第42話 恋愛のはじまり…プロローグ
中川家の、いつも通りの朝である。中川の父が寝室から降りてきて、朝食が始まった。
「馨さん。きょうは、どちらかお出かけになるの」
母親の問いに中川は答えた。
「ええ、ちょっと友達が働いている病院へ行ってきます」
「最近、外出が多いんじゃないか」
やはり父親は顔を上げずに低く言った。その威圧感は、いつも通りだ。しかし、今朝の中川は違っていた。向けられた銃口を瞬きもしないで見据えた、あの津山の強い瞳を思い出していた。
おもむろに、父親の新聞を取り上げると、父の目を真正面から見据えて、毅然と言い放った。
「お父さん。ちゃんと僕を見て言ってください。なにが、おっしゃりたいんですか」
父は、ちらっと息子を見ると、「いや、別になんでもない」と、また新聞の中に埋没していった。
中川は、久々に見る父の瞳の中に揺らぐ不安を見て、父が息子を見ようとしないのは、実は息子を恐れていたからだということにようやく気づいた。
「恵美子ちゃん、お客さんよ」
同僚に告げられて、外来受付ロビーへ急いだ恵美子の前に、中川が立っていた。
「お、お久しぶりです。お元気でしたか?」
中川は、恵美子を前にして、ちょっとカミ気味な挨拶した。人質の時とは違って、明るく働く恵美子の姿は、また彼に新しいときめきを感じさせた。
「あの節は、兄ともども大変お世話になりました。ちゃんと御礼もせずに失礼しました」
恵美子は、白く眩しい制服姿で腰を折って礼を言った。
「少し話す時間ありますか?」
「はい、30分くらいなら」
二人は病院の庭に歩き出すと、片隅のベンチに腰掛けた。
「あのあと、お兄さんから何か連絡は?」
「ありません。生きてるのやら、死んでしまったのか…」
「そうですか…」
「でも、あの兄のことですから、きっとどこかで元気にヤンチャしていると思います」
「そうですね…」
二人は津山が飛んでいった時と同じ青い空を見ながら沈黙した。しばらくして、中川が口を開いた。
「実は、今日お邪魔したのは、お兄さんから恵美子さんへ手紙を届けるように言われていた事を思い出しまして…」
「えっ、あの字が苦手な兄が私に手紙を書いたんですか?」
「いえ。お兄さんの言葉を僕が口述筆記しました」
「なるほど」
中川は、懐からクシャクシャになった封筒を出し恵美子に渡した。口述筆記したのだから、手紙の内容は彼もよく知っている。黙って、恵美子が読む姿を見守っていた。
『恵美子へ。
俺は旅に出る。今度こそ帰ってこれるかどうかわからない旅だ。この港で生まれたものの、この故郷には何の未練も無い。ただ、一人残していくお前だけが心残りだ。昔、お前はすやすやと寝ながらよく笑った。その笑った寝顔が、俺の宝物だった。それを守れなかったのはお兄ちゃんのせいだ。
でも、安心していい。お前を苦しめているその悪い夢があるなら、それを道連れにして旅に出るから。きっと、俺が居なくなったら、お前の悪い夢も無くなっているはずだ』
中川は、自分の手が恵美子の柔らかい手に包まれていることに気づいた。手紙を読む恵美子は、きっと傍に居る自分が兄であると錯覚しているのだろう。いつしか、恵美子のほほに、幾筋かの涙の道が光っていた。
『心配ばかりかけていた俺なんか、居ない方が良い。だけど、お前の事だ。それでも寂しいといって、泣き続けるにちがいない。恵美子。俺はどこに行っても、丈夫にうまくやっていけることは知っているだろう。いつか会える日を信じて、今日をがんばってくれ』
恵美子は、読み終わって中川を見た。
「お義兄さんから頼まれた言葉は、まだあったんですが、銀行でドタバタして書ききれなくて…この場で口で伝えてもいいですか?」
恵美子は、潤んだ瞳でうなずく。中川は、その瞳をしっかりと見つめて言った。
『それに、もうお前は一人じゃないよ。お前の目の前に、お前を大切に思い、そして守ってくれる人がいるはずだ。その人は俺の代わりにはならないけど、きっと俺ができないことをお前にしてくれるよ。 では、元気で。そして、幸せに。いつもお前の事を思っている。 兄より』
中川は、語り終わって、恵美子を見た。涙に光るその瞳は可憐で、奥に神秘的な優しさを秘めていた。この世のものとは思えない。中川は、無抵抗にそのひとみの光に身をゆだねていた。
そして、中川は心の中で手を合わせながら思った。ごめんなさい。お義兄さん。マシンガンでハチの巣にしないでください。最後の方は僕の創作です。でも妹さんは、僕がしっかり守りますから。
続く…のか
チンピラが飛んだ日 さらしもばんび @daddybabes
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