3.敵情視察

第11話 新緑の季節

 春は過ぎ去り、新緑が眩しい季節。


 初めは秋葉くんと一緒にやっていた店頭業務も、最近ではすっかり私一人でこなせるようになっていた。


 秋葉くんも受験なんかでこれから忙しくなるだろうし、私ひとりでも頑張らなくちゃ。


 お釣りの準備に在庫の確認。店の清掃を終え、本日の業務が始まる。


「いらっしゃいませ!」


 開店してしばらくすると、五歳ぐらいの女の子とお母さんが入ってきた。


 母親の顔には見覚えがある。いつもおはぎを買ってくれる常連さんだ。


「ママ、これ買って!」


 子供がお饅頭を指さす。


「この店の名物はおはぎなのよ。おはぎを買って帰るわよ」


「やだーっ」


「あのっ」


 私は思い切って親子に声をかけた。


「もし良かったら試食してみませんか?」


「あら、良いんですか?」


 親子に試食用の小さく切ったお饅頭を渡す。確かにこの店の名物はおはきだけど、お饅頭も美味しいので一度食べて欲しかったのだ。


「んー、美味しいわねぇ」

「おいしい」


 目を輝かせる親子。


「ママ、これにしようよ」

「そうねぇ」


 母親は少し考えた後、お饅頭の箱を指さした。


「じゃあ、これ一つお願いします」


「はい。ありがとうございます」


 私はお饅頭の箱を丁寧に包むと、笑顔で帰っていく親子に頭を下げた。


「ありがとうございました」


 満足感で満たされていた。私の頭の中には、あの親子がお饅頭を笑顔で食べる姿がくっきりと思い浮かんだのだった。


「果歩さん、店番交代するからそろそろお昼に行ってもいいよ」


 お昼になり、奥から悠一さんが出てきて声をかける。


「はい。ありがとうございます」


 頭を下げる私の顔を、じっと悠一さんが見つめる。にこにことしていてやけに上機嫌そうだ。


「何でしょうか?」


 首を傾げると、悠一さんは照れたように笑った。


「あ、いや、いい笑顔だなと思ってさ。だいぶお店にも慣れてきたみたいだね」


 本当だろうか。自分の頬に手を当てる。全く自覚が無かった。


「そうかもしれません。悠一さんたちのおかげです」


 部屋に戻り、お昼ご飯のラーメンを食べる。即席だけど、野菜をたっぷり入れた塩ラーメン。暖かい温もりとお野菜から出た出汁がお腹を満たす。


 しばらくして、じわりと嬉しさが込み上げてきた。


 良かった。私、ちゃんと笑えてたんだ。前の会社で笑えないと悩んでいたのが嘘みたいだ。


 人はすぐには変われない。


 だけど、ここにいたら何かが変わる、そんな予感がした。


 初めは正社員になるまでの繋ぎでもいいと思っていたけど、私はすっかりここでの仕事を好きになっていた。


 だけど――


「ふあぁああ」


 お昼ご飯を食べ終わり店頭に立っていると、ついついあくびが出た。


 それもそのはず。今日は天気も良いし、日曜日だからもっとお客さんが来てもおかしくないはずなのに、昨日から妙に客足が少ないのだ。


 どうしたんだろう。何か町内の行事でもあるのだろうか?


 不思議に思っていると、悠一さんがお昼を終えて戻ってきた。


「どうしたの、果歩さん。ぼうっとして」


「いえ。今日は何だか人が少ないから、どうしたのかなぁって」


「ああ」


 悠一さんが困ったように笑う。


「それってもしかして、これのせいじゃないかな」


 悠一さんが差し出してきたのは一枚のチラシだった。


「これは」


「秋葉が持ってきてくれたんだよ。金曜日に新聞に挟まってきてたって」


 『和菓子庵・風雅、今週の土曜日オープン!』


 チラシには、お洒落な和菓子屋の写真と共にそんな文字が踊っていた。


「土曜日。昨日オープンしたばかりなんですね。それでみんなそっちに行っちゃったんだ」


「うん、たぶんね」


 そう言うと、悠一さんは少しの間考え込んだ。


「……悠一さん?」


「あ、いや。果歩さん、明日は暇?」


「いえ、何も予定はありませんが」


 明日は月曜日なので、お店は定休日だ。だけど休みの日とは言え、大抵は読書をしたりテレビを見たり、一日中ゴロゴロするだけでこれといった用事もない。


「そう。じゃあもし良ければ、ここに一緒に行ってみない?」


 悠一さんは新しくできたお店のチラシを指差す。やはりライバル店のことは気になるのだろう。かくいう私も、新しい店ができたという話は和菓子好きとしては見逃せない。


「はい、分かりました。一緒に行ってみましょう」


 こうして私たちは、月曜日に二人で新しくできた和菓子屋さんへと、敵情視察に出かけることになったのだった。



 月曜日。着替えをして外に出ると、悠一さんが引越しの時の軽トラを出してくる。


「さっ、これに乗って」


「あれっ、これレンタルじゃなくて悠一さんの車だったんですね」


「そ。便利だからね。前の彼女にはボロクソに言われたけど」


 デートの経験がない私でも、その様子が何となく想像ついてしまい笑ってしまう。


「荷物も色々積めますしね」


「そうそう。何だかんだで軽トラが一番便利なんだよ」


 悠一さんは真面目な顔で愛車をポンポンと叩いた。


 私が助手席に乗り込むと、悠一さんは元気よく声を出した。


「さぁ、出発」


 悠一さんの腕がギアを操作し、車が発進する。


 窓の外に視線を移すと、高く青い空が広がっている。絶好のドライブ日和だ。


 そういえば、引越しの時は必死で意識してなかったんだけど、お父さん以外の男の人の運転する車の助手席に乗るのってあんまり無いかも。私はチラリと運転席を見た。


 端正な横顔。開け放した窓から吹き込む風が、サラサラと悠一さんの髪を揺らす。ハンドルを操作する、細身の体に似合わない意外とたくましい腕。なんだか妙に緊張しちゃうな。


 十分ほどして、私と悠一さんを乗せた軽トラは一軒の店の前で停まった。


「ここですか?」


「うん、そうだよ」


 「和菓子庵・風雅」と書かれた看板を指さすと、悠一さんがうなずく。


「うわぁ、お洒落なお店ですね」


 古民家を改装したようなレトロな外観。広い駐車場は、平日だというのに沢山の車で埋まっていた。


「さ、行こうか」


「はい」


 私はドキドキしながら悠一さんと藍色の暖簾をくぐった。

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