王鎮悪14 南:鎮悪反論す

劉裕りゅうゆう後秦こうしん討伐に際し、

前峰を請け負った王鎮悪おうちんあく


この際に劉穆之りゅうぼくしから

発奮の言葉を得たことは、既に書いた。


南史なんしでは同じような内容のニュアンスを、

やや変えて伝えている。


「昔、司馬昭しばしょう様は鄧艾とうがいしょく征伐を委ねた。

 今また、そなたには

 関中討伐が委ねられた。


 どうか、見事に務め上げられよ」


若干言い回しがシンプルになっている。

これに対する王鎮悪の返答は、

今度は、微妙に詳細になっている。


「いま劉裕様の風雲の志の刃として

 我々は抜擢を頂戴した。


 ならば長安ちょうあんを落さずして、

 この建康けんこうに戻って来ぬことを誓おう。


 しかし、劉穆之殿よ。

 長安エリアを平定と言う

 大事をなしておきながら、

 劉裕様のもとに九錫きゅうしゃくがもたらされぬ、

 などと言う事のないようにな。


 その時はまた、そなたも

 責めを負わねばなるまいよ」




及武帝北伐,為鎮西諮議,行龍驤將軍,領前鋒。將發,前將軍劉穆之謂曰:「昔晉文王委蜀于鄧艾,今亦委卿以關中,卿其勉之。」鎮惡曰:「吾等因托風雲,並蒙抽擢,今咸陽不克,誓不濟江。三秦若定,而公九錫不至,亦卿之責矣。」


武帝の北伐せるに及び、鎮西諮議と為り、龍驤將軍を行され、前鋒を領す。將に發さんとせるに、前將軍の劉穆之は謂いて曰く:「昔、晉の文王は蜀を鄧艾に委ぬ、今ま亦た卿に以て關中を委ぬらば、卿は其れ之に勉むべし」と。鎮惡は曰く:「吾ら因りて風雲に托たれ、並べて抽擢を蒙らん、今ま咸陽を克さずば、江を濟らざらんと誓う。三秦の若し定まるに、而して公に九錫の至らずんば、亦た卿の責たり」と。

(南史16-1_言語)




劉穆之と王鎮悪って、史書上だとここでしか接点がないんですよね。その部分で若干の異同があるのは何なんだろう。宋書の記述だとあくまで王鎮悪が劉穆之の下の立場に見えるけど、南史の書き方だと割と対等のようにも見える。宋書については劉裕を伝説的存在、劉穆之と檀道済を準伝説的存在みたいに祭り上げてるから、その辺の絡みなのかなー。

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