第3話―7―
翌朝、目を覚ますとカーテンの開かれた窓から雨雲が目に入った。今にも降り出しそうな程に真っ黒の雲だ。今の私の気持ちと同じ。昨日の律子との一件から、何と言うか、どんよりと胸の奥が曇っている。気持ちとしては、“寂しい”のかもしれない。
隠し事……か。
「……はぁ」
……違った、言いづらいだけ。
まあ天気の方は、昨日の夜から降っていた事を考えると、これから回復するのだろう。きっと人の気持ちも同じ。雨が降ったら、また晴れる。大丈夫、大丈夫よ、私。
……って、私こんなメルヘンな女だったかな?
続けてもう一つ溜め息をつきつつ時計を見ると、針は十時五分を指している。この時代に来る前は、夏休みだろうと、学校のある日と同じ時間に起きるようにしていたのだが、こちらへ来て、律子の生活リズムに染められていっているような気がする。まあ体が律子なので、それは仕方の無い事でもあるが。
まだ起きていないのだろうが、念のため、「律子、起きてる?」と聞いてみた。が、やはり返事は無かった。律子が寝ているなら下手には動けないなあ、と考えていた矢先、『んあ? あ、おはよう』と律子の声がした。
「おはよう。起こしちゃった?」
『んー、大丈夫。今何時?』
「十時過ぎだよ」
『十時、か。ご飯食べて支度したら、行こうか』
「うん! 私お腹空いちゃった!」
『……よく食べる子ね。胃袋、大きくしないでよね』
「大丈夫だって」
そう言って部屋を出ようとした時、ドアの脇にかけられた日めくりカレンダーが目に留まった。昨日は気が付かなかったが、カレンダーは一九八六年一二月二五日で止まっている。一九八六年というと、去年のままのようだ。
「律子、これ捨てちゃうよ?」
私がそう言ってカレンダーをゴミ箱へ捨てると、同時に『あ、それは――』と、制止しようとしたのか、律子は少し大きめの声を出した。
「あ、ごめん! とってたの!?」
私が慌ててそう言うと、一呼吸置いて『……ううん、ありがと』と、律子は少し嬉しそうに返事をした。
そして、江梨子さんが準備をしておいてくれた朝御飯を食べて身支度を整えると、すぐに出発した。
時間は、昨日より三時間も早い十一時。幸いにも、雲からは晴れ間がさしており、気温は十分に上がっている。夜に降っていた雨のせいで、モワっと湿気混じりの熱気が立ち込めてはいるが、雨ガッパを着る事を考えると、喜んでこの条件を受け入れられる。
「あっつーい! けど、未来よりちょっと涼しいかも」
『そうなの?』
「うん、多分。そんな気がする」
と、そうは言いつつも汗ばむのは当たり前で、私の「あづーい!」が十回目を数える頃、学校に着いた。
そして道場が見えてくる頃、遠目に控え室のドアが開いている事に気付いた。
『ん? 誰か来てるのかな』
律子がそう言ったので、私は心の底から“ついてないなあ”という意味を込め、「はぁ」と溜め息をついてみせた。
道場へ着くと、短めの髪をちょこんとポニーに結った、目鼻立の良い女性が巻き藁を引いていた。
パッと見、先生か? と思ったが、少し近付くと、昨日律子に挨拶をしに来た後輩の内の一人だと判った。それが余計に大人びて見せているのかは分からないが、昨日の服装とは違い、袴で練習をしている。
『リウよ。アキマルカリウ』
……アキマルカ? ハーフの子か? と考えていると、律子は『何硬直してんのよ。彼女の名前よ。そこのロッカーに名前書いてあるでしょ』と、入り口の脇にあるロッカーを見るように促した。
そこには、
――秋前流夏里羽(あきまるかりう)――
と書いてあった。
『皆からは“りう”って呼ばれてるわ。今年入部してすぐに、私にあの頭痛薬の病院を紹介してくれた子よ』
……秋前流夏……里羽。耳で聞いてもさることながら、漢字で書くと更に凄い名前だ。というか、彼女の風貌に合っていて、格好良くすら感じる。
里羽……ちゃんか。この時代の子にしては珍しい名前だ。
彼女は巻き藁を引き終えると、すぐに私の方へ向き直り、「こんにちは!」と頭を下げた。
「あ、どうも」
『何よそれ。あんた先輩なんだから堂々としてなよ』
……そんな事を言われましても律子さん、未来から来ている私の方が後輩なんです。
