劉栄祖2 義の将     

劉裕りゅうゆう死後、北魏ほくぎが侵攻してきたとき、

劉栄祖りゅうえいそ劉懐慎りゅうかいしんの喪に服していた。

が、北部守将の要の一人であった、

毛徳祖もうとくそが戦死すると、

そうも言っていられなくなる。


輔國ほこく將軍として再起用され、

この段階で、改めて北伐時の功績から、

都鄉侯ときょうこうの爵位を得た。


劉栄祖は財貨よりも仁義を貴しとした。

そのため、配下の士卒は大切にするが、

いわゆる士大夫層からは

偏屈者として見られていた。


その中にあって、謝晦しゃかい

かれの武を重く見ていた。

ことあるごとに、彼を丁重に接待。


そして劉義符りゅうぎふ廃立の際には、

戦力として劉栄祖を迎えようとする。

だが劉栄祖、これを辞退。


謝晦、諦めきれない。

荊州けいしゅうに出鎮した際に、再度招聘。

南蛮校尉なんばんこういという、西府軍の部の要として

迎え入れようとした。


劉栄祖、これも辞退した。

そして、その年の冬に死んだ。




索虜南寇,司州刺史毛德祖陷沒,榮祖時居父艱,起為輔國將軍。追論半城之功,賜爵都鄉侯。榮祖為人輕財貴義,善撫將士,然性偏險褊隘,頗失士君子之心。領軍將軍謝晦深接待之,廢立之際,要榮祖,固辭獲免。及晦出鎮荊楚,欲請為南蠻校尉,榮祖又固止之。其年冬卒。


索虜の南寇せるに、司州刺史の毛德祖は陷沒し、榮祖は時に父の艱に居せど、起ちて輔國將軍と為る。半城の功を追論し、都鄉侯の爵を賜る。榮祖が為人は財を輕んじ義を貴とし、善く將士を撫せど、然れど性は偏險褊隘にして、頗る士君子の心を失す。領軍將軍の謝晦は深く之を接待し、廢立の際、榮祖を要えんとせど、固辭し免るるを獲る。晦の荊楚に出鎮せるに及び、請うて南蠻校尉に為さんと欲せど、榮祖は又た固く之を止む。其の年の冬に卒す。

(宋書45-24_暁壮)



都鄉侯

都郷という地の侯爵、ではない。封爵地の「都郷侯」である。公侯伯子男の五爵の、更に下の爵位だ。


書かれぶりに、だいぶ関羽かんうがイメージされているのが伝わってくる。ただ謝晦の招聘を突っぱねたのは見識の故じゃなく、「偏屈だから」突っぱねました、みたいな書き方にはなっちゃってる。まぁ劉裕の命令も突っぱねるような将ですしね、扱いづらい、けど強い、みたいな人だったんでしょう。


輔国将軍になったときの任地は、やっぱり彭城ほうじょうあたりなのかな。毛徳祖の名前を挙げての登用なら、結構な要地に出そうだけど。


つーか毛徳祖、宋書だとなぜか「索虜さくりょ伝」の中に伝をねじ込まれてるんですよね。かなりの要将だし、親族の毛脩之もうしゅうしあたりの付伝にできなかったのかな。まあ北部守将について下手に書くと、大いなる宋国はこの頃北魏にいぢめられてました、って書かざるを得なくなるし、難しいのか。

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