第9話 出勤二日目
そして出勤二日目の朝がやってきた。
「おはようございます」
「おはよう果歩さん」
リビングのドアを開けると、ふんわりと香る甘い匂い。どうやらまたしても悠一さんが朝ごはんを作ってくれていたようだ。
今日の朝ごはんはホットケーキとサラダにコーンスープ。
こんがりと綺麗なきつね色に焼けたホットケーキ。その上でバターがトロリと溶けるのを見て、思わず唾を飲んだ。
「わぁ、美味しそう」
「ご飯が少し足りなかったから、今日はホットケーキにしてみたんだ」
目の前に、ホカホカと湯気を上げるホットケーキが置かれる。綺麗なきつね色の上で、トロリとバターが溶けた。
「蜂蜜はそこにあるから」
私は早速、小さく切ったホットケーキに蜂蜜とバターを絡めて口に入れた。
「んんっ、美味しい。何だかふつうのホットケーキと全然違いますね」
モチモチしてて、それでいて柔らかくて、口の中にほんのりと甘い風味が広がる。この味は――
「うん。実はこれ、ホットケーキミックスじゃなくてどら焼きの材料で作ったからね」
「これホットケーキじゃなくてどら焼きなんですか?」
私はじっと目の前のホットケーキを見つめた。確かにそう言われると、どら焼きの皮にも見えるような。
「江戸時代まで、どら焼きってきんつばみたいなお菓子だったんだって。それが明治以降、西洋から入ってきたホットケーキの影響を受けて今の形になったと言われているんだ」
「へぇ、そうなんですね」
どら焼きがホットケーキの影響を受けていただなんて全然知らなかった。
「それじゃあ僕はもう家を出るから」
私が感心していると、悠一さんはエプロンを置き、貴重品を持ってドアの方へと向かった。
「はい、行ってらっしゃい」
私は家を出ていく悠一さんを見送った。
九時出勤の私と違い、卯月さんは朝七時すぎには家を出る。
前日注文を受けた商品や生菓子を作ったり、朝の仕込みをしたりしなくてはいけないからだ。
閉まるドアを見送ると、私も慌てて着替えと洗顔を済ませた。別に急ぐ必要は無いんだけどね。
ふと洗面台を見ると、赤と青、二つの歯ブラシが仲良く並んでいる。
なんだか変な感じ。でもこういう生活も慣れれば悪くないかも。
問題は、今日もバイト先で秋葉くんの指導があるって事ぐらいだけど――
和菓子愛って……どうしたら認めてもらえるの?
◇
そして出勤二日目。
昨日と同じように秋葉くんに見張られながら業務が始まった。
昨日よりお客さんは多いけど、何とかレジをこなし、ほっと一息着いた頃、いかにも今どきという感じの制服姿の女子高生二人組が店に入ってきた。
「いらっしゃいませ」
慌てて頭を下げる。
「こんにちはぁ」
「やっほー秋葉くん」
女子高生二人組は、秋葉くんの姿を見つけると、きゃあきゃあとはしゃいで手を振り出した。
秋葉くんは露骨に嫌そうな顔をする。
「サヤにユリアじゃん。どうしたんだよ」
女子高生二人組は顔を見合わせ、キャーと叫び声を上げた。
「秋葉がここでバイトしてるって聞いて、遊びにきたんだよぉー」
「甘いものも食べたいし。ねー」
「いや別に、いつもバイトしてる訳じゃねーし」
どうやら秋葉くんのお友達みたい。もしかしてどちらかが彼女だったりして。
二人は甲高い声でお喋りしながらお菓子を選んでる。その弾ける若さに、何だか目眩を覚える。
「じゃあ、このどら焼き二個」
「私もこのどら焼き下さい」
秋葉くんに監視されながらレジを打つ。お釣りを渡して、丁寧に紙袋に包んで渡してあげる。
「あっ、私、袋いらなーい」
女の子のうちの一人が袋を断る。
「いいの?」
「うん。だって、その辺で食べるしぃ」
「そっかぁ」
私たちのやりとりを見ていた秋葉くんがため息をつく。
「その辺ってどこだよ」
「その辺はその辺だよ。店の前とか。じゃあねー」
そう言いながら、二人は店を出ていく。
「あいつらどこで食う気だよ」
秋葉くんがサヤちゃんとユリアちゃんを追いかけて外に出る。
ど、どうしよう。私も追いかけたほうがいいのかな。
「あのぉ」
そっとドアを開けて外をのぞき見ると、秋葉くんの怒鳴り声が聞こえてきた。
「てめーらなぁ、こんな所で食うなよ!」
見ると、女の子二人は制服のまま地面にしゃがみこんでどら焼きを食べている。スカートが短いので今にもパンツが見えそうだ。
女の子たちは顔を見合わせると、ヘラヘラと笑いだした。
「えー別に良くない?」
「そーそー、ここ食べるところないし」
「あのなぁ、だからって店の前でしゃがみこまれると迷惑なんだよ!」
ますます大きくなる秋葉くんの声。
近所の人たちも、何事かというふうにこちらを見ている。
ま、まずい。
お店の前で揉め事なんて起こしたら大変!
どうしたらいいの!?
私は慌てて奥の倉庫に行くと、使われていない椅子を二つ引っ張り出してきた。
「果歩さん?」
悠一さんが不思議そうな顔で、椅子を運ぶ私を見やる。
「説明は後でっ」
私は汗だくになりながら椅子を運ぶと、店の前にドカリと置いた。
「あのーちょっといいかな。地面に座るとスカートが汚れちゃうと思うから、良かったらこれ使って?」
できるだけ優しい笑顔を作りながら言うと、女子高生たちは素直に頭を下げた。
「わぁ、お姉さん、ありがとう」
「じゃー、これに座ろっか」
私の持ってきた椅子に腰掛け、笑顔でどら焼きを頬張る女子高生たち。
あら、派手な外見なのに意外と素直?
秋葉くんはふん、と鼻を鳴らした。
「まぁ、椅子に座るんならいいけどさ」
やがてどら焼きを食べ終えた女子高生二人組は「ごちそうさまでした!」と元気よく頭を下げて去っていった。
ふう、なんとか切り抜けたぞ。
「ねぇ、あの女の子たちって、秋葉くんの彼女?」
女の子たちの姿が見えなくなると、私は低い声で秋葉くんに尋ねた。秋葉くんは眉間に皺を寄せる。
「彼女!? んなわけあるかよ。あいつらはただのとりまきっつーか、ファンクラブ? そんな感じ」
ファンクラブ!? ただの高校生なのに、そんなものがあるなんて少女漫画みたい。
秋葉くんは黙ってればアイドルみたいに可愛いから、気持ちは分からなくはないけど。
「凄いね。秋葉くん、モテるんだね」
「まーな。でも好きさじゃない奴に好かれても迷惑なだけだから」
さすがモテる男は言うことが違う。
でも勿体ないなぁ。二人とも派手だけど可愛かったし、いい子そうだったのに。
「だから……まぁ、ある意味ここのバイトがあんたに決まって良かったよ。俺目当ての女にここにバイトされても困るからな」
「はあ」
私がキョトンとしていると、秋葉くんは私の目の前でパンパンと手を叩いた。
「それよりほら、無駄口叩いてないでさっさと仕事に戻れよ」
「はいっ」
私はいそいそと仕事に戻った。
それにしても、モテるってのも大変なんだなぁ。生まれてこのかたモテたことなんか無い私には、一生分からない感情だわ。
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