初恋
横銭 正宗
第1話
それはとても難しい感情でした。
僕には、理解し難かったと記憶しています。
「おはよう」
声を掛けられるだけで浮き立って
「おはよう」
返す言葉は上擦って
それだけで満足していました。…それだけで。
僕と彼女の間には何の進展もないままで、そのまま卒業式を迎えました。
大勢のクラスメイトが、涙を流します。
僕は泣けませんでした。
どうせ同じ区画なのです、中学校は同じなはずでした。
しかしそれは、僕の勘違いでした。
希望的観測、というのでしょうか。
彼女は県外の、とても遠い所にある中学校に通う事になりました。
そう聞いたのは、卒業式のあとの打ち上げでした。
「…最後、だね」
そう告げられました。
「そうだね」
僕は微笑んでみせます、君が不安にならないように。
「…」
彼女はそんな僕を見て、少し驚いたように見えましたが、すぐ僕と同じように微笑んでくれました。
「いちゃいちゃしてんなよな!」
友人が割り込んできます。
「そんなんじゃないよ」
笑って返します。
結局その後は僕は男友達と、彼女は女友達と遊んでいて、そのあと話すことはありませんでした。
次の日。
中学校の入学式までは時間があります。僕は4月の入学式までは、少し長い春休みに入ります。
ぴんぽーん。
家のチャイムがなりました。
お母さんが、応答している声が聞こえます。
僕はお母さんの声色と口調から、友達が来たんだなと思い着替えて一階に降ります。
「あら、ちょうど来たわね」
そう言うとお母さんは、玄関の鍵を開けに行きました。
入ってきたのは、友人ではありません。彼女でした。
「こんにちは」
遠慮がちに、彼女はリビングに上がります。
僕は緊張していて、挨拶を返すどころではありませんでした。
「どうしたの?」
そんな僕の第一声は、物凄く情けないものでした。でも、仕方がなかったと思います。本当に、急にうちに来た理由が分からなかったから。
「ちょっとね…それより、これ、お土産。みんなで食べてね」
僕の質問には答えずに、彼女は紙袋を差し出しました。
中には長方形の箱が入っています。それは僕の好きな鳩を模したサブレーでした。
「わぁ、ありがとう!僕これ好きなんだ!」
質問なんて頭の中から飛んでいました。彼女に最大限の感謝を伝えます。
「知ってる」
彼女はそう答えます。僕は、そんな事を言った覚えはなかったけど。
「ねぇ、私、遠い所に引っ越すの」
彼女の言葉は、二度目なのに、ずきん、と心に刺さりました。
しかし僕には、まだ平静を装えるだけの余力がありました。
「この前聞いたよ。頑張ってね」
そう僕は、微笑んでみせました。…多分、人生でついた嘘の中で、一番真っ当な嘘だったと思います。本当は、行かないで欲しいのに。
「…うん」
彼女は、寂しそうに微笑みます。
何だかその姿は、引っ越したくなさそうに見えました。
でも僕は、関わるべきではないと思いました。
だってきっと僕は、彼女の中では友人だから。しかも、それほど親しくもない。
「…あ、そうだ、せっかく来たんだから遊んで行きなよ、ゲームならいっぱいあるからさ」
僕は気まずい雰囲気を少しでも振り払うように、極めて明るく振舞います。
「うん、そうだね」
彼女はまだ寂しそうでしたが、殆ど困ったような笑顔を浮かべながらでも、僕と遊ぶことを了承してくれました。
僕は対戦ゲームを何本か選んで、彼女にひとつコントローラーを渡して、そうしてゲームを楽しみました。
しかし彼女は、どこか気が乗らないようで、あまり楽しくなさそうです。
「…本当に、どうしたの?」
僕はたまらずそう聞きます。
「…どう、したいんだろうね」
彼女は、また困ったように笑います。
「…行きたくないの?」
僕が今思い当たる一つの可能性を口にします。
「…君はどうかな、行って欲しくない?」
そんな聞き方はずるいと、僕は思いました。
そんな事言われたら、引き止めたくなってしまうと。
でも、彼女が踏ん切りがつかずにいるなら、僕が背中を押してあげないと、とそう思いました。
それがきっと、彼女の為になると信じて疑っていませんでした。
