向劭   向氏一門の醜聞 

向靖しょうせいの弟、向劭しょうしょう

かれは永初えいしょ年間に宣城せんじょう太守となった。


そのころ、向劭の甥である向亮しょうりょうは、

完全な私怨で向靖の妻、氏を殺害。


これに対して向亮は

「奴隷に殺されたんです!」

と言い訳した。


事情を知っていた向劭としては、

この甥の凶行を許すわけにはいかない。


施氏の墓所にやってきた向亮、

、七、八人ほどの奴隷を、

皆殺しにした。


……首謀者、向靖の妾じゃない?


この件を向劭は家の恥であると、

秘匿しようとしたのだが、

結局のところ露見、

尋問されることとなった。


が、そこに劉裕からの詔勅が下り、

向劭の罪は問われないこととなった。


やがて向劭は、元嘉げんか年間の初めころに

義興ぎこう太守として死んだ。




彌弟劭,永初中,為宣城太守。劭弟子亮,以私忿殺彌妻施氏,託云奴客所殺,劭輒於墓所殺亮及彌妾並奴婢七八人,匿不聞官,為有司所奏,詔無所問。元嘉初,卒於義興太守。


彌の弟の劭は永初中、宣城太守と為る。劭が弟の子の亮は私忿を以て彌が妻の施氏を殺し、託ちて云えらく「奴客に殺されたる所なり」と。劭は輒ち墓所にて亮、及び彌が妾、並びに奴婢の七、八人を殺し、匿し官に聞かさざらば、有司に奏ぜらる所と為れど、詔にて問わるる所無し。元嘉の初、義興太守として卒す。

(宋書45-20_肆虐)




向靖本人がある程度身を慎んでいたとしても、その家族はどうだったんだろうね、みたいな話に見えてきます。向靖存命中からだいぶきな臭い動きがあって、それが向靖の死後すぐに表面化した、って感じなのかなあ。なんでその辺ぼかして書くんだよ沈約さん。いいけど。


ともあれその部分を即断罪した向劭は、だから「劉裕直々のお達しで」この殺害劇を不問とさせられた、みたいな。しかし自分の妻を妾が殺すよう手引きしたとか、そんなん向靖が知ったら蘇ってまた死ぬよね……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る