沈林子14 母の死と、病 

母上、つまり我が曾祖母が亡くなると、

祖父は京口けいこうに帰り葬式を挙げられました。

そこには劉裕りゅうゆう様もおん自ら参席され、

また多くのお歴々らかの使者も参りました。


葬儀ののち、劉裕様は命令を下されます。


「この国はまだ安定したとは言えぬ。

 今なお多くの才が求められている。


 沈林子しんりんしには、しきたりにある

 三年の喪につかせてはやれぬ。


 輔國ほこく將軍として参内せよ」


祖父はこの命令を辞退なさったのですが、

許されませんでした。


ただし、毎月一日と十五日に開かれる

定例会議には不参加でよい、とされ、

あくまで何か大事があった時に

諮問の使いが祖父のもとに訪れる、

と言った形で仕えることとなりました。


この頃、謝晦しゃかいが国政の多くを

取り仕切っていたのですが、

かれが病欠となる時には、

祖父が召喚を受けて、

その代任を務められました。


こうして参内する祖父でありましたが、

本来であれば服喪の期間です。

宮中にあっても、

やはり曾祖母を失われた悲しみは

隠しようがないものでした。


劉裕様は祖父のことを

非常に気に掛けておられました。


そんな折、祖父が病を得ます。

京口に戻ればはやり泣き暮れて

過ごさねばならぬ身。

これ以上の哭礼は、

命にもかかわってくるでしょう。


そこで劉裕様は強制的に、

祖父を宮中に引き留めたままとします。

併せて、周囲の者に仰るのです。


「奴の孝行の気持ちはすさまじい。

 お前たちも、よく奴を

 慰めてやるようにな」


やがて病状が回復したので、

一度呉興に戻られたのですが、

そうすると、今度は

劉裕様が倒れられるのでした。


はじめ劉裕様のおそばに

侍るよう命ぜられたのですが、

祖父自身の病も進行しておりました。


遂に発作が起きたため、

ご自宅に戻らざるを得なくなるのでした。




遭母憂,還東葬,乘輿躬幸,信使相望。葬畢,詔曰:「軍國多務,內外須才,前鎭西諮議、建威將軍、河東太守沈林子,不得遂其情事,可起輔國將軍。」林子固辭,不許,賜墨詔,朔望不復還朝,毎軍國大事,輒詢問焉。時領軍將軍謝晦任當國政,晦毎疾寧,輒攝林子代之。林子居喪至孝,高祖深相憂湣。頃之有疾,上以林子孝性,不欲使哭泣減損,逼與入省,日夕撫慰。敕諸公曰:「其至性過人,卿等數慰視之。」小差乃出。上尋不豫,被敕入侍醫藥,會疾動還外。


母の憂に遭い、東に還りて葬ず、輿に乘りて躬ら幸いし、信使は相い望む。葬の畢るに、詔して曰く:「軍國に務め多く、內外に才を須むらば、前の鎭西諮議、建威將軍、河東太守の沈林子、遂に其の情事を得たらず、輔國將軍に起すべし」と。林子は固辭せど許されず、墨詔を賜り、朔と望とに復た朝に還ぜず、軍國の大事の毎、輒ち詢問せらる。時の領軍將軍の謝晦の當に國政に任ぜられんとせるに、晦は毎に疾寧し、輒ち攝じ林子が之に代る。林子の喪に居すこと至孝なれば、高祖は深く相い憂湣す。之の頃に疾を有し、上は林子の孝性なるを以て、哭泣減損せしむるを欲さず、逼りに入省せしめ、日夕に撫慰す。諸公に敕して曰く:「其の至性は人に過ぐらば、卿等は數しば之を慰視すべし」と。小しく差したるに乃ち出づ。上は尋いで不豫たらば、敕し醫藥の入り侍りたるを被れど、疾動に會いて外に還ず。

(宋書100-21_寵礼)




母親が死亡した段階で、いったんすべての役職を返上している、と言う部分をスキップしていきなり劉裕様に「先の鎮西諮議~」って始まってる辺り、「いやいったんの解任は当然でしょ?」的なところがあって素敵。いや当然じゃねぇーし! うーん、なんか本当、どっかの段階で礼記はきっちり整理しとかないと「この辺書くまでもないよね?」的儀礼に隠されて変な誤読決めてたりとかしそうだよなぁ。

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