沈田子1 武断の人    

沈田子しんでんし

 既出:劉裕59、劉裕60、劉裕74

    劉裕78、劉裕79、王鎮悪12

    王鎮悪15



沈田子。字は敬光けいこう、沈兄弟の三番目。


劉裕りゅうゆう京口けいこう建康けんこう奪還に従い、

功績を上げた。


南燕なんえん討伐では孟龍符もうりゅうふとともに先鋒に。

この戦いで孟龍符は死んだが、

沈田子はむしろ意気を盛んとし、

大いに戦功を挙げた。


盧循ろじゅんが建康に迫ったとき、劉裕は

沈田子と孫処そんしょを海路伝いで

盧循の拠点、番禺ばんうに向かわせる。

そして強襲、占拠。


徐道覆じょどうふくが建康と番禺との中間地点、

始興しこうに立てこもったときには、

陸路を南下してきた劉藩りゅうはんと協力し、

攻城戦を展開した。


だがその頃、盧循が

孫処の守る番禺を包囲、攻撃していた。


沈田子は劉藩に言う。


「番禺の城は堅牢ではありますが、

 元はと言えば盧循の本拠地。

 城内で、盧循に呼応する者も

 現れるかも知れません。


 孫処が従えている兵力は、

 さして多くはありません。


 万が一五斗米道共に再び番禺を

 明け渡してしまったら、

 奴らの勢いは再び増しましょう。


 私めと孫処は、

 これまでも多くの戦いを共にし、

 ましてあの危険極まりない海路をも

 同道し、あの城を落としました。


 彼の危機を前に、どうして

 ただ座しておれましょうか?」


そうして兵を率い南下、

孫処の加勢に出向くのだった。




田子,字敬光,雲子弟也。從高祖克京城,進平京邑,參鎭軍軍事,封營道縣五等侯。義熙五年,高祖北伐鮮卑。田子領偏師,與龍驤將軍孟龍符爲前鋒。慕容超屯臨朐以距大軍,龍符戰沒,田子力戰破之。及盧循逼京邑,高祖遣田子與建威將軍孫季高由海道襲廣州,加振武將軍。循黨徐道覆還保始興,田子復與右將軍劉藩同共攻討。循尋還廣州圍季高,田子慮季高孤危,謂藩曰:「廣州城雖險固,本是賊之巢穴。今循還圍之,或有內變。且季高衆力寡弱,不能持久。若使賊還據此,凶勢復振。下官與季高同履艱難,泛滄海,於萬死之中,克平廣州,豈可坐視危逼,不相拯救。」於是率軍南還。



田子は字を敬光、雲子が弟なり。高祖の京城を克すに從い、進みて京邑を平ぐるに、鎭軍軍事に參じ、營道縣の五等侯に封ぜらる。義熙五年、高祖は北に鮮卑を伐つ。田子は偏師を領し、龍驤將軍の孟龍符と與に前鋒と爲る。慕容超の臨朐に屯じ以て大軍を距さんとせるに、龍符は戰沒せど、田子は力戰し之を破る。盧循の京邑に逼りたるに及び、高祖は田子と建威將軍の孫季高を遣りて海道を由し廣州を襲わしめ、振武將軍を加う。循が黨の徐道覆の還じ始興を保ちたるに、田子は復た右將軍の劉藩と同共し攻めて討つ。循は尋いで廣州に還じ季高を圍まば、田子は季高の孤危なるを慮れ、藩に謂いて曰く:「廣州城は險固なると雖も、本は是れ賊の巢穴なり。今、循の還じ之を圍みたるに、或いは內變有らん。且つ季高が衆力は寡弱なれば、持久せる能わず。若し賊をして還じ此に據せしむらば、凶勢は復た振るわん。下官と季高は艱難を同じく履み、海を泛滄せば、萬死の中にて廣州を克平す、豈に坐し危逼を視、相い拯救せざるべからんや?」と。是に於いて軍を率い南還す。

(宋書100-3_暁壮)




沈田子

長安ちょうあんで狂った」彼は、ではどんな人物なのか。そこを追うことになるんですが、ぶっちゃけ沈田子伝、薄い。どうしても沈林子しんりんし伝とセットで読まざるを得ません。沈林子伝なぁ……あれ、厄いんだよないろいろ……。

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