劉粋3  配下の暴走   

劉義符りゅうぎふ治世の頃、

しょう郡付近の住民、難民ら

約六十世帯は北魏ほくぎに逃げ込んだ。

そのうち趙炅ちょうけい秦剛しんごうら六世帯は

背いたことを悔い、帰還。

陳留ちんりゅう襄邑じょうゆう謀等ぼうとう村に戻ってきた。


劉粋は部将の苑縱夫えんじゅうふを派遣。

他の背反世帯を討伐しようとしたが、

彼らは北魏軍に匿われてしまい、

手が出せない。


これに苑縱夫は怒り、謀等村の

三十世帯を虐殺。

また男 137 人、女 162 人を

奴隷として兵器製造部門に徴用。


このことが明るみとなり、

劉粋は糾弾を受け、寧朔さくねい將軍に降格。


後に、その北魏軍が南侵してきた。

劉粋は部将の李德元りとくげんを許昌に派兵、

北魏将の庾龍ゆりゅうを殺した。


この動きに呼応した人がいた。

陳留の人、董邈とうばくという人物だ。

かれは小黃盟主しょうおうめいしゅを自称し、

北魏将の司馬世賢しばせいけんを斬り、

その首を建康けんこうに献上した。




少帝景平二年,譙郡流離六十餘家叛沒虜,趙炅、秦剛等六家悔倍,還投陳留襄邑縣,頓謀等村,粋遣將苑縱夫討叛戶不及,因誅殺謀等三十家,男丁一百三十七人,女弱一百六十二口,收付作部。粋坐貶號為寧朔將軍。時索虜南寇,粋遣將軍李德元襲許昌,殺偽潁川太守庾龍,於是陳留人董邈自稱小黃盟主,斬偽征虜將軍、廣州刺史司馬世賢,傳首京都。


少帝の景平二年、譙郡の流離の六十餘家は叛き虜に沒し、趙炅、秦剛ら六家は倍さるを悔い、還じ陳留の襄邑縣に投じ、謀等村に頓ざば、粋は將の苑縱夫を遣りて叛戶を討たしむるも及ばず、因りて謀等の三十家を誅殺し、男丁は一百三十七人、女弱は一百六十二口を作部に收付す。粋は貶に坐し號を寧朔將軍と為る。時に索虜の南寇せるに、粋は將軍の李德元を遣りて許昌を襲い、偽潁川太守の庾龍を殺す。是に於いて陳留人の董邈は小黃盟主を自稱し、偽征虜將軍、廣州刺史の司馬世賢を斬り、首を京都に傳う。

(宋書45-27_讒険)

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