「あ、あの、里羽、は、いつもこんなに早いの?」
ついつい“里羽”の後に“ちゃん”を付けそうになり、変な所で区切ってしまった。
「いえいえ、今日は何となくです。ちょっと射型が気に食わなくて。たまに来るんですよ。少し早目に」
彼女は矢を抜きながら、ちょっと照れた様に笑う。その目尻はキリッと切れており、一見して眼光が鋭いのだが、こうして笑顔を見せると、漫画のキャラの様に目が半円を描く。とても可愛い子だ。
「それより、先輩も早いんですね。どうしたんですか?」
里羽ちゃんは再び矢をつがえ、弓を打ち起こしながら聞いてきた。
「私も、ちょっと、練習を……ね」
ギリギリギリ、と里羽ちゃんの弓がゆっくりと引き分けられる。
「人が来る前の道場、なかなか良いもんですよね。静かだし」
力を入れているせいか少し苦しそうに言うと、里羽ちゃんの口元まで矢が降りたところで静止した。
……。
静かだ。
そして、袴姿の里羽ちゃん、格好いい。
数秒間静けさに包まれると、次の瞬間矢が放たれ、ズドン、と鈍い音が控え室に響いた。すると里羽ちゃんは、右肘を何度も曲げたり伸ばしたりしながら、「うーん、どうですかね?」と聞いてきた。
「え!? え、えーと……格好良かったよ」
「はい?」
『……そうじゃなくて、射型で気になる所がないかを聞いてるのよ。右肩が少し詰まってるから、もっとつむじから上に伸びて、左右にも伸びる意識しなきゃ』
律子にそう言われ、“意外に奥が深いな”と思い、「へえー」と里羽ちゃんを見ながら関心していると「何が、“へえー”なんですか?」と、里羽ちゃんはニヤニヤと、どこか楽しそうに聞いてきた。
「あ! いや、あの、上に、つむじから伸びる様に……」
『右肩が詰まってる』
「み、右肩が詰まってる!」
律子に教えて貰いながら、私がそう指摘すると、里羽ちゃんは、「ありがとうございます」と、少し微笑んで頭を下げた。
……ふう、何だか疲れる。
その後里羽ちゃんから、「あの、もう少し見てもらってもいいですか?」と、指南を仰がれてしまったので付き合う事となった。
彼女が引く度に、『ほらほら、肩が詰まってきた!』だの『離れが切れてない! もっと押しなさいよ!』だのと律子は熱くなっていたのだが、それを里羽ちゃんに伝えるのに、私の演技力が足りないせいかイマイチ迫力に欠けた。
律子の『うん、なかなか良くなってきたわね』と言うのを合図に、里羽ちゃんは射場へと向かった。
『さてそれでは沙美さん、あなたの指導に入りましょうかね』
「……へいへい」
今しがた目の前で行われていた鬼の様な指導が、これから私の身に降りかかるのかと思うと、少しげんなりしてくる。
ましてや私は里羽ちゃんとは違って、「ド」が付く初心者なのだ。里羽ちゃんこそ、律子のアドバイスを難なくこなしてはいたが、私となると矢を放つ事すら怖くて出来ないかもしれない。
……超不安だ。
――――――――――
時計の針が三時を回り、私の体力が限界を迎える頃、後輩君たちがわらわらと集まり始めた。巻き藁は入り口から直で見え、後輩君たちは入って来るなり私に挨拶をするものだから、そのラッシュ時、私はペコペコしっぱなしだった。
昔からそうだが、こうやって頭を下げられるのは、どうもむず痒いと言うか照れ臭いと言うか、何とも慣れない。
里羽ちゃんからその光景を見られ、「今日の先輩、変なの」と、クスクスと笑われてしまった。そして丁度その時、春子もやって来て、「何が変なのってー?」とニコニコと近寄って来た。
「あ、先輩こんにちは。何だか今日の仲米先輩ちょっと変なんです」
「律子が? いつも変だけどね」
春子はそう言いながら、ショルダーバッグをロッカーのある方へ「てい!」と投げた。
「今日は十一時半頃に来てたんですけど、それから今の今までずっと巻き藁引いてるし、射場から見えたんですが、射型がまるで初心者なんです。独り言も絶えないみたいで」
「確かに、律子最近独り言多いね」
春子がそう言うと、里羽ちゃんはすぐに口元を人差し指で「クイ、クイ」と、どこぞの探偵が考え事をしているかの様な仕草を取った。
