檀道済7 汝が長城を   

檀道済だんどうさいは収監されると、

一斛もの酒を要求した。

およそ二十リットルほどだ。


それらを、一気に飲み干す。


その顔にはありありとした憤怒。

眼光は松明のようにぎらぎらとしている。


やがて自らの帽子を脱ぎ、

地面に叩きつけた!


そして、言う。


「貴様は自ら、

 万里の長城を打ち壊すのだな!」



檀道済処刑のニュースは

すぐに北魏ほくぎにも届いた。

誰もが言っている。


「奴が死んだのであれば、

 もはやの猿なぞ恐るるに足らん!」


ここからしきりに北魏の南伐が起きる。

飲馬長江いんばちょうこうの志、つまり、おれらの馬に

長江の水を飲ませてやれ、が

キャッチフレーズであったという。



劉義隆りゅうぎりゅうは側近の殷景仁いんけいじんに訊ねている。


「檀道済の責務を継げる者は誰か?」


殷景仁、劉裕りゅうゆうの現役時代から仕えている。

檀道済がどういう人かよく知っている。


「檀道済の威名は、その戦績ゆえです。

 どうしてそれを継げる者がありましょう」


劉義隆は答えた。


「ばかな。それならば、

 前漢ぜんかん李広りこうをどう説明する?


 かれは朝廷にいただけだったが、

 それでも匈奴きょうどは南進を憚ったではないか。


 そしてその後には、

 衛青えいせいをはじめとした驍将も現れた。


 どうしてこのそうに、

 衛青がいないと言えようか?」



しかし、結果は結果である。

檀道済の死、その十四年後。

遂に北魏軍は瓜歩かほにまで押し寄せてきた。


瓜歩。

建康けんこうから見れば、長江の対岸である。

つまり、飲馬長江の志を

叶えさせてしまったのだ。


劉義隆は石頭せきとう城に登り、対岸を眺める。

その顔には、深い憂悶の色がある。


嘆じて、言う。


「檀道済さえおれば、

 このようにはならなかったろうに!」




帝は曰く:「然らじ、昔に李廣は朝に在り、匈奴は敢えて南望せず、後繼さる者も復た幾人有らんか?」と。魏軍の瓜步に至るに及び、文帝は石頭城に登りて望み、甚だ憂色を有す。歎じて曰く:「若し道濟の在らば、豈に此に至らんか!」と。

道濟見收,憤怒氣盛,目光如炬,俄爾間引飲一斛。乃脫幘投地,曰:「乃壞汝萬里長城。」魏人聞之,皆曰:「道濟已死,吳子輩不足復憚」。自是頻歲南伐,有飲馬長江之志。文帝問殷景仁曰:「誰可繼道濟?」答曰:「道濟以累有戰功,故致威名,余但未任耳。」帝曰:「不然,昔李廣在朝,匈奴不敢南望,後繼者復有幾人?」及魏軍至瓜步,文帝登石頭城望,甚有憂色。歎曰:「若道濟在,豈至此!」


道濟の收さるを見たるに、憤怒の氣盛んにして、目が光は炬が如く、俄爾の間にて引きて一斛を飲ず。乃ち幘を脫ぎ地に投じ、曰く:「乃ち汝が萬里の長城を壞ちたり」と。魏人は之を聞き、皆な曰く:「道濟の已に死さば、吳子の輩に復た憚るに足らず」と。是より頻りなる歲に南伐し、飲馬長江の志を有す。文帝は殷景仁に問うて曰く:「誰ぞ道濟を繼ぐべかるや?」と。答えて曰く:「道濟は以て戰功を累ぬ有り、故に威名を致したり。余に但だ未だ任ぜざるのみ」と。帝は曰く:「然らじ、昔に李廣は朝に在り、匈奴は敢えて南望せず、後繼さる者も復た幾人有らんか?」と。魏軍の瓜步に至るに及び、文帝は石頭城に登りて望み、甚だ憂色を有す。歎じて曰く:「若し道濟の在らば、豈に此に至らんか!」と。

(南史15-8_尤悔)




殷景仁

徐羨之じょせんしら亡き後の劉義隆サポートグループの一員。このグループには王華おうか王曇首おうどんしゅ劉湛りゅうたんがいた。非常にきな臭いグループである。後に病に臥せり、自宅療養をするようになった、と書かれている。のだが、前条で檀道済を謀殺した劉湛及び劉義康りゅうぎこうと反目し合っていた、とも書かれている。となると仮病、韜晦だったのかもしれない。なにこの政権こわい。



それにしても宋書の書きぶりは、檀道済をこのまま生かしておけば、それこそ衛青が育ったんじゃないのだろうか、的なニュアンスがこもっているようにも思う。所詮後付な話でしかないし、文化の爛熟方面に走りつつあった南朝じゃ、たとえどんな名将が育ったところで瓜步の難は逃れられなかったんじゃないかなあ。まぁその辺は、俺みたいに劉裕だけを近視眼的に追うバカには荷が勝ちすぎます。他の人にお任せしましょう。

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