第34話 母がうちにやってきた(2)

「ただいま……」


 まるで泥棒みたいにそろそろと部屋の扉を開ける。

 当たり前だけど部屋には誰もいなくて、冷たい静けさが部屋を支配していた。


「ここが果歩の部屋なの?」


 電気をつけると、お母さんが興味深そうに部屋の中を見わたす。

 あらかじめ悠一さんの私物とかは全部隠してあるけど、ボロが出たら困るので、あんまりジロジロ見ないで欲しい。


 と、お母さんは玄関から入って真正面にあるテレビに近づくとポンポンと叩いた。


「いいテレビね」


「ねー、大きい。DVDもたくさんあるよ」


 わーっ、それは悠一さんの! 勝手に触ると怒られる!

 

 叫び出したい感情をぐっと堪え、努めて冷静に対処する。


「それ、私のルームメイトが買った奴だから」


 お母さんと美優がキョトンとした顔で振り向く。


「あんたルームシェアしてるの?」


「女の子?」


「あ、当たり前でしょ!? 言ってなかったっけ!? あれー、おっかしーなー、ハハハ……」


 冷や汗をかきながらなんとかごまかす。

 頼むから、あまりあちこち見たり弄ったりしないでほしい。


「とりあえずそこに座って。お茶でも出すから」


 とりあえず居間から動かないでほしい。お茶を淹れて引き留めようとしたのだが、お母さんは無遠慮に奥の部屋のドアを開けた。


「こっちの部屋は何?」


「わわっ、そこは私の寝室!」


 自分の寝室には何も無いのに、思わず慌ててしまう。


「別に寝室見られたっていいでしょ。何慌ててんの」


「あ、分かった。男連れこんでるんでしょ」


 美優が意地悪そうな顔をする。

 いや、連れ込んでるというか、一緒に住んでるというか。ぐっと言葉を飲み込む。


「そんな訳ないでしょ、もう。とりあえずリビングでお茶でも飲んでてよ」


 私が二人に出したのは、兎月堂のもなかと、ほうじ茶を熱湯で煮出してミルクを加えたほうじ茶ミルクだ。

 ほうじ茶はカフェインが少なく、豊かな香りにはリラックス効果があるので最近のお気に入りなのた。


「うん、美味しい。ほうじ茶が香ばしくて、もなかの上品な甘みと合うわねぇ」

 

「優しい味だし、カフェインが少なくて妊婦にもいいかも」


 良かった。二人とも気に入ってくれたみたい。


「あ、お姉ちゃん、私トイレ行ってくるね」


「うん」


 が、しばらくしてトイレに行っていた美優が大きな声を上げた。


「ねーねー、お姉ちゃん、メンズ用の洗顔料があるんだけどー」


 思わずブッとほうじ茶を吹き出しそうになる。


「そ、そのメーカー、顔の脂がよく落ちるから最近使ってるの」


 慌てて悠一さんの洗顔料を美優の手から取り上げていると、今度は悠一さんの部屋の方から声がした。


「こっちの部屋は何かしら」


 わーーっ。


「あっ、そっちはルームメイトの部屋で」


「ただいまー」


 するとガチャリと扉が開いた。

 私は顔面蒼白になりながら顔を上げた。


「あら、あなたは」


「こんにちはー、伊勢島麻衣でーす。いつも果歩さんにはお世話になってます」


 目を丸くするお母さんに、麻衣ちゃんはペコリと頭を下げた。


「あらまぁ、こちらもしかしてルームメイトの方?」


「う、うんっ。一人だと家賃が高いから、二人で住んでるの!」


 冷や汗をかきながら嘘の説明をする。

 お母さんは疑う素振りも見せず「あら、そうなの」とうなずいた。


「あらまあ、いつも果歩がお世話になってます」


「いえいえ、こちらこそ、果歩さんにはお世話になってぇ」


 愛想良くあいさつをすると、にこやかに話し出す麻衣ちゃんとお母さん。

 はぁ。偶然にも麻衣が現れてくれて助かった。


 ……と言いたいところだけどこれはもちろん偶然ではない。




 うちにお母さんが来ることが決まった明くる日、私は麻衣ちゃんと近くの喫茶店で昼食を共にしていた。


「どーしよう」


 ランチセットのサラダをフォークで続きながら肩を落とす私に、麻衣ちゃんが聞いてくる。


「どうしたの、果歩」


「それが、お母さんが店と部屋を見に来るんだって」


「ふーん。何か問題でもあるの?」


「問題だらけだよ。はーぁ、悠一さんと住んでること、何て言って話そう」


 私が答えると、麻衣ちゃんはガタンとフォークをテーブルに置いた。


「えっ、ちょっと待って。あんた、悠一さんと住んでるの?」


「あっ」


 そういえば、麻衣ちゃんには悠一さんと暮らしてること言って無かったんだっけ?


