沈穆夫  沈氏と孫恩の乱 

沈穆夫



ここからは長安ちょうあん動乱に深くかかわる、

沈田子しんでんし、及びその弟の沈林子しんりんしについて

紹介していこう。


が、その前に父親について記す。

というのも、かれが孫恩そんおんの乱に

深くかかわる人物であるためだ。



田子林子の父、沈穆夫しんぼくふ。字は彥和げんわ

学者であった沈警しんけいの息子で、

親譲りの学識を持ち、

左氏春秋さししゅんじゅうを諳んじていた。


名門貴族の王恭おうきょうは沈警を重んじており、

その沈警が引退の志を示すと、

沈穆夫を登用した。


「そなたの引退の志を、

 敢えて止めるわけにもゆくまい。


 故に、そなたの子息に無理を言い、

 共に事にあたってもらおうと思う。


 決してつまらぬ職務にはつけぬので、

 安心していただきたい」



ところで沈穆夫の一門は、

代々五斗米道ごとべいどうを奉じていた。

その頃の宗主は、杜炅とけい

五斗米道の奥義に深く通じていた彼に、

地元の土豪だけでなく、

建康けんこう近辺の貴顕までもが

弟子入りし、深く敬慕していた。


その杜炅が死亡すると、

門徒の孫泰そんたいが、そしてさらには

孫泰の甥である孫恩そんおん

その奥義を継承。

当然沈警も、彼らに仕えた。


が、事態が一変する。


399 年。孫恩の乱、勃発。

孫恩が征東將軍を自称すると、

会稽かいけい周辺の人びとがそれに呼応した。


このとき沈穆夫は会稽にいた。

なので孫恩に取り立てられた。


とは言えすでに述べたとおり、

一回目の挙兵は、劉牢之りゅうろうしによって

あっさりと粉砕される。


劉牢之の配下将、高素こうそ

会稽エリアにある回踵湖かいしょうこの周辺で

沈穆夫と、同胞の陸瑰之りくかいし丘尪きゅうおうを捕らえ、

すぐさま斬首。

その首は箱に入れて建康に届けられた。



この事態によって、

決定的に立場が悪化したのが沈警だ。


息子が孫恩の乱で

重要な立場にあったのを聞き、

しばらく身をひそめて、

難を逃れようとした。


が、その意図を踏みにじった者がいる。

親戚の、沈預しんよ


かれは素行が悪く、

そのため沈警に疎まれていた。


ははぁん、これは憂さ晴らしのチャンス!

沈預、すかさず沈警について、

その居場所を政府にチクる。


こうして沈警とその息子たち、

沈仲夫しんちゅうふ任夫じんふ預夫よふ佩夫はいふが捕まり、

処刑された。



ただし、沈穆夫の子たちは生き延びた。

沈淵子しんえんし雲子うんし田子でんし林子りんし虔子けんし


彼らのうち、沈虔子については記録がない。

なので次話以降、沈虔子以外の人物について

追っていってみよう。




沈穆夫,字彥和,少好學,亦通左氏春秋。王恭命爲前軍主簿,與警書曰:「足下既執不拔之志,高臥東南,故屈賢子共事,非以吏職嬰之也。」初,錢唐人杜子恭通靈有道術,東土豪家及京邑貴望,竝事之爲弟子,執在三之敬。警累世事道,亦敬事子恭。子恭死,門徒孫泰、泰弟子恩傳其業,警復事之。隆安三年,恩於會稽作亂,自稱征東將軍,三吳皆響應。穆夫時在會稽,恩以爲前部參軍、振武將軍、餘姚令。其年十二月二十八日,恩爲劉牢之所破,輔國將軍高素於山陰囬踵埭執穆夫及僞吳郡太守陸瑰之、吳興太守丘尪,竝見害,函首送京邑,事見隆安故事。先是,宗人沈預素無士行,爲警所疾,至是警聞穆夫預亂,逃藏將免矣,預以告官,警及穆夫、弟仲夫、任夫、預夫、佩夫竝遇害;唯穆夫子淵子、雲子、田子、林子、虔子獲全。


沈穆夫、字は彥和、少きより學を好み、亦た左氏春秋に通ず。王恭は命じ前軍主簿と爲し、警に書を與えて曰く:「足下は既にして不拔の志を執り、東南に高臥せば、故に賢子に屈し事を共にせん。以て吏職を之に嬰せる非ざるなり」と。初にして、錢唐人の杜子恭は靈に通じ道術を有し、東土の豪家、及び京邑の貴望は、竝べて之に事え弟子と爲り、在三の敬を執る。警は世を累ねて道に事え、亦た敬して子恭に事う。子恭の死せるに、門徒の孫泰、泰が弟の子の恩は其の業を傳え、警は復た之に事う。隆安三年、恩は會稽にて亂を作し、征東將軍を自稱せば、三吳は皆な響應す。穆夫は時に會稽に在りて、恩は以て前部參軍、振武將軍、餘姚令と爲す。其の年の十二月二十八日、恩は劉牢之に破らる所と爲り、輔國將軍の高素は山陰の囬踵が埭にて穆夫、及び僞吳郡太守の陸瑰之、吳興太守の丘尪を執え、竝べて害され、首を函じ京邑に送らるは、事は隆安故事に見ゆ。是の先、宗人の沈預は素より士行無く、警に疾まる所と爲り、是に至りて警は穆夫の亂に預かるを聞き、逃藏し將に免ぜられんとせるも、預は以て官に告げ、警、及び穆夫、弟の仲夫、任夫、預夫、佩夫は竝べて害さるに遇う。唯だ穆夫の子の淵子、雲子、田子、林子、虔子は全きを獲る。

(宋書100-1_肆虐)




宋書巻100沈約しんやく自序は川合安かわいやすし氏が邦訳してくださっており、非常にありがたい。https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/33691/1/46%281%29_PR29-64.pdf


川合氏は同じく評伝も訳してくださっているのだが、残念ながらネットには劉裕りゅうゆう世代の評伝は掲載されておらず、劉義隆りゅうぎりゅう世代以下のものしかない。国会図書館とかに行けば参照できるんだろうなあ。探してみたいものです。


しかし孫恩の乱に関して、結構重要な情報が載っていてヤバい。誰だよこの乱のこと農民反乱とか言った奴。俺かッ!?

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