1.笑顔のおはぎ

第1話 満月の魔法

 私と悠一さんが出会ったのは、胸が痛いほど綺麗で大きな満月の日だった。


「はあ……」


 その日私は、人生の危機に瀕していた。


 四年勤めた会社から、突然の契約終了を告げられたのだ。


「これから一体どうやって生きていけばいいの」


 肩を落として暗い夜道を歩く。


 確かに契約社員だった。


 だけど入社した時に、余程のことがない限り契約は更新すると言われていたし、五年働けば正社員にしてくれると言われていた。


 あと一年働けば正社員。それを信じて一生懸命働いてきたのに、経営が悪化したという理由で、私たち契約社員はあっけなくクビを切られてしまった。


 胃がキリキリと痛い。転職しようにも、資格もなければ今の会社以外の仕事のキャリアもろくにない。おまけに貯金もほとんど無かった。


 アパートの家賃、これからどうやって払ったらいいんだろう。駅前で、二階で、日当たりのいい部屋。気に入っていたけど、無職になってしまったらとてもじゃないけど払えない。


 契約を切られたのを契機に結婚するって人もいたけど、私には頼れる彼氏すらいない。


 たとえ実家に帰ったとしても、ド田舎の実家には、ここよりずっと職も少ないだろうし――  私はこれから一体どうしたらいいんだろう。


 頭の中にはそんな事ばかりがぐるぐると渦巻く。頭の中には、幸せな未来が全く描けなかった。


 会社のすぐ側にある公園の横を通って帰路に着くと、月灯りが遅咲きの桜並木を照らしていた。


 季節的にこれが最後の桜だろう。ピンク色の花びらが舞い散る幻想的な風景の下、大学生と思しきグループが過ぎ行く季節を逃すまいと、はしゃいでいる。


 私は桜並木の中で楽しそうにしている大学生たちを、一人ぽつんと暗い路地から見つめた。


 きっと彼らは友達が沢山いて、恋人もいて、これから輝かしい未来が待っているに違いない。


「はーあ」


 こんな私でも、学生の頃はそれなりに将来に対して夢とか希望を抱いていたはずなんだけどな。


 いつからだろう。いつの間にか、夢見ることすら許されない年齢になってしまったのは。


 何となく真っ直ぐ家には帰りたくない気分だった。


 少し回り道をして、古びた商店街の中にある本屋へ寄立ち寄り、前から目をつけていた本を何冊か買う。


 ホラーにミステリーに、恋愛小説。ジャンルはバラバラだけど、どれも大好きな作家のもの。


 彼氏もいない、アパートと職場を往復するだけの毎日だった私の唯一の趣味が読書だ。


 本の世界に没頭している間は嫌なことも忘れられる。


 そうだ。今日は家に帰ったら、買ったばかりの本を読みながらコンビニで買ったスイーツ食べて過ごそう。そうすれば少しは気持ちも晴れるに違いない。


 そうしていつもと違う道を通り、アパートに帰ろうとした時、ふと見慣れないお店が見えた。


 住宅と住宅の間にひっそりと佇む、民家を改装したようなこじんまりとした白い外壁。


 オレンジ色に小さく光る明かり。木でできた看板には「兎月堂」という文字が見えた。


「うげつ……どう?」


 近くに寄ってみると、ドアにかかった暖簾に、兎が月で餅つきをしている可愛らしいイラストが見えた。


 もしかして和菓子屋さんなのかな。


 心が沸き立つ。こんなところに和菓子屋さんがあっただなんて全然知らなかった。


 全然聞いたことも無いようなお店だし、お菓子なんて、コンビニで買った方が安いに違いない。だけど――。


 月が夜道を照らす。風の柔らかな澄み切った空気。今夜は満月。そのせいかもしれない。胸が高鳴る。


 夜の魔力に背中を押され、私は吸い込まれるように藍色の暖簾をくぐった。

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