沈田子3 青泥の吶喊   

416年、劉裕りゅうゆう後秦こうしん制圧の軍を起こす。


ここで沈田子しんでんし傅弘之ふこうしは別働隊を率い、

洛陽らくよう潼関どうかん長安ちょうあんと向かうルートよりも

やや南寄りのルート、武関ぶかんから侵入、

長安を正面に望む地、青泥せいでいに。


長安から見ると、洛陽から潼関を経て

侵攻してくる王鎮悪おうちんあく軍を防ごうとしたら、

その背後を、沈田子らに襲われる。

そのような状況だ。


なので後秦帝の姚泓ようおうは、

まずは沈田子らを迎撃せん、と動いた。

歩兵数万を号する兵を率い、青泥を包囲。


沈田子、

後秦の内情はある程度聞いている。

今の後秦に、別働隊に向けて

数万の兵力を割くのは不可能のはず。

あれは偽装ではないか。

ならば、数百の兵でも破砕できよう。


そう判断し、動こうとした。

すると傅弘之が諌める。


「多勢に無勢だ、勝負にならん!」


沈田子は答える。


「孫子も言っているだろう、

 虚実を操ってこその将帥だ、と。

 ならば、あれはハッタリだ。

 実際の兵力は、もっと少ないさ」


いやいやお前ね、けどそれで実際に

あれが全部実兵力だったらどうすんのさ?

傅弘之、なおも食い下がる。


なので、沈田子は言い継ぐ。


「兵力の多寡は、なべて趨勢とは

 一致しないものさ。


 だが、奴らの包囲が整い切ってしまえば、

 もはや打つ手もなく、士気も底をつく。

 この別働隊も壊滅するだろう。


 奴らを叩くのは、軍容が整っていない、

 今をおいてない。

 このタイミングで叩けば、

 奴らの肝を潰せるだろう。


 春秋にも載っているだろう、

 人に先んじて人の心を奪うこと有らん、

 軍の善き謀なり、だ」


それでもなお、傅弘之は

動こうとしなかったようだ。

なので沈田子は、自身で動かせる

兵力を率い、出撃する。


すでに、包囲は幾重にも及んでいる。

沈田子、兵らに対し、鼓舞する。


「そなたらが親族のもとをはなれ、

 先祖代々の墓にも背を向け、

 飛び交う矢や石のもとに身を置くは、

 まさしく、今日この日!


 胡族を打ち破り、大功を挙げ、

 列侯に叙任される、そのような日を

 夢見てのことであったろう!」


沈田子、残された食料も、

陣幕のための資材も、全て投げ捨て、

自ら兵士らを焚き付け、進む。


士気の差は歴然である。

沈田子軍が向かうところ、

ことごとくが破砕される。


普段足場のあまり良くないところで

戦うことが多い、江南の兵士たち。

その武器は、長柄物ではなく、

主に剣などの比較的短い武器だ。

一度ふところに潜ってしまえば、

その破壊力は長柄ものとは

比べ物にならない。


後秦軍は、またたく間に壊滅。

一万あまりの敵兵を殺し、

また、姚泓が用いていた輿を

奪取するなどの功績を挙げた。




十二年,高祖北伐,田子與順陽太守傅宏之各領別軍,從武關入,屯據青泥。姚泓欲自禦大軍,慮田子襲其後,欲先平田子,然後傾國東出。乃率步軍數萬,奄至青泥。田子本爲疑兵,所領裁數百,欲擊之。傅宏之曰:「彼衆我寡,難可與敵。」田子曰:「師貴用奇,不必在衆。」宏之猶固執,田子曰:「衆寡相傾,勢不兩立。若使賊圍既固,人情喪沮,事便去矣。及其未整,薄之必克,所謂先人有奪人之志也。」便獨率所領鼓而進。合圍數重,田子撫慰士卒曰:「諸君捐親戚,棄墳墓,出矢石之間,正希今日耳。封侯之業,其在此乎!」乃棄糧毀舍,躬勒士卒,前後奮擊,所向摧陷。所領江東勇士,便習短兵,鼓噪奔之,賊衆一時潰散,所殺萬餘人,得泓僞乘輿服御。


十二年,高祖の北伐せるに、田子と順陽太守傅弘之は各ぞれ別軍を領し、武關より入り、青泥に屯據す。姚泓は自ら大軍を禦さんと欲し、田子に其の後を襲わらんことを慮れ、先に田子を平がんと欲し,然る後に國を傾け東に出でんとす。乃ち步軍數萬を率い、青泥に奄至す。田子は本より疑兵を爲い、領せる所の數百を裁き、之を擊たんと欲す。傅弘之は曰く:「彼は衆く我は寡なし、敵すべかるは難し」と。田子は曰く:「師は奇を用いたるを貴びたり、必ずや衆在らざらん」と。弘之は猶おも固執せば、田子は曰く:「衆寡の相傾きたるは、勢い兩立せず。若し賊をして圍みたるの既にして固なれば、人情は喪沮し、事は便ち去りたらん。其の未だ整わざるに及び、之を薄らがば必ずや克せん、所謂、先人の有す奪人の志なり」と。便ち獨り領せる所を率い鼓し進む。合圍は數重なれば、田子は士卒を撫慰して曰く:「諸君の親戚を捐て、墳墓を棄て、矢石の間に出でたるは、正に今日を希いたるのみ。封侯の業、其れ此に在らん!」と。乃ち糧を棄て舍を毀ち、躬ら士卒を勒せば、前後は奮擊し、向かいたる所を摧陷す。領せる所の江東の勇士は、便ち短兵を習わば、鼓噪して之に奔り、賊衆は一時にして潰散し、殺したる所は萬餘人、泓の僞乘したる輿服御を得る。

(宋書100-5_暁壮)




傅弘之

原文中では傅宏之と書かれている。ここで「弘」は、沈約にとって、避けておかねばならない家の諱だったのだと思われる。というのも、おそらく自序は公的な記録というより著者の立場を表すもの、であるから、やや他の列伝とは趣が違ってくるのだろう。まぁ、弘って字のつく親族が見当たらない以上、推測でしかないわけですが。


そうやって考えると、なるほど、自序ってのは、より克明に自分、及び先祖たちの立場を描き出す必要があるのかも知れない。「こういう立場の人間が書いていることを踏まえてお読みください。でないと、とんでもない読み違いも発生しかねませんよ」、的な部分を自覚的に行っている、というか。


春秋で孔子が言ったそーである。「述して語らず」。事実を記載するにのみとどめ、おのが見解をそこに混ぜ込まない、それこそが歴史記述の真髄だと。


だが、実際のところそんなんは離れ業にもほどがある。ならば、その記述に紛れ込むであろうバイアスの出処は、できるだけ正確に明示しておく必要がある。そんな感じだろうか。


うーん、自序って今まで「いらねえよお前の語りなんか」って思ってたけど、こうやって考えるとめっちゃ重要だなー。

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