今日ぐらいは私が作らないと。


「人参、玉ねぎ、キャベツ……」


 健康に気を使っているのか、野菜室の中は男の人の冷蔵庫とは思えないほど充実していた。でも選択肢が多いとかえってメニューに困ってしまう。


「うーん」


 さて、何を作ろう。


 私はエプロンをつけると、腕まくりをした。



「ただいま」


 疲れた声とともに玄関が開いたのは八時過ぎだった。


「おかえりなさい、悠一さん。遅かったですね」


「うん。明日の仕込みがあったから」


 悠一さんが鍵と財布を机の上に置きながら答える。


「それより果歩さんはどうだったの。秋葉のやつ、ちゃんと教育係やってた?」


「はい、大変だったけど、楽しかったです。秋葉くんもきちんと仕事を教えてくれましたし」


「そう、良かった」


 悠一さんは台所に向かうと、鍋の蓋をカパリと開けた。


「お、いい匂いがすると思ったら、晩ご飯、作ってくれたんだ」


「ああ、はい。でも大したものじゃありません。ポトフとマリネを。私の方が早く帰って来たから、冷蔵庫に余ってた食材で何か作ろうと思って」


 簡単で野菜がたくさん取れるポトフは私がよく作るメニューだ。


 じゃがいもに、にんじん、玉ねぎにキャベツ、それにセロリにニンニク、ベーコンとウインナー。本当はローリエもあれば良かったんだけど、今回は無し。


 だけれど栄養満点で、彩りも鮮やかで中々上手くできたと思う。


「へぇ、美味しそう、食べていい?」


「もちろんです。あの、お口に合うかどうか分かりませんけど」


 悠一さんが嬉しそうにご飯をよそう。私はドキドキしながらポトフを口に運ぶ悠一さんの姿を見守った。


 私はセロリが好きだから、つい入れすぎてしまったけど、悠一さんの口に合うだろうか。


「うん、美味しい」


 悠一さんの言葉に、ほっと胸をなで下ろす。


「良かった。ちょっと薄味じゃないですか?」


「いや、美味しいよ。お腹に優しくて、体が温まる感じがするね」


 じゃがいもをホフホフさせながら悠一さんは笑う。


「はい。昼間は暖かいですけど、夜はまだ冷えるので」


 悠一さんがお皿を傾けスープを飲み込む。あの余ったスープにご飯を入れたりしても美味しいんだよね。チーズをかけて、ちょっとリゾット風にしたり。


 ぼんやりと悠一さんの食べ姿を見つめていると、悠一さんが顔を上げた。


「果歩さんはもう食べたの?」


「はい。これからおやつです」


 私が冷蔵庫からどら焼きを出すと、悠一さんは目を丸くした。


「それ、お店の?」


「はい。秋葉くんが奢ってくれて――」


「秋葉が?」


 悠一さんが目を丸くする。


「ふぅん、そうなんだ」


 そして少し嬉しそうにはにかんだ。


「あいつも先輩としての自覚が生まれてきたのかな」


 食事を終えると、私たちは順番にお風呂に入った。


 先にお風呂を終え、居間でテレビを見ていると、突然ガラリと洗面所のドアが空いた。


「あのー、果歩さん」


「は、はいっ」


 半裸の卯月さんがひょっこりと顔を出す。


 ひ、ひえっ。


「な、何でしょうか」


 思わず変なところから声が出る。

 これで二回目だし、そもそも男の人だから上半身裸でも何ら問題もないはずなんだけど、やっぱり緊張してしまう。


「悪いけど、そこに干してあるTシャツ一枚取ってくれるかな」


 指さされた方向を見ると、部屋の隅にロープが渡してあり、そこに洗濯物がかかっている。


「はいっ、分かりました」


 えっと、Tシャツ、Tシャツ……。


 でもTシャツと言ってもどのTシャツにしたらいいんだろう。そう思いながら洗濯物を見ると、いつも悠一さんが作務衣の下に着ている黒いTシャツがずらりと並んでいる。


 ドキドキしながら乾いているTシャツを一枚渡すと、悠一さんは濡れた髪のままニコリと笑った。


「ありがとう」


 洗面所のドアが閉まると、私はふぅと長い息を吐いた。


 悠一さんと暮らし始めてはや三日。


 仕事には段々と慣れてきたけど、こういうのはまだ慣れそうにない。

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