第32話 将来の夢

「会社を辞めた?」


 三人がキョトンとした顔で私を見つめる。


「あ、あら、そうなの」


 最初に口を開いたのはお母さんだった。


「まさか今流行りのパワハラとかセクハラとか、そういうの?」


 美優が身を乗り出す。


「ううん、そんなんじゃないよ。ただ何となく自分には合わないなって」


 とりあえずざっくばらんに答えると、今度はお父さんが心配そうな顔をする。


「じゃあ、これからどうするんだ。次の職はもう見つかったのか」


「あ、うん。それなんだけど、実はもう新しい職場で働いてるの」


 三人がホッとした顔を見せる。


「なぁんだ」


「あらそう。それは良かったわ」


「無職だと困るもんな」


 私は息を吸い込んだ。


「それでね、新しい職場っていうのがこの和菓子屋なんだ」


 私は水羊羹とお饅頭の入っていた紙袋を指さした。


「えー、そうなんだ!」


 驚く美優。お父さんとお母さんは心配そうに顔を見合わせた。


「和菓子屋さんって、この兎月堂とかいう?」


「大丈夫か? 聞いた事ないけど、ちゃんとした会社なのか?」


「そうよ。ちゃんとお給料は貰えるの?」


「えっと、小さい町の和菓子屋さんなんだけど、近所ではそれなりに人気があるというか……お給料はちゃんと貰ってる」


 しどろもどろになりながら答えると、お父さんがずばりと聞いてくる。


「正社員なのか?」


「ううん、アルバイト……」


 声が段々と小さくなってしまう。やっぱり。そこ、突っ込まれると思ってたんだよなあ。


「お前、大学まで出してやったのにアルバイトだなんて」


 見る見るうちに機嫌が悪くなるお父さんを、お母さんと美優がなだめた。


「まぁまぁ、お父さん。女の子なんだから別にアルバイトでもいいじゃないの。安定した職業の旦那さんを捕まえればいいんだし」


「そうだよ。今時正社員じゃない人なんて沢山いるし」


「うむ……」


 美優は水羊羹を口の中に放り込んだ。


「それにお姉ちゃんはもう三十なんだよ? どこに勤めようとお姉ちゃんの勝手でしょ」


「そうは言っても、いくつになっても子供は子供だ」


「そうよ、心配して何が悪いの?」


「と、とにかく、ちゃんとしたお店だから!」


 たぶんだけど。


 だけど私のこの言葉に、両親は一応納得したようにうなずいた。


「それよりこのお饅頭食べてもいい?」


 美優がお饅頭に手を伸ばすと、パクリとかぶりついた。


「んー、何これ。凄い美味しい!」


 美優の言葉を聞き、両親もお饅頭に手を伸ばす。


「本当、美味しいわ。あんこの甘さが絶妙ね」


「また買ってきてくれよ」


 食べた瞬間に笑顔になる両親。

 さすが兎月堂の和菓子だ。


 とりあえず、親に報告は果たせたし、一安心かな?





「そうだお姉ちゃん、ちょっと物置についてきてよ」


 ご飯が終わると、美優が私の腕を引っ張った。


「物置? どうして?」


「お姉ちゃんが来る前に、いらないタオルとか沢山あるから持っていけって言われて物置さがしたんだけどさ、その時に面白いものを見つけて」


 面白いもの?


 二人で物置小屋に向かう。

 年季の入った引き戸をあけると、埃っぽい匂いがした。


「この物置に色んなものが取っておいてあるんだよね。捨てればいいのに」


「ウチらの子供の頃の服まであるよ。これなんか使えるんじゃない?」


「ええー嫌よ、お古なんて。何十年も前のじゃないの」


 そんなことを話しながら物置を漁っていると、何やらガサゴソという音がした。


「あっ、あったあった。これこれ!」


「それ何?」


 美優が出してきたのは、色あせてくすんだ七夕の笹だった。


「短冊? うわあ、これいつの?」


「分かんない。小学校低学年か、幼稚園の時ぐらいじゃない? 懐かしいなぁと思ってさ」


「うんうん、懐かしい!」


 もう短冊に何を書いたかは覚えてないけど、なんとなく笹には見覚えがある。なんて懐かしいんだろう。


「見てこれ、美優ったら『プリンセスになりたい』なんて書いてる!」


 私はピンク色の短冊を見つけて美優に見せた。

 そういえば美優は小さい頃ディズニープリンセスに憧れて、いつもフワフワで可愛いドレスを着てたっけ。そんなことを思い出し懐かしくなる。


 美優は恥ずかしそうに苦笑いをした。


「やだぁ、私の短冊はいいの。まだ子供だったんだから。それよりこれよこれ!」


 美優が指さしたのは、下の方にぶら下がっていたオレンジ色の短冊だった。


「これ、私の短冊?」


 自分が短冊にに何て書いたのか、私は全く思い出せなかった。裏返った短冊をなんの気なしにひっくり返す。


 と「おかしやさんになりたい」という文字が目に飛び込んできた。


 ドクンと大きく心臓が鳴った。


「お菓子屋さんになりたい、だって。お姉ちゃん昔からアイスクリーム屋さんになりたいとか、ケーキ屋さんになりたいとか言ってたもんねぇ」


 けらけらと笑う美優。


 そっか。


 私、お菓子屋さんになりたかったんだ。全然覚えてなかった。


 多分、お菓子屋さんになれば毎日お菓子が食べれるとかそんな理由だし、その頃の私が夢見ていたのはきっと洋菓子屋だろうけど――


 でも胸がほっこりして、何だかとっても嬉しくなった。


「お姉ちゃん、お菓子屋さんになりたいって、短冊の通りになってると思ってさ。凄くない?」


 けらけらと笑う美優。


「うん。まぁ、アルバイトだけどね」


「でも凄いよ。小さい頃の夢を叶えられる大人なんてほとんどいないんだから」


 美優が遠い目をする。

 私は小さくうなずいた。


「……うん」


 美優は私の顔を見て少し笑った。


「あーあ、いいなぁ、お姉ちゃんは。私なんかプリンセスになるつもりができちゃった結婚だし」


 頭の後ろで腕を組み、コキコキと首を鳴らす美優。私はふふ、と笑い声を上げた。


「何言ってんの。あんたはプリンセスだよ」


「どこがよ」


「男の子に見初められて、付き合って、結婚するんだもん。ドレスだって着るんでしょ。立派なプリンセスじゃん」


 私が言うと、美優はおかしそうに笑った。


「ありがと」


 美優は、この言葉を私なりの励ましだと受け取ったみたいだった。


 でも冗談でも何でもなく、私は美優のことをずっとプリンセスだと思っている。


 可愛くて明るくて愛嬌があって――幸せになるために生まれてきた女の子って感じ。私とは全然違う。


 例えできちゃった結婚だろうと、旦那さんがアルバイトだろうと、私にとって美優はプリンセスなのだ。



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