4.太田さんの菓子折り
第14話 思わぬ来客
こうして一時期売上が落ちた兎月堂だったけれど、ポップや飾りの効果かどうかは分からないけれど、その後はお客さんもどんどん戻ってきて、売上も少しだけど上がっていった。
そんなある日――。
店頭で商品整理をしていると、不意に入口のドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
が、入ってきたお客さんを見て、思わず笑顔が凍りつく。
長い茶髪に整った目鼻立ち。お洒落なスーツに身を包んだその人は、私の顔を見てニコリと微笑んだ。
「……太田さん?」
「あら果歩ちゃんじゃない。ちょっとー、久しぶり。ここで働いてたの?」
背中にどっと冷や汗が吹き出す。
太田さんは前の会社の先輩。
綺麗で、愛想が良くて、要領もよくて――私と正反対の人。
私は彼女の姿を見て、前の会社に勤めていた時のことを思い出した。
***
「すみませんっ」
ガバリと頭を下げると、課長が眉間に皺を寄せた。狭いオフィス。他の社員たちの視線が突き刺さる。
「いや、すみませんって。そんな泣きそうな顔で言われても困るよ」
「す、すみません」
「まぁ、行きたくないのならそれで構わない。でもそういう顔をされるとまるで私が悪者みたいじゃないか。せっかく君のためを思って誘ったのに」
「わ、分かってます。ただ――」
言い訳をする唇が震える。泣きたいわけではないのに、目には自然に涙が溜まっていた。
別に仕事でミスをしたわけじゃない。怒られることをしたわけでもなかった。
課長はただ単に飲み会に誘ってくれただけだった。取り引き先の若い人たちと一緒に行くから君もどうかと。
だけど私は、飲み会も男性と話すのも苦手で、しかもこの課長は声が大きくて威圧的。一緒にに飲み会だなんて考えただけで身がすくんでしまう。
でもせっかくの好意だし、どうしようとぐるぐる思考を巡らせていたら、課長が機嫌を損ねたというわけだ。
私が課長の前で動けないでいると、高らかなハイヒールの音を響かせて、長い茶髪の美人がやってきた。
「すみません、課長。
同じ部署の先輩、
太田さんの姿を見て、課長は先程まで険しかった顔を綻ばせる。
「まあ、君はいかにも大人しそうだもんねぇ。駄目駄目、女は愛嬌。そんなんじゃ彼氏もできないよ」
「やだぁ課長ったら。それセクハラですよぉ」
「おっと、ごめんごめん。部長には内緒な。なんつって」
課長と太田さんがにこやかに会話をする。
凄いなぁ、太田さんは。何を言われてもニコニコしてるし、男の人も上手くあしらえる。私には絶対に無理。
「それじゃあ失礼しまぁす」
太田さんはポンポンと私の肩を叩いた。
「果歩ちゃん、あんまり気にしちゃダメよ。あなたはすぐそうやって考えすぎるんだから。何を言われようと、ハイハイって笑ってればいいの」
「はい……」
笑顔かぁ。
業務が終わり、トイレに向かう。
手を洗いハンカチで拭いていると、鏡に自分の姿が映っているのが見えた。
確かに酷い顔だ。課長の言う通り、笑顔くらいは作らないといけないかもしれない。
こうだろうか。
口元を無理やり引き上げる。強ばる顔。目が笑ってなくて逆に怖い。鏡の中の自分が途方に暮れた顔になった。
「はぁ」
どうしたらみんなみたいに上手く笑えるんだろう。
鏡に映る疲れた顔を見つめ、途方に暮れていると、不意に女子トイレのドアが開いた。
「お疲れ様でぇす」
上機嫌で入ってきたのは、紺色のワンピースに着替えた太田さんだった。背中が大きく開いたセクシーなデザイン。これからデートだろうか。
「太田さん、お疲れ様です」
先程のお礼を言わければ。でも何て言えばいいのか。
「果歩ちゃん。今日の夜、暇?」
まごついていると、逆に向こうから話しかけられる。
「今日の夜ですか?」
「うん。合コンに一人、来れなくなっちゃって。果歩ちゃんが来てくれると助かるんだけど」
「合コンですか。あの、私はちょっと」
「もしかして果歩ちゃん、彼氏いるの?」
「いえ、そんな。ただ単に飲み会とか騒がしい場所が苦手なだけで」
「ふぅん、そうなの。まぁ、果歩ちゃんらしいけと」
太田さんは鏡に向かうとビューラーでまつ毛を上げ、口紅を引きなおした。
私がぼんやりとリップの鮮やかな赤色を見つめていると、太田さんは鏡を見つめたままこちらに尋ねてきた。
「そう言えば、果歩ちゃんって、いくつだっけ」
「二十六です」
太田さんの目が大きく見開かれる。
「えーっ、やだ果歩ちゃん、もうそんな年だったの。てっきりまだ二十三くらいかと」
「はい」
太田さんは今年で二十八歳。つまり年自体は、私と太田さんは二つしか変わらない。
だけれど太田さんは年相応のきちんとした大人なのに対し、私はどういうわけか実年齢に比べて若く見られやすい。
鏡の中の自分をじっと見つめる。中学生の時から変わらない黒いショートカットに、地味な顔立ち。
背が低くて痩せっぽっちの体を、就職活動の時に買ってもらったぶかぶかのリクルートスーツが包んでいる。
「若く見える」が褒め言葉では無いことは、自分自身が一番よく分かっていた。要するに人としての威厳が無いのだ。
太田さんは巻き直したロングヘアーをかき上げた。
「でもさぁ、二十六にもなって彼氏もいない、合コンも飲み会も苦手じゃあ、この先どうするのよぉ。黙ってたら良い男からどんどん売れていっちゃうのよ?」
「それは――」
「果歩ちゃん、目鼻立ちは整ってるし、地は悪くないんだから、もっとお化粧して、オシャレしなきゃ」
「そう……でしょうか」
「そうよぉ! こんな会社にいたって給料は上がらないし、キャリアなんか積めないんだから、早めに相手を見つけて結婚するしかないわよ」
「……はい」
「ま、嫌なら仕方ないけど」
「すみません」
トイレから出て、ロッカーから鞄を取り出すと、薄暗い夜道を一人歩く。
はあ、なんで私はこうなんだろ。
でも、こんな私にも、太田さんは優しいな。
苦手な上司からも助けてくれるし、こんな私でも合コンに誘ってくれる。
私も太田さんみたいになれたらな。
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