第4話 笑顔のおはぎ

家に帰り、ベッドに横たわりながらメモを眺める。


「あの人、卯月さんって言うんだ」


 四つ折りの白い紙が、天井の電気を反射してキラキラと光る。そこには「卯月悠一うづきゆういち」という名前と電話番号が几帳面な文字で書かれていた。


 卯月さんは、苦手な男の人なのに話しやすくて感じがいいし、兎月堂の和菓子も大好きだ。でも最大のネックはやはりアルバイトというところ。


 頭の中を考えがグルグルと巡る。


 正社員の職を探してはいる。だけど毎日ハローワークをチェックしても、中々思うような職は見つからない。


 だからこの際、正社員の仕事が決まるまでは兎月堂で働くのもありかな。


 気がつくと、私は段々とそう考えるようになっていた。


 何せ生きていくだけでお金はかかるのだから、アルバイトだろうと職があるに越したことはない。


 同じアルバイトでも、あのお店だったら、お客さんもあまりいなくて忙しくないだろうし、家賃ゼロは魅力的。


 それに何より、私は兎月堂の和菓子が好きだ。


 私は卯月さんからもらったメモをギュッと握りしめた。


 心は決まった。私、あそこで働こう。


 ***


 次の日の会社帰り、私は意を決して履歴書を卯月さんの所に持って行った。


「これ――」


 卯月さんは私の持ってきた封筒を見ると、目を丸くした。


「履歴書です。ここで働きたいと思って。まだバイトって募集してますか?」


「もちろん。嬉しいよ。あの時あまり乗り気そうに見えなかったから、てっきり駄目かと思ってた」


 卯月さんは心底ほっとした表情を見せると、履歴書に目を通した。


「あ、今時間あるかな。ちょうどお客さんも居ないし、一応、形式だけでも面接しようと思うんだけど」


「はい、大丈夫です」


 奥から椅子を引っ張ってくる卯月さん。

 いきなり面接になるなんて思っても見なかったのでドギマギしてしまう。どうしよう。テンパって変なこと言わないかな。


西塔果歩さいとうかほさんだね。果歩さんって呼んでいいかな? 知り合いに齋藤さんって結構いるし」


「はい、構いません。前の会社でもそう呼ばれていましたから」


 それから志望動機や職務経験なんかを軽く聞かれて無難な回答をする。

 五分ほどで面接が終わり、家に帰るとすぐに電話で採用通知が来た。


「これからよろしくね、果歩さん」


 電話越しに低くて優しい声がする。


「はいっ」


 なんだか胸がポカポカと暖かくなった。あのお店で働けるんだ。でも――


「あの」


「ん?」


「本当に私でいいんでしょうか」


 あまりにも簡単にポンポン決まってしまうので不安になって尋ねると、電話の向こうから暖かい笑い声がした。


「うん。実は君が初めてうちの店に来た時から、うちで働いてくれないかなと思ってたんだ」


「えっ、どうしてですか?」


 思いもよらぬ言葉に動揺する。初めて会った時。どうして。そんなに美人でもないし、愛想が良いタイプでもないのに。


「ほら、おはぎの試食を出した時、果歩さん、凄く良い笑顔で美味しそうに食べてたでしょ」


「そうでしたか?」


 なんだか食い意地が張っているみたいで恥ずかしいな。


「それを見た時、なぜだか分からないけど、頭の中に君がうちの店で楽しそうに働いてるビジョンが見えたんだよね、不思議なんだけど」


「そう、なんですか」


 実を言うと、私もアルバイトの話を持ち出された時、ここで働く自分の姿が何となくだけど見えたのだ。

 まさかそれが卯月さんも一緒だったなんて。嬉しくなって、ぎゅうっとスマホを握りしめると、私は頭を下げた。


「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」


 電話を切った後も、しばらく胸がどきどきしていた。住み慣れた自分の部屋の白い壁が、何だかきらきらと輝いて見える。知らない土地を大冒険でもしたような、そんな気分。こんな気持ちは何年ぶりだろうか。


 これから始まる新生活に、私は胸を踊らせたのでした。

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