沈田子2 広州平定    

番禺ばんうを取り囲む盧循ろじゅん軍。

対する孫処そんしょ軍、孤軍奮闘にもほどがある。

そこに、沈田子しんでんし軍到着の報せだ。

孫処、大歓喜である。


沈田子は川を背に陣を敷き、

そこから自ら先頭に立ち突撃、

またたく間に包囲を破砕。


更に逃げ惑う盧循軍を追撃、

蒼梧そうご鬱林うつりん寧浦ねいほの各地で打ち破る。


が、引き上げてみれば、凶報が。

孫処が病死した、と言うではないか。

もともと守城線で痛手を受けており、

そこに、リーダーの喪失である。


周辺の賊がこの隙に暴れ回り、

ついには、後事を託されていた副官が

賊の手にかかり、殺されてしまった。


西方から帰還した沈田子、

すぐさま跳梁する賊らを狩る。

そして、一両日のうちに平定。


そこからしばらく番禺で

睨みをきかせていたが、

中央から広州の責任者として

褚裕之ちょゆうしが派遣されたので、

ようやく中央に帰還した。


これらの功績から、

太尉參軍、振武しんぶ將軍、淮陵わいりょう內史に。

また都鄕侯の爵位を得た。


劉義符りゅうぎふの軍府に一度入ったあと、

劉毅りゅうき討伐に参加。

後に司馬休之しばきゅうし討伐にも従軍した。


このとき沈田子は、

趙倫之ちょうりんし率いる別働隊に参与した。




比至,賊已收其散卒,還圍廣州。季高單守危迫,聞田子忽至,大喜。田子乃背水結陳,身率先士卒,一戰破之。於是推鋒追討,又破循於蒼梧、鬱林、寧浦。還至廣州,而季高病死。既兵荒之後,山賊競出,攻沒城郭,殺害長吏。田子隨宜討伐,旬日平殄。刺史褚叔度至,乃還京師。除太尉參軍、振武將軍、淮陵內史,賜爵都鄕侯。復參世子征虜軍事,將軍、內史如故。八年,從討劉毅。十一年,復從討司馬休之,領別軍,與征虜將軍趙倫之,參征虜軍事、振武將軍、扶風太守。


比に至りて賊は已に其の散卒を收め、還りて廣州を圍む。季高が單守に危迫せるに、田子の忽ち至りたるを聞き、大いに喜ぶ。田子は乃ち水を背に結陳し、身を士卒に率先し、一戰にして之を破る。是に於いて鋒を推げ追討し、又た循を蒼梧、鬱林、寧浦で破る。還じ廣州に至らば、而して季高は病死す。既にして兵荒の後なれば、山賊は競い出で、城郭は攻められ沒し、長吏は殺害さる。田子は宜しきに隨いて討伐し、旬日にして平殄す。刺史の褚叔度の至るに、乃ち京師に還ず。太尉參軍、振武將軍、淮陵內史に除せられ、都鄕侯の爵を賜る。復た世子征虜軍事に參じ、將軍、內史は故の如し。八年、劉毅を討ちたるに從う。十一年、復た司馬休之を討ちたるに從い、別軍を征虜將軍の趙倫之と與に領し、征虜軍事に參じ、振武將軍、扶風太守となる。

(宋書100-4_暁壮)



領別軍,與征虜將軍趙倫之,參征虜軍事、振武將軍、扶風太守。

微妙にここの書き方が生臭い。というのも、前半を見れば「趙倫之と共に別軍を預かった」となるのだが、そのすぐ次には「參征虜軍事」って書かれてる。お前ェ! これ「趙倫之が預かった別軍に幹部として加わった」が正しいだろ! なに趙倫之と同列っぽい書き方してんだよ!

ただ、その直前に劉義符の征虜将軍府にも入ってるんだよなぁ、このひと。なんでこんなややっこしい経歴なんだろう。

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