 うわ、失敗した!


「あれ、言って無かったっけ……」


 ハハハ、と笑って誤魔化すと、麻衣ちゃんは目を見開いて身を乗り出した。


「聞いてないわよ。ちょっと、同棲だなんて、いつの間にそんな関係に?」


「いや、同棲じゃないし、付き合ってもないし。単なる同居だよ、同居。ルームシェア」


 慌てて否定するも、麻衣ちゃんは目をらんらんと輝かせる。


「えーでも、好きじゃない女とルームシェアなんてしないよ。これは気があるんじゃない?」


「いや女だって意識されてないから一緒に住めるんだよ」


「いやいや、絶対脈アリだって!」


 きゃー、と声を上げる麻衣ちゃんを落ち着かせ、私は声を低くして言った。


「とにかく、麻衣ちゃんには、同居のカモフラージュとして協力して欲しいの」


「もちろん。二人の未来のために協力するわ!」


 拳を握る麻衣ちゃん。何だか勘違いしてるみたいだけど、まぁいいや。


「とりあえずお母さんたちが部屋に来たときにただ部屋に居てくれるだけでいいから」


「オッケー。でもその代わりに」


 麻衣ちゃんの顔がほのかに赤くなり、モジモジしだす。


「その代わりに?」


 何だろうと身構えていると、麻衣ちゃんはこんなことを言い出した。


「お願いっ、大吉さんとの仲をとりもってくれない?」


「えっ、大吉さん?」


 そういえば麻衣ちゃん、大吉さんのこと格好良いって言ってたっけ。


「そう。イケメンなのもそうなんだけど、初めて会ったあの日から、なーんか気になって頭から離れないのよ。これはきっと運命だわ!」


 夢見る乙女のように顔を輝かせる麻衣ちゃん。


「えっ、まぁ、それはいいけど」


「本当っ、ありがとう」


 私の手を握りブンブンと振る麻衣ちゃん。


 麻衣ちゃんたら、大吉さんと一瞬しか会ってないはずなのに、何でこんなに大吉さんにこだわるんだろう。


 私には分からないけど、ひょっとしたらこれが一目惚れってやつなのだろうか。


 まぁ、いいや。


 かくして「ルームメイト替え玉作戦」の決行が決まったのであった。





「じゃあ果歩、お母さんは帰るから」


「お仕事頑張ってね!」


 ようやくお母さんと美優が部屋から出ていった。

 ドアが閉まり二人が見えなくなった途端、私は床にヘナヘナと崩れ落ちた。


「果歩、大丈夫?」


「うん。なんか、どっと疲れが出ただけ」


 私は額の汗を拭った。

 ふー、ようやく今日一日を乗り切ったぞ。

 人に嘘をつくというのはこんなに疲れることだとは思わなかったけど。


 するとスマホに美優からメッセージが入る。


 『お姉ちゃん、今日はお疲れ様!

ちゃんとお仕事してて偉いね。

ところで部屋、本当は男と住んでるんでしょ。バレバレだよ~!

あ、お父さんとお母さんには黙っておくから安心してね。じゃーね!』


 バ、バレてる!


 私は冷や汗をかいた手でスマホを置いた。

 でも、まぁいいか。バレてるのは美優だけだし。


 深呼吸をして気を落ち着かせていると、麻衣ちゃんがバッグを手に立ち上がった。


「上手くいった? じゃあ私も、これで帰るわね」


「うん。今日はありがとうね、麻衣ちゃん」


 ガバリと頭を下げる私に、麻衣ちゃんは優しい声をかける。


「いいのよ、友達だもの。それより」


 麻衣ちゃんはにこりと笑うと、私の耳元で囁いた。


「約束、忘れないでね?」


 そう。大吉さんと麻衣ちゃんの仲を取り持つって約束しちゃったんだっけ。


 でもそもそも私には男性経験がないし、取り持つと言ってもどうやったらいいのだろう。


 こうして、親襲来という難題を乗り切ったわけではあるけれど、そんな私にも次なる難題がやってきたのだった。



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