「ずっと一緒にやってきた仲間がいなくなるのは寂しいよ。でも、これから一生会えないわけじゃないと思うし、僕らは僕らで楽しむから、君は君で楽しんで欲しい」
一生懸命言葉を選びました。
彼女を傷付けないように、彼女を後押しできるように。
「だって僕らは、ずっと友達だからさ」
そう微笑んでみせました。
「友達…」
彼女は一言そう呟いて、三度どこか寂しげな笑顔を見せました。
「そうだね。頑張るね」
彼女の後押しは、成功しました。…結果的には。
それから三日後に、彼女はこの街を離れました。
当然僕らは見送りに行って、そこで一人一人手紙を渡されました。
家に帰って、その手紙の封を切ります。
「大切なあなたへ」
僕の手紙には、彼女の綺麗な字でそう書いてありました。
最後の最後まで、そういう意味での大切を期待してしまう自分がいました。
「この間は、突然家に行ったりしてごめんなさい。でも、私はあの時、君に止めて欲しかった。
君が止めてくれたら、私はおばさんに土下座してでも、この街に留まったよ。
手紙だから書けるし、最後の日も多分恥ずかしくて言えないからここに書きます。
私はあなたが大好きでした。
だから、あなたに止めて欲しかったんだよ。
でも、あなたは背中を押してくれたから。
私はまた何年かしたら、ここを訪れるからね。
その時はあなたよりも素敵な人を見つけたって、そう報告できたらいいなと思います。」
僕は間違っていたんだと、そう気付きました。
もっと、もっと素直になればよかったと、そう思いました。
次の日、僕はお母さんにお金を借りました。
電車代に充てるためです。
貯金箱も開けました。
6年間貯め続けた百円玉貯金とお母さんに借りたお金を合わせたら、1万円を超えていました。
僕はそのお金で新幹線に乗りました。
彼女のいる街へ向かうためです。
乗り換えもよく分からないので、お母さんにケータイを借りてきていました。
僕はケータイを見たり電光掲示板を見たりして、とても不安に思いながら彼女に聞いた街の名前の駅まで行きました。
…駅に着いてから、気付きました。
ここに来ても、何も無いんだって。
沢山の人たちが僕の前を通り過ぎます。
僕は呆然と立ち尽くしていました。
彼女の通う中学校も、彼女の家の住所も電話番号も、僕は知らないのです。
僕はただぼーっと、あぁ、ここが彼女がこれから過ごす街なのか、と思いながら、風景を眺めていました。
何十分経ったでしょう。
そろそろ帰ろうと思った時でした。
「…あれ」
彼女がいました。
間違いありません。
僕の家に来た時と、同じ服を着て。
彼女が坂を下っていったのを、僕は間違いなくこの目で見ました。
走ります。
彼女の元へ向かいます。
途中何度も躓きそうになって、それでも彼女の背中だけを頼りに、走ります。
「…あのっ!」
追いついて、声をかけました。
彼女が振り返ります。
「…え?」
彼女は驚いたように口を手で抑えます。
「僕も、君がずっと好きでした!」
言わなきゃいけなかった色々なことをすっ飛ばして、僕は彼女に告白をしていました。
「…うそ…」
彼女は涙を流します。でもその顔には、大好きな笑顔がありました。
僕と彼女は抱き合います。勢いのまま、キスをします。
唇はとても柔らかくて、近づいた彼女は、とてもいい匂いがして。
ファーストキスはレモンの味、なんて全然そんなことはなかったけれど、強いていえば、君の味がしました。
でもこれは、僕らにとってはお別れのキスです。
花も芽吹くような陽気が後押しした、この奇跡は。
ここで終着していいような、そんな気がしました。
きっとそれは、彼女も同じでした。
僕らはどちらともなく、離れました。
「…ありがとう!私も好きだったよ!」
大好きだった彼女は、そう言って満面の笑みを浮かべました。
帰りに、イチゴのショートケーキを買っていきました。
雪のように白いクリームと、甘酸っぱいイチゴはまるで、初恋のようだなと思いました。
初恋 横銭 正宗 @aoi8686
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