第31話 報告

「ただいま」


 少しして、お母さんはスーパーの袋を手にバタバタと帰ってきた。


「あれっ、お寿司、スーパーで買ってきたんだ。いつものお寿司屋さんじゃないの?」


 美優がゴロリとソファーに横になりながら首を伸ばす。


「美優も結婚するし、これからお金もかかるでしょ。だから節約することにしたの」


 お母さんはキッチンのテーブルの上にお寿司を置いて腰に手を当てた。


「果歩だって、いつ結婚するか分からないし」


 手伝おうとキッチンにやってきた私は、いきなり話を振られ、息をぐっと飲み込む。


「私は当分しないと思う」


 低く呟くと、お母さんは冷蔵庫から出したサラダを私に押し付けた。新鮮なフリルレタスとカラフルなトマト、そして自家製のポテトサラダが乗っている。


「分からないわよ? これから出会いがあるかも知れないし」


「ないない」


 否定するも、今度は美優までスマホを取り出し、何やら検索しだす。


「そうだお姉ちゃん、この間、同じ会社の人が婚活サイトで相手を見つけて結婚したって。ほら」


 『素敵な出会いが待っている!』『年間〇〇人結婚!』というピンク文字に、ウエディングドレス姿の女性。私はなんだか胃もたれしそうになった。


 お母さんは美優からスマホを受け取ると、満面の笑みで私に見せてきた。


「あらいいわね。今はそういうのもあるし、あんたも登録してみたら?」


「遠慮します」


「えー何でよ」


「だって、お金もかかるし、そういうのに登録してる人ってどうせろくな人がいないよ」


「そんなことないよ。これで何人も結婚してるんだから」


「じゃあこれはどう?」


 お母さんが新聞の束の中からタウン誌を取り出す。


「街コンだって。お酒も飲み放題らしいわよ」


 見ると、日付がずっと前のものだ。お母さんたら、私のためにこれをずっと取っておいたに違いない。


「私、お酒あんまり飲まないし」


 もう、せっかくのお寿司なのに、こんな話題ばっかり。これだから帰りたくなかったんだよ。


「とにかく、私はそういうのはいいから」


 ピシャリと言うと、ようやく二人は次の話題に移った。

 申し訳ないけど、今は婚活だとか合コンだとか、そういう話はもううんざりなのだ。

 そりゃ結婚とか子供とか、意識しないでもないし、ずっと一人なのは寂しいと思うけど――。


 私は二人から離れ、テレビに視線を移した。


 わっと歓声が上がり、どこか知らない高校が甲子園の延長戦を制したことが分かった。


 涙を流して喜ぶ球児やチアガール。テレビの中のキラキラとした青春と今の自分の落差に目眩がした。


 何で私はこうなってしまったんだろう。学生時代、ああいういかにもな青春をしてこなかったのがいけなかったのかな。


 麦茶をグラスに注ぎ、一気に飲み干す。


「まぁまぁ、とりあえず寿司でも食べようじゃないか」


 お父さんに言われ、ようやくお母さんがお寿司の包みを開けた。


「そうね、ちょっと早いけど食べましょ」


「はーい」


 こうして私たちは、久しぶりに家族四人で食卓を囲んだ。


「うん、スーパーのお寿司も中々悪くないじゃないか」


 お父さんがイカを噛み締める。


「ええ、あそこのスーパーは元々お魚が新鮮だもの。それに百円寿司みたいに機械が切ってるんじゃなくてちゃんと鮮魚コーナーの人がさばいてるし」


「そうなんだ」


 サーモンを口に入れる。滑らかな舌触りとさっぱりとした風味が喉の奥を通過した。


「ほら、あんたの好きな骨付き肉とカツも作ったわよ」


 お母さんが手羽先の唐揚げとチキンカツを薦めてくる。

 正直、お寿司だけでお腹いっぱいだったので気は進まないが、せっかくなので唐揚げに手を伸ばす。

 ニンニクの効いた甘じょっぱい醤油味の手羽先は、何だかとっても懐かしい味がした。


「懐かしいわね。あんた達、このお肉が出てきたらいつも親戚の子たちと取り合いになってたでしょ?」


 懐かしそうに話すお兄さん。

 骨付き肉にかぶりついてみると、確かに懐かしい味がした。


 昔はこれが大好きだったけど、親戚の子供が沢山いたから、そんなに沢山は食べれなかったんだっけ。

 今ならば他に子供もいないし、お腹いっぱい食べられる。食べられるのに――結局、一、二本食べただけでお腹いっぱいになってしまった。


 はぁ。私も歳をとったということなのかなぁ。いくら見た目が若くても、胃腸の衰えはごまかせない。


「私、お肉は明日でいいや。それより何か甘いものが食べたいんだけど」


 美優が言うと、お母さんはパッと立ち上がった。


「そうだわ。果歩からのお土産、開けてみましょう」


 来た。


 お母さんが立ち上がり、箱を開けるのをドキドキしながら見守る。


 ああ、緊張する。まるで我が子を嫁に出す時のような気分。

 

 お母さんが、箱を開ける。

 青いきらきらとした水羊羹が太陽の光を反射すると、お母さんの頬が自然に綻んだ。


「わぁ、美味しそう」


「あ、うん。夏の新商品の水羊羹と、お饅頭。ここの餡子、凄く美味しくてね」


 思わず早口で説明してしまう。


「あらまぁ、こんなに? でも困ったわね、叔母さんからもちょうどお饅頭貰ってたのよ。餡子って日持ちしないし、食べ切れるかしら」


「あっ、食べきれなかったお饅頭は冷凍すれば大丈夫だから」


 うちではお饅頭に限らず、どら焼きやカステラなど、食べきれなかったお菓子は冷凍保存することにしている。

 そうすれば、本来ならば二、三日しか日持ちがしないようなお菓子でも三週間以上日持ちがするのだ。


「それでね、あの――」


 私は思い切って会社のことを話そうとした。だけれど今度はお父さんと美優が邪魔をする。


「母さん、お饅頭は先に仏様に上げたらどうだ?」

「お母さん、それより水羊羹包丁で切ってよ」


「そうね。お皿も持ってこないと」


 まずい。このままだとタイミングを逃してしまう。そう思った私は、気がつくと大きな声を出してしまった。


「ちょ、ちょっと待ってお母さん」


「何? どうしたのよ」


「どうしたんだ、果歩」


 リビングが静まり返る。お父さんとお母さん、美優の視線がこちらに集まった。


「あ、あの、えーと」


 たじろいでしまうのをぐっと堪え、私は三人の顔を見すえた。


 ええい、言ってしまえ。


「私、実は会社辞めたの」


 震える声がリビングに静かに響いた。


「え……?」


 お父さんとお母さんが眉間に皺を寄せる。


 い、言ってしまった!

 

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