劉粋1  劉毅の親族   

劉粋りゅうすい。字は道沖どうちゅうはいしょう県の人だ。

劉裕りゅうゆうのライバル・劉毅りゅうきの親戚でもある。


祖父は劉恢りゅうかい。監河中軍事、征虜せいりょ將軍、

要はかなりの重責を負った人物で、

ここで名の挙がる沛郡劉氏が

かなりの権門であったことが伺える。


劉粋の家は京口けいこうにあった。

若いころから大志を秘めており、

徐州從事として官途に就いた。


やがて劉裕と知り合い、

クーデターにおいては

劉裕の参謀として参加。


桓玄かんげん打倒後は沛郡太守や下邳かひ太守に。

南燕なんえん戦では多くの戦功をあげた。


盧循ろじゅん建康けんこうに迫った時には、

京口けいこうを守護。


落すべからざる要地であることに加え、

ここには当時四歳の劉義隆りゅうぎりゅうがいた。


五斗米道ごとべいどうの乱が沈静化したところで、

江夏こうか相に。

武昌ぶしょう近辺の責任者、言ってみれば

建康と江陵こうりょうの中間点にあたる、

国内のパワーバランス調整の

真っただという地勢のエリアだ。




劉粋,字道沖,沛郡蕭人也。祖恢,持節、監河中軍事,征虜將軍。粋家在京口。少有志幹,初為州從事。高祖克京城,參建武軍事。從平京邑,加沛郡太守;又領下邳太守。從征廣固,戰功居多。盧循逼京邑,京口任重,太祖時年四歲,高祖使粋奉太祖鎮京城。遷江夏相。


劉粋は字を道沖、沛郡蕭人なり。祖は恢、持節、監河中軍事,征虜將軍なり。粋が家は京口に在り。少きより志幹有り、初に州從事と為る。高祖の京城を克せるに、建武軍事に參ず。京邑を平らぐに從い、沛郡太守を加えられ、又た下邳太守を領さる。廣固を征せるに從い、戰功の多きに居す。盧循の京邑に逼らば、京口は任重にして、太祖の時に年四歲なれば、高祖は粋をして太祖を奉じ京城に鎮ぜしむ。江夏相に遷る。

(宋書45-25_暁壮)




劉粋は早い段階から親族である劉毅を嫌っている印象があります。桓玄打倒の段階で「劉裕の参軍」とかやべえだろ。そこは普通劉毅の参軍じゃねえのか、とゆう。


ただ、どんなルートで劉裕と知り合ったかが全然載ってないんですよね。その辺りって結構重要なポイントだと思うんですけど。まぁ劉粋、方面司令としては重責担ってるけど、政局の行方を左右するほどのプレゼンスは示せてないから、「かれがどうして劉毅じゃなく劉裕を選んだのか」なんてこたー、どうしても些事になってしまうんでしょう。かなしいことです。

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