「はい、独り言と言うより、何だか誰かと喋ってるみたいでした。……誰かいたんですか? 例えば――」
私を横目に見てそう言うと、次にニヤリと微笑んで更にこう続けた。
「――先輩の中とか」
「――っ!?」
瞬間的に心拍数が跳ね上がった。頭の中は真っ白になり、何と返して良いのか分からなくなってしまった。
「あ、いや、その……」
私がおどおどしていると、その時、誰かの声がした。
――何言ってんのよ。早く練習しなさい。――
律子だった。その言葉を聞き、私は咄嗟に我に返り、律子の言葉を真似した。すると里羽ちゃんは、表情をニコッと満面の笑みに一変させ、「冗談ですよ。あ、でも頭痛の薬は飲み続けて下さいね。あれ、本当に効きますから」と人差し指を立ててみせた。私がその人差し指を見ながら「う、うん」と返事をすると、春子が割って入った。
「良い薬を出す辺り、やっぱり私のお勧めした白倉病院は間違いなかったね!」
白倉病院、未来でも健在の少し大きめの病院だ。“ちょっと風邪をひいた”という程度では若干敷居の高い所ではあるが、外科内科を問わず、専(もっぱ)ら評判の病院である。
「先輩、あの病院勧めたの私ですう!」
里羽ちゃんが自分を指差しながら言うと、「本当は私が勧める予定だったの! 私だってただのネバカではないんだから!」と春子は子供の様にむきになって里羽ちゃんに歯向かっていた。
「アハハハ、ネバカって何ですかそれ!」
私も「ネバカ? 春子と律子だけで流行ってる言葉か?」と思ったが、その里羽ちゃんの反応に、意外にも春子と律子は「ネバカ知らないの!?」と驚愕した。
『まさか、ネバカを知らないなんてね』
私は思わず、「ネバカって何?」と声に出しそうになったが、同時に律子が教えてくれた。
『ネバカってのは一昨年の流行語の一つで、誰が書いたかは忘れたけど、本に出てきた言葉よ。
私たちの様な若い女の子が、深夜ラジオのパーソナリティやアイドルになる様を批評した言葉で、大人におだてられて押(の)し上がったに過ぎない、“根っからのバカ”、根バカって事。ひいては、それによって舞い上がってる私たち、若年層の女の子を揶揄する言葉にもなってるの。結構問題になったんだけど、まさか知らない子がいたなんて。しかも目の前に』
私はその律子から得た知識を、此れ見よがしに早速里羽ちゃんに教えてあげた。すると律子は『随分出荷が早いのね』と言ってきたので、「産地直送です」と、小さく返しておいた。
里羽ちゃんはまたもニコッと微笑むと、「へー、あまりテレビとか見ないから知りませんでした。覚えておきます」と言い、ペコッと頭を下げ、射場へと足早に去って行った。
春子はそれを見送りながら、頭の後ろで両の手を組んだ。
「里羽ちんも、やっぱりちょっと不思議なとこあるよねー」
「へぇ、どんな所が? ――っ!」
私はそう聞いた瞬間、「前々から、律子とこういった話をしているのであれば、この返しはおかしい!」と、血の気が引くのを感じた。が、そんな心配はよそに、春子は口を尖らせながら「うーんとね」と教えてくれた。
「新入部員の自己紹介の時、私が里羽ちんに、格好いい名前だねって言った時も、“はい、秋の前に夏が去るって意味らしいです。自分でも気に入ってます。でも「S」はどうしても使えなかったんですけどね”、とか変な事言ってたし、あと、本人は“趣味なんです”とか言ってたけど、薬について凄く詳しいし。それに一番は、どうも私たちより大人びてるって言うか落ち着いてるって言うか、年下って感じがしないんだよね。むしろ年上に感じるし」
確かに彼女を一目見た時、私もそれは感じた。“女の子”ではなく“女性”という表現が相応しいと。
そう考えていると、律子は『春が子供だからよ。私はちっとも年上に感じないけど』と少し可笑しそうに答えた。これは、私の演技次第では皮肉に聞こえるかもしれなかったので、声には出さないでおいた。
律子こそ大人びているから、そう感じるのかもしれない。
第3話-8-へ
ハルかカナタ すだれ @sdare0527
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