沈林子4 恩に報いる
409年、
仮に
なお、この当時の
では、どなたがが鎮軍なのかと言うと、
よくわかりません。
南燕軍は騎馬隊を駆使し、
そこにおりましたのが、祖父でした。
祖父は精兵を率い、この強襲を
見事退けられました。
やがて
祖父はここで、
城の西隅を攻撃する任を負われました。
南燕平定ころ、
それに先立ち、盧循は、
祖父とその親族、
内応を持ち掛けます。
祖父はこのことを
劉裕様に報告いたしました。
一方の沈叔長は劉裕様に報告せず、
盧循との結託を選択致します。
そして祖父にも持ち掛けるのです、
共に盧循様に従おう、と。
沈叔長は暁武の男。
これを放置しておれば、何が起こるか、
わかったものではありません。
そのため劉裕様は、沈叔長を
ひっそりと闇のうちに葬られました。
そして、祖父に仰りました。
「
その中にあって
義を貫き通した。
まったく、今日のお前のようだ」
やがて盧循軍が
ここで建康城内の貴族らは
逃げ出そうと言い出しておりましたが、
祖父はむしろ家族を引き連れ、
この建康に集めたい、と言い出します。
ん、どういうことだ?
劉裕様が問われると、お答えになりました。
「
彼らはいずれも一門総出で
君主のために力を尽くしました。
この林子、
才覚が古人に及ぶとは思えません。
しかしながら、頂戴した恩義に
答えねばならぬ、と言う思いは
古人にも負けぬ自信がございます」
この祖父の申し出を、劉裕様は
大いにお讃えになりました。
義熙五年,從伐鮮卑,行參鎭軍軍事。大軍於臨朐交戰,賊遣虎班突騎馳軍後,林子率精勇東西奮擊,皆大破之。慕容超退守廣固,復與劉敬宣攻其西隅。廣固既平,而盧循奄至。初,循之下也,廣固未拔,循潛遣使結林子及宗人叔長。林子即密白高祖,叔長不以聞,反以循旨動林子。叔長素驍果,高祖以超未平,隱之,還至廣固,乃誅叔長。謂林子曰:「昔魏武在官渡,汝兗之士,多懷貳心,唯李通獨斷大義,古今一也。」循至蔡州,貴遊之徒,皆議還徙,唯林子請移家京邑,高祖怪而問之,對曰:「耿純盡室從戎,李典舉宗居魏。林子雖才非古人,實受恩深重。」高祖稱善久之。
義熙五年、鮮卑を伐ちたるに從い、參鎭軍軍事に行ぜらる。大軍の臨朐にて交戰せるに、賊は虎班突騎を遣りて軍の後に馳さしむらば、林子は精勇を率い東西に奮擊し、皆な之を大破す。慕容超は退きて廣固を守り、復た劉敬宣と其の西隅を攻む。廣固の既に平らぐるに、而して盧循が奄至す。初にして、循の下りたるに、廣固の未だ拔かざれば、循は潛かに使を遣わせ林子、及び宗人の叔長を結せしむ。林子は即ち密かに高祖に白い、叔長は以て聞かず、反し循が旨を以て林子を動かしむ。叔長は素より驍果なれば、高祖は超の未だ平らがざるを以て、之に隱れ、還じ廣固に至り、乃ち叔長を誅す。林子に謂いて曰く:「昔、魏武の官渡に在るに、汝兗の士、多きは貳心を懷きたり、唯だ李通、獨りが大義を斷ちたる、古と今とは一なり」と。循の蔡州に至るに、貴遊の徒は皆な還徙を議せど、唯だ林子は家を京邑に移さんと請い、高祖は怪しみて之を問わば、對えて曰く:「耿純は室を盡く戎なるに從わせ、李典は宗を舉げ魏に居す。林子が才は古人に非ざりたると雖ど、實に恩を深く重く受くる」と。高祖は稱えく之を善久す。
(宋書100-11_直剛)
官渡の故事については、この先劉道規伝でも似たような話が出てきます。劉裕って割と危機に晒されてないんですが、この盧循戦で懲りたから、いろんなもんを万全に対策練ってったんだろうなあ、と言う印象もあります。劉裕見た後曹操とか石勒とか見ちゃうと「なんだこの波乱万丈すぎる生涯は……」ってビビるよね。光武帝とか李世民、朱元璋と較べるとどうなんだろう。アウトラインでしか知らないからぱっと結論が言えませんが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます