甘い気持ちのわけを教えて
深水えいな
プロローグ
第0話 和菓子屋 兎月堂へようこそ!
「いらっしゃいませ!」
頭を下げると、春風とともに、桜色のショールを巻いた上品な女性客が入ってきた。
「わあ、初めて入ったけど、どのお菓子も美味しそうね」
色とりどりの和菓子を前に、お客さまは迷った様子。
よしっ。
私は笑顔を作り、思い切って声をかけた。
「あのっ、何かお探しですか?」
「いえ、たまたま入ったので、特には。迷っちゃうなあ」
「それでしたら、オススメはこのおはぎですよ」
手前に並ぶおはぎを薦めると、お客さまは不思議そうな顔をした。
「おはぎ? 春なのに?」
「はい」
確かに、おはぎといえば、秋のお彼岸に食べるイメージで、あまり春に食べるイメージはないのかもしれない。
だけど、これがこの店――和菓子屋
私は張り切って女性客に説明をした。
「一般的には、春に食べる牡丹の花みたいに丸いあんこ餅をぼた餅、秋に食べる萩の花みたいに細長いあんこ餅をおはぎと呼ぶのが普通らしいですね」
でもそれも地域によって違っていて、この辺りではどちらもおはぎと呼び、季節を問わず売っていることを話すと、お客さまは目を丸くした。
「あら、そうなの」
「どちらも米を蒸すか炊いた後に潰して、それを丸めてあんこで覆ったお菓子で、基本的な作り方は同じですしね」
「へえ、面白い」
「そうなんです」
熱心に聞いてくるので、思わず説明に力が入る。
「それに、うちのあんこは自家製で、あずきもわざわざ北海道から取り寄せていて――」
「そう。それは美味しそうね」
女性客はクスリと笑うと、おはぎを指さした。
「それじゃ、このおはぎにします。お姉さんのオススメみたいなので」
「はい、ありがとうございます! こちらのおはぎ――きゃああっ!」
私が張り切ってレジに入ろうとした瞬間、段差に足がもつれた。
しまった。転んじゃう! だけど――。
「大丈夫?
暖かなぬくもり。気がついたら私は作務衣にエプロンをつけた背の高い男性に抱きとめられていた。
目の前には、少しくしゃっとした黒髪に、目鼻立ちの整った顔――わあああっ!
「ゆ……ゆゆゆ悠一さんっ!? すみませんっ」
悠一さんは、和菓子職人でこの店の店主でもある。つまり私の上司なの。
慌てて悠一さんから離れ、頭を下げる。
「大丈夫、大丈夫。商品をダメにしたわけでもないし。それより気をつけてね」
そう言うと、悠一さんはふわりと女性客に向けて微笑んだ。
「すみません、うちの店員、おっちょこちょいで」
「いえ、説明も分かりやすかったですし、オススメしていただいて助かったわ」
「あ……ありがとうございますっ!」
私が会計をすませると、女性客は春の日差しのような笑顔を浮かべる。
「感じのいい店ね。また来ます」
「あ、ありがとうございましたー」
女性客の後ろ姿を受け取ったあと、私はホッとため息をついた。
「ふうう……悠一さんのおかげで助かりました」
「いやいや、果歩さんの接客良かったよ。最後のズッコケ以外はね」
悠一さんが悪戯っぽい口調で言う。
「すみません……」
「いやいや、本当に、入ってまだ一週間しか経っていないとは思えないほどちゃんと接客してたよ。おはぎのことも、勉強したんだね」
悠一さんの言葉に、ドクンと心臓が鳴る。
「だって、あのおはぎは」
言いかけて口ごもる。
「あのおはぎは?」
不思議そうな顔の悠一さん。
私は慌てて誤魔化した。
「ほ、ほら、あのおはぎってこのお店で一番の売れ筋じゃないですか。それで」
「ああ、そうだね。ありがとう」
嬉しそうにする悠一さん。
そう、あのおはぎは、このお店の看板商品。
そして――私と悠一さんが出会うきっかけとなった、思い出の和菓子でもある。
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