8.ゆううつ里帰り
第30話 実家へ
セミの鳴き声が耳にこびりつく。照りつける日差しに立っているだけで汗が滲む、そんな季節。
八月に入り、一気にお店は活気を増した。
帰省用にお土産を買う人、お中元として送る人、来客のためにお菓子を用意する人。仏前にお供えするお菓子を買う人。
毎日が目まぐるしいほどの忙しさで、新商品の水羊羹も葛餅も飛ぶように売れていた。
夏休みに入り手伝いに来てくれた秋葉くんも疲れたように汗を拭っている。
「今日も混んでるな」
「大盛況ですねー」
母親から急に電話がかかってきたのは、そんな夏の盛りのある夜だった。
「もしもし、果歩?」
久しぶりに聞く母親の声にドキリとする。
「お母さん、どうしたの?」
「どうしたのじゃないわよ。あんた、最近全然連絡もよこさないで」
「ごめん、最近忙しくて」
会社を辞めたり、和菓子屋で働き始めたり、悠一さんと暮らしたり。色々と目まぐるしいことが起きすぎて、はっきりいって両親のことを考える余裕なんか全くなかったから、私は実家に連絡することもすっかり忘れていたのであった。
ふぅというため息の後で、こんな声が聞こえてくる。
「それよりあんた、お盆はこっちに戻ってくるんでしょうね?」
「えっ」
私は少し考えた。兎月堂は八月の十二日から十五日がお盆休みだ。
正直、気は進まないけど、去年のお盆は何となく面倒臭くて実家に帰らなかったし、今年こそは帰らないといけないのかもしれない。
「うん。一応会社は休みだけど」
「じゃあ、今年は戻ってきなさいよ。大事な話もあるんだから」
大事な話?
疑問に思ったが、詳しく聞く前に電話は切れてしまった。
「何なのよ」
私はスマホをテーブルに置いた。
「どうしたの、果歩さん」
「あ、はい。お盆に実家に帰るようにと母から」
「そうなんだ。お父さんとお母さんによろしくね」
「はい……」
私は大きなため息をついた。
実家に帰りづらいのには理由があった。
私は前の会社を辞めたことも兎月堂で働いていることも、ここで悠一さんと一緒に暮らしていることも、まだ親には話していなかったのだ。
特に男の人と住んでるだなんて知られたら、両親は大騒ぎするだろう。
はぁ。一体何て話せば良いんだろう。
◇
「あら、おかえり」
実家のドアを開けると、お母さんが笑顔で迎えてくれる。田舎ならではの広い玄関。古い家の懐かしい匂いが私を出迎えた。
「あー、お姉ちゃん久しぶり!」
奥から金髪にボブカットの派手な女の子が駆けてくる。ちっとも似ていないけど、私の妹、美優だ。
「こら美優、走るんじゃないよ。危ないじゃないの」
お母さんが美優を睨む。
「ちょっとぐらい大丈夫よ」
「大丈夫じゃないわよ」
と、ここでお母さんは声を潜めた。
「美優、実は妊娠してるのよ」
えへへ、と美優は照れ笑いを浮かべた。
「えっ」
思わぬ報告に、一瞬頭が真っ白になる。
なるほど、大事な話というのはこの事だったのだ。
美優が妊娠だなんて。妹が母親になるなんて全然想像がつかないなぁ。
「それはおめでとう。ってことは、結婚……するんだよね?」
「まぁね。三十になるまで結婚せずに色々と遊ぼうと思ってたのになぁ」
「でももう二十六でしょ? 早すぎるって訳でもないし」
お母さんは深いため息をついた。
「そうね、丁度いい年頃だわ。あんたも早く相手を見つけなさいよね」
「あはは」
よ、余計なお世話!
はぁ、だから嫌なんだよ、実家に帰るのは。お母さんたら、早く結婚しろ、彼氏を作れってそればっかりなんだから。
それでもお爺ちゃんとお婆ちゃんが亡くなってからは、叔父や叔母がお正月に少し顔を出す程度で親戚一同を呼んで宴会なんてことも無くなったから、前よりはましなんだけどね。
「た、ただいま」
私が何となく落ち着かない気分で食卓につくと、お父さんが新聞から顔を上げ「おかえり」とつぶやいた。
横に美優が座ったので、思い切って子供のことを切り出してみる。
「えっと、お腹の子供のことだけど、タツノリくんだっけ? 美優の彼氏」
恐る恐る尋ねると、美優はプッと吹き出した。
「お姉ちゃーん、それいつの話?
「そ、そうだっけ?」
「そう。今の彼は
お父さんは新聞を畳んで机に置くと、頬杖をついて美優を見た。
「
「お父さん、気に入らないの?」
「気に入らないというか、もっといい男がいるだろう? 大体俺はあいつと同棲するのも反対だったんだ。いつかこうなるような気がしてたから」
美優、彼氏と同棲してたんだ、初めて知った。
「でもお父さん、できちゃったものはしょうがないわよ。子供が産まれたら真面目になるかもしれないし。もし駄目でもうちに戻って来てくれれば母さんたちは協力するから」
「そうだな。そうしたら孫と一緒に住めるし」
「ちょっと、やめてよ。まだ結婚もしてないのに離婚になった時の話なんて」
「
「まあ、期待しないで期待しておくわ」
どうやら美優の彼氏は正社員では無いらしい。それで父親は気に入らないというわけだ。
「ところで果歩はどうなんだ? そういう相手はいるのか?」
「い、いないよ」
そう言うと、お父さんは少しホッとした顔をした。
「そうか」
彼氏では無い男の人とは住んでますけど――そう言いかけてやめた。お父さんにそんなこと知られたら大変だ。
こうなったら、悠一さんと住んでいる事は当分内緒にして、和菓子屋で働いていることだけ伝えた方がいいかもしれない。
「あ、そうだ。これお土産」
私はお母さんに兎月堂の紙袋を渡した。
「あらまぁ、和菓子? わざわざ悪いわね」
「うん、ここのお菓子、とっても美味しいんだ」
「そう。ありがとう」
「それでね、お母さん――」
しかし私が会社を辞めたことを伝えようとした途端、母親は急に立ち上がった。
「そうだ。晩ご飯買ってこなきゃ。お寿司にしようと思ってるけど、いいわよね?」
「え? あ、うん」
お財布を手に、勢いよく玄関へと走っていくお母さん。
「じゃあ行ってくるわね!」
「あ、うん。行ってらっしゃい……」
私は呆然と手を振った。
ああ、また言うタイミングを失ってしまった。
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