劉栄祖1 豪胆の武人   

劉懐慎りゅうかいしんの長庶子、劉栄祖りゅうえいそ

若い頃から武勇に秀でていたため、

劉裕りゅうゆうに知られていた。


盧循ろじゅん建康けんこうに押し寄せてきたとき、

建康の南、秦淮河しんわいがに小舟で乗り込み、

防衛線を突破してきた。


人質でも取られていたのだろうか、

この小舟に対し、劉裕は矢を

射かけないよう命じていた。


これに苛立ったのが劉栄祖だ。

禁じられているのも承知の上で、

小舟に矢を射かける。


その矢は百発百中。

撃つごとに、五斗米道ごとべいどうの兵が倒れていく。

ルール違反はルール違反だが、

それ以上に、弓の腕だ。

劉裕、改めて劉栄祖の腕前に感心した。


司馬休之しばきゅうし戦では、徐逵之じょきしの戦没に

軍内の士気が落ちかけていたところ、

しきりに出陣を乞うてくる。


体格の近い二人だったのだろう。

劉裕、身につけていた鎧を脱ぐと、

劉栄祖に着せる。

遠目から見れば、劉裕自身が

出撃したように見えるわけである。


劉栄祖、預った鎧を着、配下兵を率い、

敵陣を落としていく。

いくらかの傷こそ負ったが、

まもなく司馬休之軍は破れ、撤退。


後秦こうしん討伐にあたっては、

朱超石しゅちょうせきとともに水軍にて進軍。

北魏軍を半城はんじょう劉度壘りゅうどるいで撃破。


劉裕は喜び、宴会を開いた。


「栄祖、お前は寡兵で大軍を討ち、

 しかもどんな堅城も、お前にかかれば

 たやすく落とされてしまったな。


 これほどのことは、古の名将でも

 きっとできなかったろう」


長安ちょうあん陥落後、姚泓ようおうの娘婿である

徐眾じょしゅうが反乱を企てたが、

劉栄祖と檀道濟だんどうさいとで、反乱を鎮圧。

ここで上げた首級、捕虜は、

到底数え切れるものではなかった。



懐慎庶長子榮祖,少好騎射,為高帝所知。及盧循攻逼,時賊乘小艦,入淮拔柵。武帝宣令三軍,不得輒射賊。榮祖不勝憤怒,冒禁射之,所中應弦而倒,帝益奇焉。從討司馬休之,彭城內史徐逵之敗沒,諸將意沮,榮祖請戰愈厲,高祖乃解所著鎧以授之。榮祖率所領陷陣,身被數創,會賊破走。高祖北伐,水軍入河,與朱超石大破索虜於半城,又攻劉度壘克之。高祖大饗戰士,謂榮祖曰:「卿以寡克眾,攻無堅城,雖古名將,何以過此。」既破長安,姚泓女婿徐眾率其餘眾連營叛走,榮祖與檀道濟等攻營破之,斬首擒馘,不可稱計。


懷慎が庶長子の榮祖は少くして騎射を好み、高く帝の知る所と為る。盧循の攻逼せるに及び、時に賊が小艦に乘り、淮に入りて柵を拔く。武帝は宣じて三軍に令し、輒ち賊を射つを得さしまず。榮祖は憤怒に勝らず、禁を冒し之を射ち、弦が應ずる所、中りて倒らば、帝は益ます奇とす。司馬休之を討ちたるに從い、彭城內史の徐逵之の敗沒せるに、諸將が意は沮ぜど、榮祖の戰を請うこと愈いよ厲しく、高祖は乃ち著けたる所の鎧を解き、以て之に授く。榮祖は領せる所を率い陣を陷とし、身に數創を被れど、賊の破れ走るに會う。高祖の北伐せるに、水軍にて河に入り、朱超石と與に索虜を半城にて大破し、又た劉度壘を攻め之を克す。高祖は大いに戰士を饗じ、榮祖に謂いて曰く:「卿は寡を以て眾を克し、攻むるに堅城無し。古の名將と雖ど、何ぞ以て此に過ぎんか」と。既にして長安を破らば、姚泓が女婿の徐眾は其の餘眾を率い營を連ね叛走せんとせるに、榮祖と檀道濟らは營を攻め之を破り、首を斬り馘を擒うること、稱計すべからず。

(宋書45-23_暁壮)




司馬休之戦が地味に面白い。劉栄祖が劉裕の期待を一身に背負ったように見せかけて、戦功一等は胡藩こはんだったってゆうね。あるいは、劉栄祖の陽動としての存在感が抜群だったから、胡藩が城を抜けた、とかもあったのかも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る