王鎮悪15 南:殺害背景 

王鎮悪おうちんあくの祖父、王猛おうもうは、

てい族の王、苻堅ふけんに仕えるにあたり

その諸葛亮しょかつりょうである、とも呼ばれていた。


長安ちょうあんの漢人たちは、

王鎮悪が漢人よりも異民族を

優先する政策を取るのではないか、

そう危惧をしていた。


なにせ、長安平定の功績トップは王鎮悪。

当然だが、その発言力は大きい。


一方で、王鎮悪と功績を争った将がいた。

沈田子しんでんしである。


どうも人々は沈田子を、王鎮悪への

抑止力とみなしていたフシがあるようだ。


そのためか、劉裕りゅうゆうがこっそりと、

沈田子に、このように告げた、と

記録が残っている。


しょくを平定した鐘会しょうかいが乱に失敗したのは、

 衛瓘えいかんたちに阻まれたからだ。


 衛瓘も言っていた、たとえ猛獸でも、

 群れなす狐には勝てまい、とな。


 お前たちが揃っているんだ、

 どこに王鎮悪を恐れる必要がある?」


煽ってる……めっちゃ煽ってるよ……


こんなんだから、当然王鎮悪と沈田子らは

めでたく互いに疑いあった。


そして赫連勃勃かくれんぼつぼつの侵攻に応じ、

援軍として出向く王鎮悪。

二人は武将の傅弘之ふこうしが守る砦にて会う。


では作戦会議をしましょう、

とでも、沈田子は言ったのだろうか。

人払いをすると、王鎮悪と二人きりに。


そして、殺した。


あわせて兄弟の王基おうき王鴻おうこう王遵おうじゅん王深おうしん

そしていとこの王昭おうしょう王朗おうろう王弘おうこうを、

一緒に殺した。


この事態にビビったのが傅弘之である。

急ぎ長安に戻り、劉義真りゅうぎしんに報告。

劉義真は鎧を着込み、

王智おうち、王脩とともに展望台に登る。

そして、異変を知った。


やがて沈田子が戻ってくると、

王鎮悪が謀反した、と言ってくる。


聞く耳を持つわけには行かない。

王脩は沈田子を捕え、そして殺した。




王猛之相苻堅也,北人以方諸葛亮。入關之功,又鎮惡為首,時論者深憚之。田子嶢柳之捷,威震三輔,而與鎮惡爭功。武帝將歸,留田子與鎮惡,私謂田子曰:「鍾會不得遂其亂者,為有衛瓘等也。語曰:'猛獸不如群狐。'卿等十餘人何懼王鎮惡。」故二人常有猜心。時鎮惡師於涇上,與田子俱會傅弘之壘,田子求屏人,因斬之幕下,並兄基弟鴻、遵、深從弟昭、朗、弘,凡七人。弘之奔告義真,義真率王智、王修被甲登橫門以察其變。俄而田子至,言鎮惡反。修執田子,以專戮斬焉。


王猛の苻堅に相ぜるにては、北人は以て諸葛亮に方ぶ。入關の功は又た鎮惡を首と為し、時の論者は深く之を憚る。田子が嶢柳の捷に三輔は威震し、鎮惡と功を爭う。武帝の將に歸らんとせるに、田子と鎮惡を留め、私に田子に謂いて曰く:「鍾會の遂に其の亂を得ざりたるは、衛瓘らの有りたるが為なり。語りて曰く:'猛獸は群狐に如かず'と。卿ら十餘人にて何ぞ王鎮惡を懼れんか?」と。故に二人は常に猜心を有す。時に鎮惡の涇上に師せるに、田子と俱に傅弘之が壘にて會わば、田子は人の屏いたるを求め、因りて之、並びに兄の基、弟の鴻、遵、深、從弟の昭、朗、弘、凡そ七人を幕下に斬る。弘之は奔り義真に告がば、義真は王智、王修を率い甲を被りて橫門に登り以て其の變を察す。俄にして田子の至りたるに、鎮惡の反せるを言う。修は田子を執らえ、以て專らに戮斬したるのみ。

(南史16-2_仇隟)




この辺の内容は宋書自序の沈田子伝(宋書編纂者、沈約が自らの大伯父に当たる沈田子について書いた記事)に詳しく乗っています。


なので、いちど生き残った王鎮悪の弟、王康について触れたあと、沈田子、及びその父と弟について追っていこうと思います。

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