沈林子9 九泉の戦い
祖父は、さっそく定城に夜襲。
姚鸞の鼻を削ぎ、
配下兵らを穴埋めとします。
「これだけちょくちょく奴らを
ボテこかしてくれんのはサイコーだ。
あいつらも、
間もなく音を上げるだろうよ」
次に姚紹は、
が、その拠点ができるよりも前に、
祖父が強襲。
姚贊はほうほうの体で逃げ出し、
兵たちは散り散りとなりました。
二手、三手と姚紹は策を繰り出します。
見事なまでの逐次投入でありますね。
今度は
合計三万の軍勢です。
この動きは、さすがにまずい。
そう判断された劉裕様は、
祖父を派遣、九泉をめぐり戦わせます。
このとき祖父は劉裕様付きの武将、
全速力で進軍、そして数戦のもと撃破。
姚伯子、姚默騾、唐小方の首を挙げ、
殺した敵、接収したろばや馬、
兵器などは多数にのぼりました。
また三千ほどの捕虜を得ましたが、
彼らにつきましては、ことごとくを
姚紹のもとに返還。
これが王の軍の度量である、と
お示しになったのです。
初,紹退走,還保定城,留僞武衞將軍姚鸞精兵守險。林子銜枚夜襲,即屠其城,劓鸞而坑其衆。高祖賜書曰:「頻再破賊,慶快無譬。既屢摧破,想不復久爾。」紹復遣撫軍將軍姚贊將兵屯河上,絶水道。贊壘塹未立,林子邀擊,連破之,贊輕騎得脫,衆皆奔敗。紹又遣長史領軍將軍姚伯子、寧朔將軍安鸞、護軍姚默騾、平遠將軍河東太守唐小方率衆三萬,屯據九泉,憑河固險,以絶糧援。高祖以通津阻要,兵糧所急,復遣林子爭據河源。林子率太尉行參軍嚴綱、竺靈秀卷甲進討,累戰,大破之,即斬伯子、默騾、小方三級,所俘馘及驢馬器械甚多。所虜獲三千餘人,悉以還紹,使知王師之弘。
初にして紹の退走せるに、還りて定城を保ち、僞の武衞將軍の姚鸞を留め精兵にて險を守らしむ。林子は枚を銜え夜襲し、即ち其の城を屠らば、鸞を劓ぎ其の衆を坑す。高祖は書を賜いて曰く:「頻りに再び賊を破りたれば、慶快なるに譬うる無し。既にして屢しば摧破せば、復た久しく爾らざらんと想いたるべし」と。紹は復た撫軍將軍の姚贊が將兵を遣りて河上に屯じ、水道を絶たしむ。贊が壘塹の未だ立たざるに、林子は邀擊し、之を連破し、贊は輕騎にて脫せるを得、衆は皆な奔敗す。紹は又た長史の領軍將軍の姚伯子、寧朔將軍の安鸞、護軍の姚默騾、平遠將軍にして河東太守の唐小方に衆三萬を率いて遣り、九泉に屯據せしむらば、河に憑き險を固め、以て糧援を絶たしめんとす。高祖は通津の阻要にして兵糧の急なる所を以て、復た林子を遣り河源を爭據せしむ。林子は太尉行參軍の嚴綱、竺靈秀を率い卷甲し進みて討ち,累しば戰い,之を大いに破らば、即ち伯子、默騾、小方の三級を斬り、俘したる所の馘、及び驢馬、器械は甚だ多し。虜獲したる所の三千餘人は悉く以て紹に還じ、王師の弘を知らしむ。
(宋書100-16_暁壮)
定城、河上、九泉の位置がいまいち見出しきれない。というかこの辺のタイムラインがよくわからん。「姚紹が死んだあとに潼関が陥落した」だから、この段階ではまだ潼関は落ちていないはずである。そうすると劉裕と沈林子らって、潼関の東と西に分断されてるはずなんですよね。あるいは北にある山々を踏破して、とかなのかしら?
この辺の地理への理解が雑だとほんにわけわかんないし、っつーか九泉撃破の総大将って嚴綱なんじゃねーの疑惑が半端なかったり、とか。
沈約さん、じぃじの功績を目立たせるために檀道済、王鎮悪、朱齢石あたりの後秦討伐戦における功績をオミットしすぎじゃねえかこれ? 他の武将の局地戦における功績も、こんくらい詳細に載せといてくださいよ。そのせいで資治通鑑ですら沈林子田子が異常に活躍したように見えてるじゃん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます