9.母がうちにやって来た

第33話 母がうちにやってきた(1)

 夏の忙しい盛りのシーズンが過ぎた。


 昼間はまだまだ暑いけれど、朝晩は風に微かに涼しさが混じる、そんな季節。


 晩ご飯の支度をしていると、悠一さんがカチャリとドアを開ける音がする。


「ただいま」


「お帰りなさい、悠一さん」


 最近、悠一さんの帰宅が前よりも早くなり、二人でご飯を食べることも多くなった。 

 夏の忙しい盛りの時は、先に一人でご飯を食べることが多かったので、何となく二人で食卓を囲めるのは嬉しい。


「晩ご飯何かな。いい匂い」


「今出来ますから、ちょっと待っていてください」


 フライパンに醤油、酒、みりん、砂糖でできた甘めのタレと玉ねぎを入れると、私はそこへ実家から貰ってきたカツと卵を流し入れた。


「わあ、美味しそう」


 ホカホカと湯気を上げるご飯の上にカツを盛り付けカツ丼にすると、悠一さんの顔がぱぁっと輝いた。


「いえっ、大したものじゃないですよ。実家から貰ってきたカツを再利用しただけですから。お母さんたら、もう若くないし、そんなに食べられないのに大量にお肉を買ってくるんだから……」


 ブツブツ言う私を見て、悠一さんは笑う。


「お母さんにとっては果歩さんはいつまで経っても子供なんだよ」


「そうですけど」


 私は下を向いて拳を握りしめた。


「でも時々、それが凄く嫌になるんです。この間実家に帰った時も、私、凄くうんざりしてしまって」


「そう。でも、僕は羨ましいな。僕には父さんも母さんもいないから」


 あっ。


 しまった。悠一さんは両親がいないのに、傷つけるようなことを言ってしまったかもしれない。どうして私はこうなんだろう。


「ご、ごめんなさい」


 慌てて頭を下げる私を見て、悠一さんは慌てる。


「いや、別に謝ることないよ。二人が亡くなったのは僕が大きくなってからだし、別に幼少期のトラウマがあるとかじゃないから」


 穏やかな声で言うと、悠一さんはお肉にかぶりつく。


「それよりこれ美味しいね。ご飯に合う」


「はい。昔はこのカツと手羽先の唐揚げが私のご馳走だったんです。それからフライドポテトも」


「果歩さんの思い出の味なんだね」


「はい。大吉さんや秋葉くんにも今度食べさせてあげたいです。みなさんは、私の家族みたいなものですから」


「うん。また今度二人を呼んで一緒に食事でもしようか」


 二人でご飯を食べ終わり、食器を洗う。


「今日はあんまりいいテレビがないね。何か映画でも見る?」


「あっ、私、最近気になってる海外ドラマがあって」


 そんな風にまったりとしていると急にスマホが鳴った。画面には「お母さん」と表示されている。


「電話?」


「うん。お母さんから」


 自分の部屋に移動すると扉を閉める。


「もしもし、どうしたの?」


 小声で話すと、スマホの向こうから耳を吹き飛ばすような元気な声が聞こえてくる。


「果歩、あんた今度の日曜日は空いてる?」


「日曜日? 仕事だけど」


「じゃあ丁度いいわ。あんたが働いてるところ、見に行くから、そのつもりでね」


 嬉しそうな声が響いてくる。


「えっ、ええっ。見に来るって」


「ついでにあんたの部屋も見に行くわ。引っ越したって言うけど引越し先を見てないし」


「えっ」


「それじゃあ日曜日にね」


 うちに来るって、お母さんが?

 私が事態を飲み込めないでいると、お母さんは一方的に電話を切ってしまった。


「どうしよう」


「どうしたの、果歩さん」


「お母さんが、こっちに来るって」


 嘘でしょ。悠一さんと暮らしてることが、お母さんにバレちゃう!


 どうしたらいいの!?




 その日は朝から落ち着かず、ソワソワとして過ごした。


 だってお母さんに働いている姿を見られるなんて。悠一さんと住んでる部屋を見られるなんて!


「いらっしゃいませー」


 少し沈んだ気分で接客していると、聞きなれた声が耳に響いてきた。


「あらまぁ、果歩。ちゃんと働いてる?」


「やっほー」


 来た。


 店の入口には、少しよそ行きの格好をしたお母さんが立っていた。


 お母さんたら、約束の時間までまだ一時間以上あるのに早すぎるよ。それになぜか美優までいるし。


「いらっしゃいませ。ちゃんと働いてるよ。それより美優まで来たの?」


「お姉ちゃんが働いているところ、見てみようと思って」


 てへへと笑う美優。話を聞くに、どうやら二人は私が働いているところを影からじっと見ていたらしい。


「でも凄いね。お姉ちゃん、ちゃんと接客してるじゃない」


「そうそう。大学の時、バイト先のスーパーに行った時なんか酷かったわよ。死んだみたいな目してて」


「へー、成長したんだね」


「そりゃそうだよ。それ何年前の話?」


 昔の話を持ち出すお母さんにうんざりしていると、奥から悠一さんがやってきた。


「こんにちは。もしかして果歩さんのお母さんですか?」


 悠一さんの姿を見て、お母さんも美優も背筋が急に伸びる。


「は、はい。いつも果歩がお世話になっております」


 お母さんたら、急にお上品な口調になっちゃって。


「私のお母さんと妹です。こちら、この店の店主の悠一さん」


「あらまぁ、店長さんなんですか。うちの果歩が迷惑かけていませんか?」


「いえいえ、よく働いてくれているので、助かってます」


 美優が私の袖を引っ張り、耳元で囁いた。


「ちょっとお姉ちゃん、イケメンじゃないの。いいなぁ~」


「思っていたより若いし、いい男なのね。店長さんって」


「はは……」


 すっかり舞い上がってしまっているお母さんと美優に呆れていると、悠一さんが提案してきた。


「お母さんも来られた事だし、今日は早めに上がる?」


「い、いえっ、大丈夫ですっ」


 悠一さんたら、そんなに気を使わなくて大丈夫だってば。


「いえ、お気づかいなく。私たちは果歩の仕事が終わるまで向かいの喫茶店で時間でも潰してますから」


 お母さんはホホホ、と笑うと向かいの喫茶店を指さした。


 悠一さんが心配そうにお母さんを見つめる。


「果歩さん、大丈夫? お母さんと妹さんをあんなところで待たせて」


「大丈夫です。暇ならどこかで買い物でもしてると思います」


 元はと言えば、待ち合わせの時間より一時間以上も早く来るお母さんが悪いんだから。


 こっちはまだ心の準備もできてないのに!


「じゃあ果歩、また六時にね」


「うん」


 とりあえずお母さんたちが店を出てほっと息を吐く。


 だけど、問題はここからだ。



 店を閉め終わる頃に、再びお母さんと美優はやってきた。


 お母さんはお店の二階を見上げ指を指す。


「店の上がアパートなんでしょ。どうやって行くの?」


「あの階段」


「あらまぁ、随分と年季が入ってるのねぇ」


「でも中は綺麗だから」


 心臓の鼓動が早くなる。どうか悠一さんと暮らしてることがバレませんように!


 私は緊張しながらドアを開けた。


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