劉懐慎1 慎ましき武将
粛侯
既出:劉裕65、徐羨之4
劉懐慎は
功績を引き継いだため、結果的に
かれの功績のほうが大きくなっている。
それで、兄よりも先に立伝されている。
若い頃より良く身を慎んでいた。
劉裕が
あれっ最前線じゃないですか?
先頭に立って戦い、
自ら先頭に立ち城攻めに臨んだ。
対
その方針は極めて厳格であり、
統治エリアは常に引き締められていた。
413年、亡命者の
彭城に攻め込んできたので、撃退。
十三年、劉裕が北伐を開始すると、
劉裕のそばを守っていたが、
所轄官庁内で私闘が発生したため、
監督責任として免職させられた。
その名声がどれほど高まっても、
身を慎むことは一貫していた。
出先では自分より
身分が低い人たちに対しても
恭しく道を譲るほどの
徹底ぶりであった、と言う。
劉懐慎,彭城人,左將軍懐肅弟也。少謹慎質直。始參高祖鎮軍將軍事,振威將軍、彭城內史。從征鮮卑,每戰必身先士卒,及克廣固,懐慎率所領先登。從高祖距盧循於石頭,屢戰克捷。義熙八年,以本號監北徐州諸軍事,鎮彭城,尋加徐州刺史。為政嚴猛,境內震肅。九年,亡命王靈秀為寇,討平之。十三年,高祖北伐,以為中領軍、征虜將軍,衛輦轂。坐府中相殺,免官。雖名位轉優,而恭恪愈至,每所之造位任不逾己者,皆束帶門外下車,其謹退類如此。
劉懐慎は彭城人にして、左將軍の懐肅が弟なり。少きより謹慎質直なり。始め高祖の鎮軍將軍事に參じ、振威將軍、彭城內史となる。鮮卑を征せるに從い、戰の每、必ず身を士卒に先んじ、廣固を克せるに及び、懐慎は領せる所を率い先に登る。高祖の盧循を石頭にて距せるに從い、屢しばの戰にて克捷す。義熙八年、本號を以て監北徐州諸軍事とし、彭城に鎮ぜられ、尋いで徐州刺史を加えらる。為政は嚴猛にして、境內は震肅す。九年、亡命の王靈秀の寇を為したるに、之を討平す。十三年、高祖の北伐せるに輦轂を衛ず。府中の相殺に坐し、免官さる。名位の優れたるに轉じたると雖も、恭恪なるは愈いよ至り、之きたる所の每、位任の己を逾えざる者の造らば、皆な束帶し門外にて下車す、其の謹退なる類いは此くの如し。
(宋書45-21_政事)
兄貴のほうに家門に対する情報が載ってるせいで、懐慎の伝だけ見てもいまいち「なんでこの人こんな高いところに伝があるの?」が見えてこない。いや、このひと劉裕の母方のいとこなんですよ。
每所之造位任不逾己者
これの意味がいまいち取りにくい。前後からするとこんな感じかなあ、という風に仮に訳してみたけれども、どうなんでしょうね。
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