劉懐慎2 慎ましく逝く  

劉裕りゅうゆうそう王の座につくと、

長江ちょうこう淮水わいすいの中間エリアを守った。

また劉裕が宋の本拠地を

彭城ほうじょうから寿春じゅしゅんに移したとき、

北徐きたじょえんせいの各州、

及び淮水北部エリアの統括となった。

官位は中軍将軍。


が、その頃駐屯地である広陵こうりょう城に

しんの亡命貴族らが強襲。

侵入を許してしまったため、

征虜せいりょ将軍に降格となった。


劉裕が皇帝となると、

その覇業をよく助けた、とのことで

侯爵に爵位が上げられた。


また劉義符りゅうぎふが即位したところで

宗族には特別に恩賞がもたらされたが、

劉懐慎りゅうかいしんはそれらをすべて親族に回し、

家に余計な財産は残さなかった。


その後、劉義隆りゅうぎりゅうの即位を

見ることなく死亡。61歳だった。

肅侯しゅくこうと諡された。




宋臺立,督江北淮南諸軍。高祖遷都壽春,留懐慎督北徐、兗、青、淮北諸軍事、中軍將軍。以亡命入廣陵城,降號征虜將軍。永初元年,以佐命功,進爵為侯。景平元年,特賜班於宗族,家無餘財。二年卒,時年六十一。諡曰肅侯。


宋臺の立つるに、江北淮南諸軍を督す。高祖の壽春に都を遷したるに、懷慎を留め北徐、兗、青、淮北諸軍事を督せしめ、中軍將軍とす。亡命の廣陵城に入りたるを以て、征虜將軍に降號さる。永初元年、佐命の功を以て、爵を進め侯と為る。景平元年、班を宗族に特賜さるも、家に餘財無し。二年に卒す,時に年は六十一。諡して肅侯と曰う。

(宋書45-22_政事)




なにげに宋の遷都が感じ悪くてすこ。劉裕の本籍地が彭城にある→じゃあ王としての封爵地は彭城だね!→うーん、ワイとしては(晋の皇帝に圧力かけたいから)本拠地はもうちょい建康けんこうに近いといいな☆→簒奪、みたいな印象がすごい。寿春から見ると彭城も建康もおんなじくらいの距離なんですよねー。


ところで劉懐慎で、もう劉裕より年上なんですね。彭城劉氏と言う一集団の中で劉裕、若い頃にどんな存在感を示していたのかな。


なお劉懐慎、爵位を継いだ嫡男よりも武勲をバリバリに立てまくった長庶子のほうの扱いがデカいです。と言うわけで、続いてその長庶子、劉栄祖りゅうえいそをやっていきます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る