謝晦21 インターバル  

劉義符りゅうぎふ殺害後の生存戦略として、

謝晦しゃかい徐羨之じょせんし傅亮ふりょう

以下のような絵図を描いていた。


謝晦が江陵こうりょうの西府に出、

檀道済が廣陵こうりょうの北府に出て、

軍事力を確保する。


また徐羨之と傅亮は

謝晦、檀道済の軍事力を背景に

中央で発言力をキープする。

こうすれば、劉義隆りゅうぎりゅうに対しても

ある程度の牽制力となれるだろう、

というものだ。


だが、わずか二十歳の英主は、

彼らの想像をはるかに超えた。

速やかに動いて徐羨之と傅亮を殺害。

更に檀道済を引き込んでしまう。


檀道済について、

王華おうかをはじめとした人々は

「檀道済はヤバいです」と言っていた。


が、劉義隆は言っている。


「あれは徐羨之らのはかりごとに

 積極的に乗って行ったわけではない。


 小兄の殺害には反対しておったし、

 大兄の殺害に関しては、

 敢えて中堂を守る役目を負い、

 関わらぬよう振る舞っていた。


 おれが直接話をすれば、

 あっさりとこちらにつくことだろう」


そして実際に檀道済を召喚してみれば、

みごとに劉義隆の見立て通り。

そこで劉義隆、檀道済に兵を預け、

謝晦討伐に派遣した。


ところで謝晦、

徐羨之らが死んだと聞き、

檀道済も殺されたとばかり思っていた。


なので檀道済が攻めてきたと聞き、

大混乱。何も考えられなくなった。




晦與徐羨之、傅亮謀為自全之計,晦據上流,而檀道濟鎮廣陵,各有強兵,以制持朝廷;羨之、亮於中秉權,可得持久。及太祖將行誅,王華之徒咸云:「道濟不可信。」太祖曰:「道濟止於脅從,本非事主。殺害之事,又所不關。吾召而問之,必異。」於是詔道濟入朝,授之以眾,委之西討。晦聞羨之等死,謂道濟必不獨全,及聞率眾來上,惶懼無計。


晦と徐羨之と傅亮は謀りて自全の計を為すに、晦は上流に據し、檀道濟は廣陵に鎮じ、各おの強兵を有し、以て朝廷を制持し、羨之、亮は中にて權を秉さば、持久せるを得るべしとす。太祖の將に行きて誅さんとせるに及び、王華の徒は咸な云えらく:「道濟は信ずべからず」と。太祖は曰く:「道濟は脅從を止めたれば、本より事の主に非ず。殺害の事も、又た關わらざる所なり。吾れ召して之を問わば、必ずや異たらん」と。是に於いて詔じ道濟を入朝せしめ、之に以て眾を授け、之に西討を委ぬ。晦は羨之らの死を聞き、道濟の必ずや獨り全かざるを謂わば、眾を率い上り來たるを聞くに及び、惶懼し計無し。

(宋書44-21_紕漏)




沈約しんやくさん

「どうせお前ら上表とか読まんやろ、

 ワイ親切やさけちゃんと本文中にも

 謝晦の見立てについて

 書いといたるでな」


やだ先生紳士……(トゥンク)



ただこの辺、時間軸が微妙にうさんくせえんだよなあ。文帝が尚書に命じて書かせた謝晦に対する討伐宣告文で、既に檀道済の名前が挙がってる。その後謝晦が発した檄文は基本的に自信満々。いくら行き違いがあると仮定しても、「檀道済が来てビビッて謝晦軍が崩壊した」って記述、どうにもあやしい。ある程度謝晦は檀道済も一緒に攻めてきてると織り込んでたんじゃなかろうか。そのための方策とかも存在したけど、結局それは機能しなかった。そんな気がする。高進之こうしんし伝で「宋書記述より高進之伝の記述ほうが可能性高いんじゃないか」って書いたが、その辺が裏打ちされてる印象もある。


「愚かな逆賊が哀れにも怖気づいて皇帝軍の威光の前にズタボロになりました。めでたしめでたし」というストーリーの構築の痕跡が見えるような、見えないような。まぁ見えたところで結局「じゃあ高進之伝の記述と宋書の記述との信頼性の差をどうやって測るのさのさ?」って聞かれたら「手立てがありません!」と胸を張って答えるしかないのだが。

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